2007.10.20
中国文明:中国という国の本質は?
今晩は、さーねです 😮 以前、おざわさんが記事をアップされていた中国の夏王朝はあったのか?その投稿に、tanoさんがコメントされていた一文です。
それにしてもこれまで中国は周から始まったといい続けられてきたのはなぜでしょう?単に遺跡が発掘されなかっただけでしょうか?中華思想にとって周以前の歴史事実は不要である。伝説にしてしまえ。そんな国家側の意図があったようにも思います。
夏王朝が伝説にされたり、商王朝が極めて卑劣残虐な王朝と伝えられるのは僕は事実を歪曲して伝える中国の体質があるように思うのですが考えすぎでしょうか?
このブログで中国文明の勉強を始めて感じることですが、歴史事実をなかなか見極められないのが僕の実感です ![]()
今日は、東アジア考古学の研究者である京都大学 岡村秀典氏の著書「夏王朝 中国文明の原像」より、氏の問題意識を紹介し、中国の本質とは?その一助になればと思います 😮
この本、ブログでも結構評判良いようです
😀
みんなで事実を追求するために
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posted by sawatan at : 2007年10月20日
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2007.10.16
単位集団って何?
縄文時代は、共同体社会だといわれます。
そこでの集団と社会の関係は、どのようになっていたのでしょう?
今回は、集団のあり方を、鷲田豊明氏の「環境と社会経済システム」リンクを参照して明らかにしたいと思います。
《引用開始》
日本考古学は,これら原始社会全体をとおして,さまざまな規模の集団が相対的に小規模で画一性のみられる単位集団によって構成される傾向のあることを明らかにした。
それはおよそ20人から30人,あるいはそれを大きくはずれない程度の構成人員からなる集団である。
したがってそれは,両親と子供あるいはその近親者からなるまとまりとして家族を想定すれば,数家族からなる集団といってもよいだろう。
集落という,住居の空間的集住が認められる場合,もしそれが小集落であるならば一つの単位集団からなり,より大きな集落の場合はこのような単位集団が複数集まることによって構成される傾向が存在するのである。
このような単位集団の確実性は,より新しい時代ほど高まるようだ。
そして,原始社会において,この単位集団を認識することは,集団構造を把握するうえで特別な意義をもっている。
もっと大きな集団もあったのでは?
と思った方は、ポチット押してお先にどうぞ 🙄
posted by naoto at : 2007年10月16日
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2007.10.15
マヤはインカやアステカとは違って、なぜ2000年もの長きにわたって、統一王朝が出現しなかったのか?その2
こんにちわ 😀
今回は
マヤはインカやアステカとは違って、なぜ2000年もの長きにわたって、統一王朝が出現しなかったのか?」シリーズ第2段を投稿したいと思います 

(出典:ブログ el viaje del mundo)
しかし、さすがに「謎の文明」と言われるだけあって、統一王朝が出現しなかった理由も正直定かではありません
。
今回は、定かではないなりにも、今まで言われてきた説をまとめつつ考えられる説をあげていきたいと思います ![]()
今回もポチットお願いします

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posted by bunbun at : 2007年10月15日
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2007.10.12
『日本人』と『大麻』の関係
今日は『日本人』と『大麻』の関係について紹介します。

【↑これが大麻の葉です】
『大麻』と言えば現在の日本では「大麻取締法」なんてものもあって、(免許がな限り)所持することも栽培することもできず、もし所持及び栽培していることが見つかれば、殺人罪に匹敵するような重い罰を与えられるので、ある意味非常に危険な物質(植物)と思っている方も多くいらっしゃるのでないでしょうか? 
でもです。日本において<strong>『大麻』はかなり古くから人々の日常生活に密接に関わっている非常に重要な植物だったんですよ! ![]()
これクリックしてから次へ行ってね!
“かなり古く”っていつからって?
それは縄文時代からなんです!
今日はそのあたりがわかり易くまとめてくれるサイトがありましたのでご紹介します。(当ブログでは部分的な紹介に留めますので、より興味のある方は是非 【麻も実食品】を訪れてください。
posted by mrran at : 2007年10月12日
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2007.10.11
旧石器&縄文:世界最古の土器出現の謎~環境考古学の視点
今晩は、さーねです 😮 今日は環境考古学の視点から、土器出現の謎に迫りたいと思います。この環境考古学は、当時の自然外圧状況を把握し、出土物含めて、当時の人々の生活様式を解明しようとするものです。自然外圧を把握するという点では、なかなか優れた学問ではないか…ということで、最近このような本を読んでおります 

土器の必要性は、このブログでも投稿されていますが、その必要に迫られた状況=自然外圧は実は明確になっていません。今日はそこを環境考古学を通して鮮明にできたらと思います
😛
数十万年にわたって石器のみの文化の中にあった人々が、突然、粘土をこね、焼成して土器をつくりはじめる。それは人類の文化史の中では、極めて画期的な出来事であった。
確かに、そうなんですよね。これは、画期的であったはず
😛
いつもの通り、応援よろしくお願いします

![]()
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posted by sawatan at : 2007年10月11日
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2007.10.10
胡椒をめぐる争い(=大航海時代の始まり)
10/9のみつこさんの記事で胡椒がヨーロッパでと~っても
貴重品
だったことがわかりましたね 
では、今日はその「胡椒」をめぐる覇権争い
について調べてみたいと思います。
たかが胡椒 🙄 されど胡椒 ![]()
すさまじい覇権争いが繰り広げられてます 

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posted by pingu at : 2007年10月10日
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2007.10.09
胡椒が高価だったのは。。。
こんばんは~
、みつこ 😀 です。
突然ですが、今日は大航海時代の胡椒について。
当時のヨーロッパでは、
「胡椒一粒
は黄金一粒
」と言われたくらい、胡椒はとーっても高価だったんです。
なんと
!!喜望峰を見つけたバスコ・ダ・ガマが持ち帰った胡椒は、仕入れ値の60倍で売れたそうです。
すっごーい 
一般的には肉
の保存、ニオイ消しに使うため必要だった、、、って説明を聞くのですが、でもでも、果たしてそれだけなのでしょうか?
だって、保存するためなら、古くからヨーロッパで栽培されている『にんにく』
でいいじゃん!!わざわざ高価な胡椒でなくったっていいじゃん!!
うーん、なんでだろう?
なので、ちょいと調べてみました。 
そうやなー。そのために、命かけてまで大海原
に出かけてゆくかー

そう思ってくれた方、応援してから続きを読んでくださーい
お願いします♪
![]()
ありがとうございます 
posted by mituko at : 2007年10月09日
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2007.10.08
東アジアの基層にある二重構造 ~中華と辺境の民族~
東アジアには2種類の基層文明があるように思う。
遊牧・掠奪闘争の流れを汲む黄河文明と、原始文明の流れを汲む長江文明の二つ。それぞれ、牧畜・畑作文明と稲作文明とも言われる。
黄河文明は、西北に広がる中央ユーラシアの草原地帯を通して、西アジアに連なる文明であり、メソポタミアやヨーロッパに近い性質を持っている。それに対して、長江文明は、中国の南方に連なる東南アジアの稲作地帯に連なり、海上を通して日本に通じていた。
![]()
中国まるごと百科事典よりお借りしました
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posted by ihiro at : 2007年10月08日
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2007.10.07
中国戦国:斉の首都 臨淄①~市場の起点:遊楽用の離宮の様子
臨淄の人口は、約五,六十万人をかぞえていたわけで、これは、古代においては驚くべき巨大都市である。この臨淄の市民には富裕なものが多く、町は市場を中心にして娯楽、演芸が盛んで、音楽・闘鶏・ドッグレース・博打・蹴球・曲芸その他あらゆる種類の娯楽が盛行していた。大道には車がぎっしり詰まって停滞しており、街路は遊行の人々が互いに肩と肩とが触れ合うばかりであった。そして、このような臨淄のにぎわいに匹敵するような都市が何ヶ所かあったというから、戦国時代の中国における都市の繁栄は驚くべきものである。(古代中国 講談社学術文庫より)
今晩は、さーねです 😮 今日は中国:戦国時代の都市:斉(セイ)を通じて、さらに市場の様子に迫りたいと思います。日本は縄文晩期~弥生前期にさしかかったところ…そういう意味で、筆者同様僕自身も驚きでした ![]()

