2007.11.13
シャーマンは神官の始まりか?
縄文人の意識の基底部に、「万物の背後に精霊を観る」という精霊信仰があったことは疑いようがないと思います。
しかし、この精霊信仰も、晩期頃には、シャーマニズムへと変質していくようです。
シャーマンがプロ化するのと同時に、縄文社会に広がっていった抜歯の風習。
両者の関係を追ってみたいと思います。
◆縄文晩期の徴兵忌避より
《引用開始》
巨大石棒の生産は、中期縄文の中心地域・中部山地で盛況を見たが、おそらく、共同体にかかる負担が、大きすぎたからだろう、人口減少の激しくなった、後期に入って衰え、晩期には、ほとんど見られなくなってしまう。
もちろん、石は千年たっても腐らない。
一つ作ってしまえば、補充の必要も、そうはあるまい。
だが石棒作りが衰えれば、信仰そのものの変質は当然である。
陽気な男祭りの祝祭性は薄らぎ、陰気で、もったいぶったシャーマニズムが、勢いを得る。
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posted by naoto at : 2007年11月13日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.12
タバコの伝播は大航海時代から
またまた大航海時代のお話です
大航海時代では世界中で農作物や人、物などが今までになく行き交うようになりました。そこで初めて南米から世界へとタバコが広まっていくのです。
コロンブスの探検隊は、新大陸に到達し、友好のしるしとして、先住民にガラス玉と鏡を贈ると、彼らは返礼に珍しい果物などとともに「香り高い乾燥した葉」を差し出しました。
これが、ヨーロッパの人が手にした初めての タバコ です。
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posted by pingu at : 2007年11月12日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.11
アステカってどんなところ?
インカ文明、マヤ文明とくれば、次はアステカ文明ですかね。でも、アステカってどこ?
インカ帝国は、南米ペルーの山岳にマチュピチュを築きました。マヤ文明は中米のジャングルの真っ只中でした。今回はこれら2つの文明に引き続いて「アステカ文明」について調べてみます。
三つの文明の共通点や相違点がどのように生まれたのかを探求していくことで、国家統合や人間の原点に迫れたら面白いですね。
太陽の暦石 都があったテスココ湖
posted by hiroshi at : 2007年11月11日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.10
「日本考古学の発祥」に感じたこと
縄文ファンのみなさま今晩は。
今日は、考古学の基礎情報をお届けします。
下の写真の「考古学発祥の地」って、どこだかご存知ですか?
何を今さら!常識じゃん!っていう方は少しご辛抱を 😉
答えは、東京は大田区の大森駅にこの碑があります。
そう、大森貝塚の地ですね。
この貝塚を最初に発見したのは、アメリカ人の動物学者エドワード・シルベスター・モース。
腕足類という生物の研究のため1877年(明治10)来日し、初めて上京した6月19日、横浜から東京に向かう汽車の窓から貝塚を発見したそうです。詳しくはコチラ
大森停車場を過ぎた線路脇、鉄道建設のため削られた斜面に貝が大量に露出しているのを見たモースは、それが貝塚であることを直感し見逃さなかったようです。
明治5年に開通して以来多くの日本人が同じ風景を見ていましたが、誰も古代人が捨てた貝の堆積した物だとは気付かなかったわけですね。もし、モースが海側の座席に座っていたら貝塚の発見はもっと遅れており、日本の考古学の始まりも数十年は遅れていたのかもしれませんね。これってスゴイ!
貝殻が堆積している様子 発掘の様子
モースの大森貝塚の発掘は日本初の学術的発掘であり、調査報告書の発行も初めてのことでした。このことから大森貝塚が「日本考古学発祥の地」と呼ばれています。
ちなみに、大森貝塚からは縄文式後期の土器や土偶、石斧、石鏃、骨角器など、動物の骨はサル、シカ、犬、鯨を含む大量の貝殻などが発掘されています。モースは発見された土器に“cord mark pottery”と名づけ、その和訳から“縄文(土器)”という言葉が生まれたそーです。
大森貝塚といえば学校でも習ったし、なにより大森の隣の駅に会社があってすぐ近くなのですが、外国人が、しかも電車の中から発見したというのは全く知りませんでしたし、驚きでした。
なにも遺跡の発見など大それたことではなく、普段私たちが何気なく暮らしながらも見過ごしてしまっている大事なことって、実はいっぱいあるんじゃないかな~って思いました。
「なんか気になるなー」、「それって本当かな~?」、「何でそうなんだろう?」、「なんか違うような気がするな~」などなど、ついつい曖昧にしてしまい時間が経つと忘れてしまいます(そんなことありませんか?)。 そう感じたら、潜在思念の囁きにフタをせず、耳を傾け、とことん探ってみることが大事だなー、などと感じる今日この頃、、、etoでした。
注)実際に貝塚があった場所は大森駅から徒歩5分ほどの距離にあり、モース達が大森駅で降りて発掘に向かったことから”Shell Mounds of Omori”と報告し、大森貝塚となっているわけですが、住所は品川区大井でして、例によって大田区と品川区との間で“ご当地争い”があったとかなかったとか、、、そんなのどーでもいいです。
最後まで読んでいただいてありがとう♪ 応援お願いいたします。
posted by nishipa at : 2007年11月10日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.09
『日本人』と『大麻』の関係3
みなさんこんばんわ!
前回の
『日本人』と『大麻』の関係
『日本人』と『大麻』の関係2
に引き続き今回も
麻生結のひとりごと
から引用させていただきます。
クリック クリック
posted by mrran at : 2007年11月09日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.08
なんで縄文人は物を大切にしたのか?
