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神様が時代とともに姿を変えたのは何で?

「困ったときの神頼み」「ああ神様、仏様!!」・・・普段はあまり、神様とか宗教とか、身近に感じませんが、人間、本当にどうしようもなくなると、人知を超えたものにすがりたくなるようです。ということは、神様や宗教っていうのは、人間が自分達で解決できない難題に直面したとき、やむにやまれず生み出したものなのかもしれません。
 でも、神様と一口に言っても、その時代、時代によって、結構姿かたちを変えているのです。ということは、その時の時代がどんな状況だったかを考えると、神様の形も見えてくるのかもしれません。
 ここでは、古代メソポタミアの信仰や神の形の変化を3つの「なんで?」に分けて考えていきたいと思います。続きを読む・・・
 
 


1.精霊信仰が自然神信仰になったのはなんで? 🙄
宗教の原型の精霊信仰。これは、自然や万物の背後に精霊がいるという信仰ですね。最初は山や川や石ころにまで皆精霊が宿っていると考えていたようです。まだ掠奪闘争の勃発していない紀元前7000年以前のメソポタミアは精霊信仰だったと考えられます。これが、ウバイド期くらいから、だんだん神々のなかで、自分達の部族や集団を守ってくれる神(守護神)を崇拝する自然神信仰に変化していきます。 この背景はなんでしょうか。
2.自然神信仰が人格神信仰に変わったのはなんで? 🙁
自然神信仰では、まだ神に「名前」はありません。動物だったりします。サッカーでお馴染みの「ヤタガラス」なんかも似たようなものでしょうかね。ところが、やがて神には名前や位が付いてきます。メソポタミアの神話では「風と嵐の神エンルリ」等、人格を持った神がたくさん出てきます。神たちは数字によって格が決められていたようです。あたかも人間社会を神の世界に投影したようです。その背景はなんでしょうか?
3.人格神が人間(王)になったのはなんで
人格神はあくまでも神ですが、だんだん王自体が神に近づいていき、とうとう王=神に神格化されていきます。紀元前3000年頃のアッカド期では、ナムラ・シンという王様がまさしく神であったようです。どんな時代だったんでしょう?
こういう視点で考えていくと、宗教や信仰と時代の外圧の関係がより鮮明になってきそうですね。

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