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土偶は妊婦を葬る葬儀品

土偶シリーズ第2弾!
http://www.kodai-bunmei.net/blog/2006/12/post_57.html#more [1]の続編です。
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しかし、とすれば一体この像は何か。 私は長い間それを考えていまして、そして、この謎は今までどのような学者によっても解明されていません。それゆえ、10年程ずっと私はこの問題を考えてきました。しかし、アイヌのばあちゃんとの対話によって長い間の私の疑問が解けました。 そのばあちゃんは浦川はる というばあちゃんです。
著者梅原氏はばあちゃんの話をヒントに以下の結論を導き出しました。
土偶には葬られている。では何の為に・・・土偶が妊婦を葬る儀式として使われたことを示すものでありましょう。この、実際に葬られた妊婦と胎児の墓と、丁重に葬られた土偶の葬り場との関係はよくわからないが、多分、そのような葬儀の一端として使われたものであるに違いありません。(追記内の文章から抜粋)
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ばあちゃんの話によれば17歳までアイヌ語を使う社会で育ったということですが、17歳のときに奉公にでて、それから日本語をしゃべるようになったということです。久保寺逸彦さんというアイヌ学者がばあちゃんに会って、アイヌのことを聞いたところ、ばあちゃんは昔のことを思い出したというわけであります。藤村久和さんという、私がアイヌのことを教えられた学者がいますが、この藤村さんとも親しくて、このばあちゃんは藤村さんへのアイヌの知識の提供者であったわけです。私も藤村さんとともにはるばるばあちゃんを訪れ、色々なアイヌのことを聞きました。
 ある日、私はばあちゃんに次のようなことを訊きました。「ばあちゃん、アイヌの小さい子どもが死ぬとどのように葬られますか」と。「それはなあ、小さい子どもはふつうの人のように葬られないよ。アイヌでは全ての人はご先祖さんが又あの世からこの世へ帰って来たと考えるのだよ。ご先祖さんが遠い遠いあの世から帰ってきたのに、一年や二年や三年で死んで、またあの世へ行くのは可哀想だと考えて、壺に入れて家の入り口のところへ埋めるんだ。人がよく通るところへ、次の子になって生まれてくれという思いで逆さに埋めるんだよ」とばあちゃんは言いました。
 それを聞いて私は、縄文時代において子どもが壺に入れられて家の入り口に逆さに埋められているのを思い出しました。恐らくそれは、はるばると遠いあの世から帰ってきた祖先の霊に申し訳ない、その霊に再び母の胎内に帰って次の子になって生まれて来いという願いゆえであるに違いない。入り口に埋めるのは、人のよく踏むところ、即ちセックス(性)をよくして、次の子になって生まれて来いという願いを表すものであろうと思ったのです。
私は縄文の秘密がアイヌの風習によって説明されるのに勢いを得て、「それでは妊婦が死んだときにはどのように葬られるのか」とばあちゃんに訊いたのです。するとばあちゃんは「ああ、それは大変だよ、あまり人には言えないけれど、普通の葬式をして、一旦妊婦を埋める。しかし、翌日、そういう霊を司っている婆さんが墓へ行って妊婦の亡骸を掘り出し、妊婦の腹を切って胎児を取り出し、胎児を妊婦に抱かせて葬るんだ。これは大変なことで、半端な人間に語っちゃいけないとされているんだけれど」とばあちゃんは言いました。
このばあちゃんの言葉によって私は積年の謎を解くことができました。あの土偶は実は生きている女性の顔ではないのではないか。あれは胎児をお腹に宿しながら死んだ女性であり、そのような、死んだ女性があのように異様な顔をしているのではないか。そう考えると私には土偶を構成する五つの条件が全て解けるように思われたのです。
「1.土偶はすべて妊娠した女性である」という条件、及び「2.土偶は全て異様な顔をしている」という条件はそれによってすっかり明らかになります。この異様な顔をしている女性は目は呆然と見開いているか堅く閉じられているか、どちらかです。いずれも死んだ人間の顔であると見て差し支えないでしょう。遮光器土偶のような大きな眼窩がついているのはアイヌのユーカラにあるように目のある死人というのは再生可能な死人であり、目のない死人というのは再生不可能な死人であり、その死んだ女性の再生が可能であるように大きな眼窩をつけたものでしょう。しかしその目が堅く閉じられているのは死人としては当然でしょう。
そして、「3.全ての土偶が、バラバラに壊されている」という理由も明白です。アイヌに残っている信仰においても、日本に残っている信仰においても、この世とあの世はあべこべであり、この世で完全なことはあの世で不完全であり、この世で不完全なものはあの世で完全であり、完全な人間としてあの世へ真理を送るために、この世では土偶の体を壊してバラバラにしたものでしょう。今の日本の葬儀においても、死人に供えたものは茶碗でも割って供えることが行われています。又、死者のものを火で焼くのも、あの世に完全なものを送ろうとする願いによるものでしょう。
「4.土偶にはすべて縦一文字の傷がある」ということも、まさにこの、アイヌに最近まで行われていた妊婦を葬る意識を示すものでしょう。腹を断って胎児を取り出し、胎児を妊婦に持たせて、親子共にあの世へ送る。これは胎児を宿しながら死んだ女性への深い愛情であるに違いありません。
土偶には葬られているというものもあるということは、まさに土偶がこのような妊婦を葬る儀式として使われたことを示すものでありましょう。この、実際に葬られた妊婦と胎児の墓と、丁重に葬られた土偶の葬り場との関係はよくわからないが、多分、そのような葬儀の一端として使われたものであるに違いありません。
こうしてみると、私は土偶は胎児を宿したまま死んだ妊婦の葬儀のために用いられたものと考えざるを得ませんが、妊婦の腹の中に閉じこめられた退治の霊こそ最も恐れられたものであるに違いないのです。祖先の霊がわざわざ、はるか遠いあの世からこの世に帰ってきた。しかも妊婦が死んで、妊婦の腹の中に閉じ込められた胎児の霊こそ最も恐れられたものであるに違いないのです。祖先の霊がわざわざ、はるか遠いあの世からこの世に帰ってきた。しかも妊婦が死んで、妊婦の腹の中に閉じ込められたままであるとすれば、胎児の霊はもはやあの世へ帰れない。それはおそらく恐るべき祟りを生ずるに違いないのです。それで、あえて妊婦の腹を断ち切って、その胎児の霊を妊婦に抱かせ、妊婦と共に安らかに遠いあの世へ旅立たせるようという愛情によって、土偶は作られたに違いない。
私はそのような説をある雑誌に発表すると、福島県の或人から、「そのような、胎児を妊婦から取り出して葬る例が明治時代に福島県にあった」ということを知らせていただきました。それを読むと、福島県には妊婦が死ぬと胎児を取り出し、藁人形を作り、妊婦と胎児を藁人形と一緒に葬る習慣があり、それが死体遺棄罪に当たるというかたちで刑事事件になった例があることがわかったのです。その藁人形はまさに土偶の代わりをするものではないか。
土偶はこのようなものである明らかになりましたが、こうしてみれば縄文時代のいわゆる宗教的儀式というものが、ほぼこのような理論で説明できると私は思うのです。
(「縄文人の世界観」・日本人の原像を求めて  三方町縄文博物館館長 梅原 猛) [4]
縄文時代の出産とは多くは妊婦の生命と引き換えに行われていたのでしょう。
土偶には他にも多くの解釈がなされていますが梅原氏の見識は有力な解釈の一つになるのではないかと思います。
By:R

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