最近、読んでいる本の中で、ふと気付いた一文がありました。
>縄文人は物を大切にした(環境考古学事始 安田喜憲著 洋泉社新書より)
それに比べて、現代社会はなんと物を無精に扱っているか?いかに無駄を生み出しているか?皆さん実感しているところだと思います 🙁
環境問題が叫ばれている中、それら問題も市場拡大・利益第一の中で宣伝文句として利用されてしまい、問題は一向に解決する様子さえ見せない
置かれた状況は全く違うだろうが、なんで縄文人は物を大切にしたのか?そこに学んでみたいと思います 😮
縄文早期の木器です♪
歴史事実から得るものはたくさんある
今日も応援よろしくです
posted by sawatan at : 2007年11月08日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.07
縄文時代の野菜って?
こんばんは~ 。みつこです 😀 。
みなさん、野菜 食べてますか?
なかなか外食、コンビニ食が多い人は十分に取れているとはいいがたい、、、ですよね。
ところで、縄文人ってどんな野菜を食べてたのかな~?
栗、どんぐり、、などの木の実は当然として、葉っぱものってあったのかなぁ?
そんな疑問が沸いたので、調べてみました~☆
応援のあと、読んでくださいね
ありがとうございます
posted by mituko at : 2007年11月07日 | コメント (7件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.07
大航海時代にヨーロッパ人がもたらしたもの=病原菌
こんにちわちわわです。
今回も大航海時代にからんだ話題から。
大航海時代、ポルトガル、スペインの中南米への進出により、インカ帝国やアステカ帝国はあっという間に滅ぼされます。その理由の一つが銃火による圧倒的な戦力であることは言うまでもありませんが、もっと恐ろしいのはヨーロッパ人が持ち込んだ病原菌です。コルテスによる征服の直前、メキシコ中央部の人口は2500万でしたが、50年後には265万人に激減しています。
また、ペルーでも、80~90%の人口が失われたと言われています。
これは、現地人が奴隷化され、金銀採掘やサトウキビ栽培で酷使されたことも一因で、確かに多数の死者がでているようですが、ヨーロッパ人がもたらした天然痘、はしか、マラリアなどによってアメリカ大陸の住民が受けた影響のほうが、はるかに甚大でした。
⇒
古くから牧畜を行い、他国との交流も盛んだったヨーロッパ人はある程度病原菌に対する免疫力を高めていたのに対し、中南米大陸の人達はこれまで他の大陸の人と接することが無かったために、免疫力が無かったのです
アフリカ大陸の黒人を奴隷として大量につれてきたのも、現地人の人口減少により、労働力が圧倒的に不足したためで、同じく植民地化されたアジアの国々は免疫力を持っていたため現地人で労働力を確保でき、奴隷貿易の対象にならなかったのが大きく異なるところです。
他国と接触の無かった日本でも古くから疫病は恐ろしいものとされてきましたが、大量死にいたる本因は飢饉による飢餓によるもので、本格的に疫病が蔓延するのは中国大陸に戦争に赴くようになる明治後期から大正時代あたりです。
幸いな事にこのころには既に西洋医学がもたらされ抗体物質の投与も可能で、アメリカ大陸のような悲劇は回避できたものと思われます。
もう一つ、日本人の他国と異なるところは、非常に清潔だったところです。清掃の習慣の無い中国などとは決定的に異なります。
日本人よかったな・・・と思った方↓↓ぽちっと!
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posted by tiwawa at : 2007年11月07日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.03
中国:数々の歴史書の輩出は何を意味しているか?
歴史事実を発掘するという作業は大変だなと思う今日この頃 中国は、発掘調査と共に、やはり数々の歴史書から当時の社会背景をしっかりと押さえ、その上で読み解くという作業が一定必要だと思う 最近、中国の歴史書の代表格『史記』を読んでみようと思い、以下の著書を読み進めているところです 😮
『史記・貨殖列伝を読み解く 林田慎之助著 講談社』
中国は、歴史書の数でも有数の文明であると思うのですが、なぜ、そのような歴史書が数多く輩出されたのか?ここは実は不思議なところでもあります。それと共に、歴史書を読み解く上で、ここはしっかり押えておいた方がよい。その、手掛かりになりそうなところを今日は紹介しようと思います 😮
発憤著書ということばがある。文字通り、憤りを発して書物を著すという意味のことばであるが、これを最初に使ったのは、司馬遷であった。司馬遷は、思想・文学を言語に表現した著作を創造する動機には、作者の側に発憤の心的状況が存在していたと考えるもので、中国の古典的作品を創造した著者たちのおかれた状況に照らしてみても、発憤著書の動機説を認めざるをえないと語っている。
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posted by sawatan at : 2007年11月03日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.02
『日本人』と『大麻』の関係2
みなさんこんばんは
以前(2007年10月12日)に“『日本人』と『大麻』の関係” を紹介し、
>縄文時代、何故土器に大麻の縄の模様をつけたかについては又の機会に考察していきます!
>縄文時代も大麻のもつ神秘的な力について、認識していた可能性が高いですね。これについても又の機会に考察していきます!と書きました。
写真はネパールに自生するヘンプ(大麻)を、手紡ぎで2本取りにして撚り上げた糸です
今回は上記についてまさに考察されているサイトを見つけたのでまずは紹介します。
麻生結のひとりごと ←これね!
また、当ブログでは上記サイトを数回に亘って紹介しようと思いますが、全編を読みたい人や次投稿まで待ちきれない人は是非上記サイトまで訪れてください。
ではいつものように↓これよろしく。。。
posted by mrran at : 2007年11月02日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList