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縄文:東西-堅果類食料の違い~生活様式の違い

今晩は。さーねです 😉
今日は、『生業からみた縄文から弥生 [1]』の中で、堅果類食料の違いから東西の生活様式の違いを解明していきたいと思います
まずは、堅果類食料の種類と分布をおおまかにまとめてみました。
(詳しくは、『生業からみた縄文から弥生 [1]』を参考に)
照葉樹林アカガシ・アラカシ水さらし),シイノキ処理不要
⇒西日本では、メジャーフード。縄文中後期の関東には存在したが、中部・東北には分布していなかった。
落葉樹林クリ・オニグルミ(処理不要),クヌギ(水さらし),ミズナラ・コナラ・トチノキ水さらし+加熱
⇒ほぼ列島全域に分布。(北海道を除く)
※『生業からみた縄文から弥生 [1]』の2 植物質食糧の種類より
※食べるために、”何も処理不要”・”水さらし”・”加熱(=アク抜き)”に分けています。
>・西日本の照葉樹林帯でも落葉性のコナラ・ミズナラ・クリ・クヌギを利用できる環境にあったことがわかるのである。
>・東日本の海岸部も照葉性のカシ・シイ類を利用できる環境にあったのである。
概ね、東西分布の違いはあったものの、上記に挙げた堅果類食料を採取する状況にはあった。ただし、標高が高く他地域に比較して寒い中部・東北のみ限られていたという状況です。
では、なぜ東西の生活様式に違いが出たのか 😮
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以下、『生業からみた縄文から弥生 [1]』からの抜粋です
まずは、西-照葉樹林文化,東-落葉樹林文化という一般論から 😉
>落葉樹林帯と照葉樹林帯における植生の違いが次のような特徴をもつからである。…(中略)…一定の面積における樹種の種類数と特定樹木の個体数は北と南で異なる。…(中略)…木の種類は多いが一種類あたりの本数は少なく,北にいくにしたがい木の種類が減り一種類あたりの本数が増加する。
【上記は、落葉と照葉の植生の一般的な違いですが、概ね、西は樹種が豊富,東は樹種は少なく、適応できる樹種のみが植生。】
では、遺跡の特徴は?西日本から
>・近畿のように地形とかかわって落葉樹と照葉樹が同じ地域に成育しているところでは,多種類のナッツにたよる小さな集団からなる安定した集落が扇状地上に立地する。
>・晩期以降の西日本に多くみられる貯蔵穴も複数の種類の堅果類を貯蔵している。
一方、東日本の特徴
>・中部・関東地方では季節的にクリやトチノキという特定の堅果に大きく依存した分業集中型の集落が台地上に立地する…(略)
>・東日本の遺跡にみられるトチノキやクリなどの特定種の果殻が大量に廃棄されているのは,大量の特定種を単一の処理で集中的に加工・調理する分業集中型の生産システムの存在を反映したもの…(略)
>・東北地方のサケ・マスも特定種へ依存…(略)
>・岩手県の民俗例ではトチノキは飢饉用,ミズナラ・コナラ類は基本食として位置づけられている…(略)
東西の堅果類食料の違いから生活様式の違いは?『生業からみた縄文から弥生』での分析もふまえてまとめてみます。
西-様々な堅果類を食していた
⇒種類が多い分、ある種が採れなくなっても代わる種がある。
⇒様々な種類に対応する加工技術が発達した?

東-ある堅果類に特化していた
⇒種類が少ない分、採れなくなったら生存に関わる。
⇒逆に、保存技術が向上した?

やはり、東の方が外圧が高く、よって祭祀=精霊信仰を軸にした工夫思考が発達した感じがしました。
ただし、これだけが東西の違いではないと思います。
引続き、追究していけたら 😀

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