2007.12.09
アーサー・フェリルの『戦争の起源』
戦争の話題が続いていますね、私もちょっと調べてみました。
最古の集団的暴力の痕跡は、 1万4000年~1万6000年前のアフリカ・ヌビア地方、ナイル川上流のジェベル・サバハ墓地で見つかった58体中24体の人骨の殺傷痕および凶器としての石器に認められ、これが戦争の起源の一つの定説となっているようです。このジェベル・サバハ墓地の遺跡が戦争起源の定説となったのは、アーサー・フェリルの『戦争の起源』によるようです。
以下、『戦争の起源』より引用して、その根拠について要点を紹介します。
●戦争の定義
「組織化された戦争」の最良の定義は、一語で足りる。すなわち陣形がそれである。
兵士たちは陣形を組んで戦場に送り出されるとき、そして指揮官のいない勇士たちの一団としてではなく、司令官ないし指揮官のもとに一体となって行動するとき、「原始的な」戦争から「本当の」、すなわち「組織化された」戦争への境界線を、すでに超えているのである。
原始的な戦争は、待ち伏せ攻撃、宿怨に根ざす争い、偶発的な小戦闘からなる。
●武器技術の発達
武器と戦争には明らかに密接な相互関係がある。
前一万二〇〇〇年から八〇〇〇年にかけての亜旧石器時代および前期新石器時代には、武器技術に革命が起こった。圧倒的に強力な四つの新しい武器が出現したのである。これらの武器は(旧石器時代の槍とならんで)、紀元一〇〇〇年以降に至るまで、最も有力な武器として戦争の帰趨を左右した。すなわち、弓、投石器、短刀および鎚矛がそれである。こうした革命的な新しい武器技術の発達にともなって軍事上の戦術が考え出されるにおよんで、歴史的な尺度から見て初めて本当の意味での戦争が発生したのである。
●戦略と戦術
戦争の歴史のうえではるかに重要なのは、新石器時代のはじめまでに、戦略と戦術が応用されるようになり、計画に従って軍隊が編成されていた証拠があることだ。
新石器時代の遺跡から証明できる限りで最も確実に言えるのは、縦隊、横隊の展開がすでに行なわれていたことである。
以下の絵を、この根拠として説明しています。
なるほど、縦隊や横隊などの陣形を組んだ組織的戦闘であること、高度な武器技術があること、が条件のようですが、
★アフリカの戦争の起源を証明するのに、スペインの絵を持ち出すのはなんで?
★スペインの絵はいつの時代のものかハッキリ書かれていないが、なんで?
★スペインの絵のひとつ(上)は狩に行くときの絵のように思えるが、これが兵士である根拠は?
★もうひとつの絵(下)も著者自身が書いているように、側面攻撃の陣形というより、自然の成りゆきでそうなったようにしか見えない。
あれこれと疑問が沸いてきますが、続いて本題のジェベル・サバハ墓地の遺跡の記述を見てみましょう。
その前に、応援よろしくです。
posted by nishipa at : 2007年12月09日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2007.12.08
戦争の起源、現代人はどう考えているか?
戦争と文明は、いわばセットであるかのような深い関係にあります。
そこで、戦争の起源についてみていこうと思うのですが、
まずは、
「戦争の起源は一般にはどのように考えられているのか?」
ジョン・キーガン氏(イギリス)の『戦争と人間の歴史』における考えを紹介します。
(たぶんこの説あたりが現在の主流の説では?)