斉の首都 臨淄:実は河と海に近い…海上交易品も市場に流通したかも
今日も応援よろしくお願いします

![]()
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posted by sawatan at : 2007年10月07日
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2007.10.06
長江文明が日本に伝えたもの
こんばんは、中国文明からetoです。
以前の投稿で、 「長江文明の担い手『苗族』が日本に渡来し、稲作文化を伝えた」と紹介しましたが、
稲作以外にも長江文明に起源をもつものが多くあるようです。
いったい何が伝わったのか、どのような共通点があるのか、紹介します。
● 『ブナ林と古代史』では、稲作と鳥と太陽信仰と山岳信仰が長江からやってきたと述べています。
・太陽信仰と鳥信仰は日本の神話でも見られる。
皇室の祖神である天照大神は日の神、即ち太陽神そのものであった。
神武天皇東征のとき、熊野から大和に入る路を先導したのが天から下された「八咫(やたがらす)」という大烏であった。更に伊勢神宮、熱田神宮など多くの神社では、「神鶏」は日の出を告げる神の使いとして大切にされている。
・苗族が住む雲南省と日本の間では、従来から多くの文化的共通点が指摘されていた。味噌、醤油、なれ寿司などの発酵食品を食べ、漆や絹を利用する。主な蛋白源は魚であり、日本の長良川の鵜飼いとそっくりの漁が行なわれている。
●次に、 (リンク)では、神社信仰の起源を中心に、日本文化の基層はアジア南方の照葉樹林文化にあると述べています。
・神社に特有とされる高床式建物、千木・鰹木は、広くアジアに目を向けると揚子江流域の江南地方およびタイ、ミャンマーなどの東南アジア山岳部に住む少数民族社会にその原型と考えられるものが現存する。
雲南省は苗族村の高床式建物です。
・鳥居と形態の似たものは雲南省や東南アジア北部の山岳地帯の少数民族の集落などに見られ、左右二本の柱の上に木を横に渡し注連縄が飾られるという。ただ、これらの地域では鳥居は「社(やしろ)の門」ではなく「共同体の門(ロコーン)」である点が日本の鳥居と異なる。
・いれずみと断髪、歌垣、アニミズム、山岳信仰、赤米と穀霊信仰、そして農具や木・竹・わらの道具、下駄、草履などの日本人になじみのあるものも共通して見られる。
・ワラビ、クズの根、カシ、トチなどの堅果を水に晒してあく抜きする技法、養蚕から絹を加工する技法、ウルシの樹液から漆器をつくる技法、柑橘類の栽培と利用、麹を用いた酒の醸造などが挙げられる。
・納豆の製造もこの地域が起源であって、粘つく納豆は日本独特だが、京都に伝承される大徳寺納豆、愛知県豊橋市に伝承される浜納豆などの乾燥納豆は雲南地方にも見られる。
・焼畑の開始期に行われる儀礼的狩猟や、その収獲期に行われる八月十五夜の祭り、そして鵜飼いの風習など文化人類学、民俗学的観点から興味深い習俗、儀礼もこの地帯に広くみられる。
・以上述べたことをまとめると、少なくとも神社信仰の基層は中国江南地方を中心にアジア南方に広がる照葉樹林文化の一要素であって、古い時代に稲作などとともに複合文化として日本列島に渡来したと考えるのが自然であることがわかるだろう。
※こうして見ると、随分と色んなものが伝わっていることが分かります。
調べると、もっとありそうですね。鵜飼いや納豆もとは、、、!
アジア南方の照葉樹林文化が長江文明を担った民によって伝来されたのでしょう。
このように風習や習俗が伝承されたとなると、気になるのは、その思想的背景も一緒に伝わったのではないか、という点。つまり同じ長江流域の母系共同社会で生まれた道教(民俗信仰)ですね。
この点はまた次の機会に追求していきたいと思います。
ありがとうございました。応援、お願いします!
![]()
posted by nishipa at : 2007年10月06日
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