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アイヌに関して~故萱野氏を偲んで

こんばんわ。tanoです。今日はアイヌネタで一つ投稿します。
2年前の週間朝日のシリーズコラム(夫婦の情景)でアイヌの血を引く現在アイヌ民族学者の萱野 茂(78歳)とその奥さんのれい子さん(73歳)のインタビューを通したアイヌ文化が紹介されました。その中からいくつか読み取れた現在のアイヌについて紹介します。
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>萱野氏はアイヌ唯一の元参議院議員。出身である苫小牧東部に位置する平取町二風谷は、アイヌコタン(集落)が今でも点在する。平取町6千人のうちアイヌの血を引く人は2千人。萱野氏は二風谷アイヌ資料館館長を勤めておられる。
 アイヌ文化には文字がない。アイヌ社会でアイヌに精通する人はすでに少なくなっているが、茂さんの父親はアイヌ語を知り尽くしていた。茂るさんが幼い頃囲炉裏端で毎晩のようにアイヌ語で昔話を語ってくれた祖母かってさんは、1945年に95歳で亡くなるまで、ついに日本語を話さなかった。
 茂さんは畑で収入が上がらず木の彫り物をして収入を得ていく。その傍ら、民話も残したいと思い1960年、テープレコーダーの購入とともに様々なアイヌの口承文化を録音していった。彫刻でお金を得てそれでテープを購入、そのくりかえしだったそうだ。その時間は800時間にものぼり、うち翻訳が済んだのがまだ40時間分。78歳の現在、仕事はまだまだ残っているという。

 以降は夫婦の会話。続きはポチッ
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夫「収集できるものはもうないの。あとは作るしかない。この人は今、鹿の皮でモウルという女性の肌着を作っている。作り方は言い伝えてあるが、実物は残っていない」
妻「アイヌには魚の皮を使った靴や衣服もたくさんありました。皮を乾かしてはたくと一番柔らかくなる。でもその作業はたいへんです。私は魚の皮を柔らかくする技法を覚えたくて4年前ひとりでウィーンに行きました。シベリアのアムール川流域のナナイ族出身で魚の皮で服を作っているというドンカンさんという方がいると聞いて。薬を使うようなのですがその作り方を知りたくて一緒に手伝って覚えようとしたのですがなかなか言葉がわからなくて、覚えられずに帰ってきました。」
夫「この人ローマ字も読めないから」
妻「よく一人で行ってきたと思います」

 アイヌには嫁をもらうという言葉はない。妻を借りるという。
夫「妻は借り物だから大事にしないと実家のお母さんが取りに来る。でもこの人はもう帰れないから大丈夫(笑)」
妻「兄貴もいなくなって、私はもう帰るところがないから、だめよ」
夫「ずいぶん長生きしたな。アイヌには「ムニンニ、ホラッコラーチ、オパパゥ サッノ コンネオカー」という言葉がある。年をとったら山で朽ちて木が音もなく倒れるように死ぬのが理想だという意味。うちの母さんもおばあさんもそうして亡くなった。俺、年寄りだから言えるけど、「年寄りはあまり大事にするな。年をとって死んでいくのは自然だ」と言っている。いまは一人の子に対して父方のじいちゃん、ばあちゃん、母親、父親・・・・腫れ物に触るようだね。昔はストーブに薪をくべたり、縫い物をしたり、じいちゃん、ばあちゃんにも仕事があった。いまの年寄りは暇を持て余している。俺はまだ彫りたいものも書きたいものもある。」

 金田一京助氏が生前、文字のないアイヌ社会に豊かな民話が語り継がれた秘密についてこう語っていた。「文字にすると、安心して人は忘れてしまうからだ」
萱野茂氏は本年5月に永眠された。享年75歳 合掌

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