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旧石器&縄文:世界最古の土器出現の謎~環境考古学の視点

今晩は、さーねです 😮 今日は環境考古学の視点から、土器出現の謎に迫りたいと思います。この環境考古学は、当時の自然外圧状況を把握し、出土物含めて、当時の人々の生活様式を解明しようとするものです。自然外圧を把握するという点では、なかなか優れた学問ではないか…ということで、最近このような本を読んでおります
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土器の必要性は、このブログでも投稿されていますが、その必要に迫られた状況=自然外圧は実は明確になっていません。今日はそこを環境考古学を通して鮮明にできたらと思います 😛

数十万年にわたって石器のみの文化の中にあった人々が、突然、粘土をこね、焼成して土器をつくりはじめる。それは人類の文化史の中では、極めて画期的な出来事であった。

確かに、そうなんですよね。これは、画期的であったはず 😛
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世界最古の土器出現の謎…「環境考古学事始 安田喜憲 洋泉社新書」より紹介していきます

世界最古の土器は日本でみつかった。長崎県佐世保市吉井町の福井洞穴遺跡からみつかった。第3層からは…(中略)…隆線文土器がみつかった。この第3層に含まれる木炭の14C年代を測定したところ、実に一万四八〇〇年前という値が出た。

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これです 😮

すなわち、土器は寒冷な氷河時代から温暖な後氷期へ移行する過渡期に出現した。その移行期は晩氷期と呼ばれ、今から約一万五〇〇〇年前に始まった。その時代は、一時的な気候の温暖化で特徴づけられ、これまで優占していた亜寒帯の針葉樹林にかわって、カバノキ属・ハシバミ属・ブナ属・コナラ属・ニレ属などの落葉広葉樹林が拡大した。それはまた草原が縮小し、森が拡大することを意味していた。すで述べた福井洞穴遺跡の最古の土器出現の時代は一万四八〇〇年前であった。このことは、晩氷期の気候の温暖化の開始期と、これにともなう落葉広葉樹林の拡大期が、土器出現の時代とほぼ一致することを示している。

隆線文土器が誕生した長崎県周辺には、コナラ・クリなどの温暖帯落葉広葉樹林が生育していた。落葉広葉樹林の拡大は、人々にドングリやクリ・トチなどの木の実を食料とすることの重要性を教えたことであろう。毎年秋になると落葉して、木の実をいっぱいにつける落葉広葉樹の森の中で生活を始めた時、人々は土器をつくることを考えだしたのではないか。

付け加えるとすれば、落葉する秋にしか収穫できないということ。実は、煮焚き・アク抜きという機能性ももっているが、土器の最初の起点は貯蔵であった

さらにこの時代に入ると、旧石器時代の人々の重要な食料資源となっていた大型哺乳動物が、人口の増加と乱獲によりしだいに減少していった。ヨーロッパでは、この減少に拍車をかけたのが、この晩氷期の気候の温暖化であったと考えられている。とりわけ氷河時代の大型哺乳動物の多くは、アレレードの温暖期に絶滅したと考えられている。

温暖化にともなう落葉広葉樹林の拡大と草原の減少はこうした動物たちの生活の場をうばってしまった。また後述するように、日本列島ではこの時代に入ると、積雪量が増大した。この積雪量の増加によって、大型の哺乳動物は冬の間、十分な食料を確保できなくなった。日本列島ではこの冬季の積雪量の増大が、大型哺乳動物の絶滅を早めた一つの要因と考えられる。こうした晩氷期の気候の温暖化にともなう落葉広葉樹林の拡大と大型哺乳動物の減少の中で、必然的に植物性食料の重要性が増した。人々は、木の実を集めそれを加工し貯蔵するための容器として土器をつくり始めたとみることはできないであろうか。これまで、土器の誕生は西アジアでみられるように、農耕活動と密接に結びついて発生したと考えられてきた。しかし、日本列島においては、最古の土器は、落葉広葉樹林の拡大と密接な
かかわりがあるように思われる。

温暖化は、決していいことばかりではなく、一方で狩猟対象となる動物が減少することになった。これもまた土器が生まれる要因
西アジアの土器が農耕に密接に関係していたのに対して、縄文土器は徹底して自然外圧に対応するためだった。この違いもとても面白いですね 縄文の生活様式が徹底して自然 の摂理に基づいていたことがうかがえます 😮

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