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縄文時代の人々は、どのような「家」に住んでいたの?vol.1

Posted By mukai On 2006年12月11日 @ 8:03 PM In 縄文人の生活技術 | 4 Comments

縄文時代の人々は、どのような「家」に住んでいたのでしょうか?
答えは、みなさんご存じのように竪穴式住居です。
 これまでの調査・研究の成果から「竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)」と「平地式住居(へいちしきじゅうきょ)(掘立柱建物:ほったてばしらたてもの)」という、2種類の建物に暮らしていたのではないか、と考えられます。
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 「竪穴式住居」は、地面を掘り窪めた穴の平面形状は、地域によって異なるが縄文時代前期では、概ね方形、台形で、6本の主柱をもち、壁面周辺に支柱穴とも推察されるピットが並んでいる状況が見られる。
 これに対して「平地式住居」は地面を掘りくぼめずに、地面に直接柱を建てて屋根をかけた建物だったと考えられています。
内部の広さは様々ですが、竪穴式住居の場合では、円形のもので直径4m程(下写真)、方形のものでは一辺4~5m程、が比較的一般的な大きさだったようです。
日本でもっとも古い竪穴式住居は、
現在までのところ、鹿児島の上野原遺跡 [3]の約9500年前のものが最古です。
上野原遺跡はその後の火山大爆発で埋まり、約7000年後に再び集落が造られます。9500年前の遺跡は、全くの定住でなく、一定期間棲むキャンプだったのではと推測されていますが、いずれにしろ世界的に見ても日本という国の「住環境」のすばらしさが分かります。
 当時の集落は、多くても10世帯くらいですから、小さな石器程度の道具で掘り下げることは長い時間と大きな作業量が必要でした。集落のものが協力して1ヶ月は掛かっただろうといわれています。
こんなに手間の掛かる作業をすることは、すぐに移動しないすなわち「定住生活」をした大きな証拠になります。このような住居は関東・中部地方以北では平安時代まで続くが、東海地方では一部残しつつも、近畿においては飛鳥時代から掘立柱建物に移行していき、鎌倉時代以降は、関東で竪穴状遺構として一部名を残すもののほぼ全面的に消失します。
この竪穴式住居という形式はこのように約8000年という長期に渡り使用されています。
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果たして住み易かったのでしょうか?
  1.棲み心地がよかった?
  2.建築が容易で、簡便(安い・早い・材料が入手しやすい)?
 冬はとても寒かったという実験結果もあります。では簡便だったか?といえば、部落総動員(といっても10~20名程度ですが)掛かって約1ヶ月も要するとなると、果たして簡便とは言えません。
 ただ言えることは、そうした作業一つとっても、当時の人たちには大変だったとすれば、特に大きな柱がいらないことは、とても有利だったことは確かでしょう。
今まで各地の遺跡で復元された、竪穴住居を見ると、地上部分がかなり急勾配の屋根形状です。
また、麻くらいしかなかった縄文時代、当時の人は案外布団代わりに沢山の枯れ葉や藁を敷き詰めてそれにくるまって寝たのではないでしょうか。(子供の頃の経験から確信します)
竪穴式住居の作り方 [4]もご覧下さい。
竪穴式住居は住みやすかったのか?
をその構造等詳細を調べ次回投稿します。


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[2] Image: http://history.blogmura.com/in/023841.html

[3] 鹿児島の上野原遺跡: http://www.jomon-no-mori.jp/

[4] 竪穴式住居の作り方: http://www17.ocn.ne.jp/~akwarabe/tateana.html

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