60年前、アメリカの原子爆弾を使った広島攻撃
posted by nandeya at : 2007年12月08日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2007.12.06
「奥深き縄文ワールド」第2弾
さて「縄文ワールド」第2弾です。
今回も縄文アートを堪能してください
今にも動き出しそうなユーモラスな土偶です(「後期」青森」近野遺跡)
先に進む前にクリックを願います
posted by ryujin at : 2007年12月06日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2007.12.05
マリタ遺跡より極寒地での古代人の暮らしを垣間見る
こんばんは。
前回のエントリー以降、縄文人はじめ、古代人の人々の暮らしやその生活技術等に興味があって、ちょくちょくネット上を探索しているのですが、今回は縄文人のルーツと言われている、シベリアの旧石器人について、その暮らし等を紹介していきたいと思います。
以前、このブログでも、SimasanさんやHiroshiさんのエントリーによって、紹介されていますが、シベリアの旧石器人を参考にする上で、必ず紹介されるのが、マリタ遺跡です。
http://www.kodai-bunmei.net/blog/2007/06/000242.html
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/11/000386.html#more
今回は、主に、この遺跡を通じてシベリアでの古代人の生活ぶりを紹介させていただきます。
まず、マリタ遺跡は、何時ごろ、がどんなところにあったのか。
>今からおよそ2万5000年前、現在より平均気温が7~8度も低かった最終氷期に、人類は、シベリアに通年使用する「定住」的なムラを築き始めました。シベリアの古都イルクーツク市の北西80kmに世界的に有名なマリタ遺跡があります。2万3000年前のマンモスハンターの遺跡です。
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/2/2-06.html
2万5000年前なんでんすね。シベリアというだけで寒そうですが、現在よりも平均気温が7~8度も低かったので、相当寒かったのではないかと思います。
ちなみに現在の、現在のイルクーツクの気温は、
>夏期の平均気温は15~20度程度。冬期は-25度前後と大陸性の気候。冬の積雪はそれほど多くはないが、夏は雨も多い。冬は-30度を下回る日も多いので防寒には注意が必要。
http://www.pref.niigata.jp/seisaku/kokusai/yuko/ru_iru/index.html
確かに冬は極寒といってもよさそうですが、実は、シベリアといっても、夏場は、私たちが想像しているよりは、暖かかったようです。
>「大陸性の気候のシベリアは、冬はものすごい寒さですが、夏は実に暖かいのです。今でも内陸の盆地では+40度近くまで気温が上がることがよくあります。氷河期もそれは同じでした。夏は気温が上がり、緑の草木に覆われました。動物の成長に適した豊かな環境だったのです」 実際、氷河期のシベリアには、こうした豊かな環境を示す「オープン・ウッドランド」と呼ばれる地域が、幅広い帯びのように東西に連なっていた。「開けた森」。疎林の間に草原が広がるアフリカのサバンナのような場所だったと考えられている。(「北限の古代史―1」「原人のフロンティア・極寒の地へ進出」)http://kodaisi.gozaru.jp/kitanokodaisiB/kitanokodaisi/manmosunoato/manmosu.html
とはいえ、冬場は、とてつもなく、寒いところに暮らしていたことにはかわりありません。
では、その冬の寒さをしのぐ為に、どのような工夫をしていたのか。
↓よかったら、ポチット押してから、続きをご覧、願います。↓
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posted by yuyu at : 2007年12月05日 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2007.12.04
銀がヨーロッパの世界制覇をもたらした
――現在の進んだヨーロッパと遅れたアジア・アフリカという近・現代世界史の構造ができあがったのいつ頃のことだろう。
この疑問を解く鍵に『銀』の存在は欠くことは出来ない。
続きはポチっと押してからどーぞ。
posted by hi-ro at : 2007年12月04日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2007.12.03
西アジアにおける戦争の起源と拡大 ~ 『都市誕生の考古学』より~
くまなさんが世界の戦争の起源を詳しく調べていましたが、
世界の戦争起源(戦争の考古学より)
その中でも、最も古そうで遺跡も多い西アジア地域について、さらに調べてみました。『都市誕生の考古学』では特に以下の考古学的証拠から、戦争の跡を探っています。
①-守りの村=防禦集落(高地集落、環濠集落、防壁、壕、防禦柵など)
②-武器
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posted by ihiro at : 2007年12月03日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2007.12.02
中国:戦争の起源~環濠集落・囲壁集落の意味
先日のくまなさんの記事世界の戦争起源(戦争の考古学より)はなかなか興味深い記事だと思います。歴史上、戦争が起きることによって、社会構造は大きく変化を見せるからです。文字通り、中国は古くから戦いの歴史があり、その起源がどのようなものであったか?を探ることは、中国という国の本質に迫ることにもなると思います 😉
今日は、中国の戦争の起源に関して、よく議論の対象となる、環濠集落と囲壁集落の意味に関する説を紹介したいと思います 😮
本当の戦争の起源は?皆で追求しませんか?
posted by sawatan at : 2007年12月02日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2007.12.01
日本にある縄文博物館
縄文時代を調べているうちに、縄文時代をテーマとしている博物館にいきたくなりました。 🙄
そこで日本にある主な縄文の博物館を調べました。
各博物館のホームページを見ているだけでわくわくしてきますよ。
もよろしくね :blush:
posted by norio at : 2007年12月01日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.30
弓矢の発明前夜、日本の黒曜石が大陸に運ばれた理由!
Simasanです。 😀
前回は「縄文の超集団統合は、北方民族から取り入れられた手法か?」
を扱いましたが、今回は、2万年前までの寒冷化、その後の温暖化という気候変動と、黒曜石によって劇的に変化した狩猟技術の発達が、以降の縄文集団の生活に大きく影響を与えたのではないか?という仮説の下に、その流れを詳しく調べてみました。
「黒曜石のふるさと」より
もっと知りたいっと思った方は、ポチッと お願いします!
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posted by simasan at : 2007年11月30日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.28
世界の戦争起源(戦争の考古学より)
😀 くまなです
日本における戦争の起源~戦争の考古学的証拠~で、日本における戦争の起源をやりましたが、世界についての起源に触れていなかったので、佐原真の「戦争の考古学」から、世界の戦争起源について紹介します。
日本の起源のところでも扱いましたが、考古学は、どのような考古学的事実をもって、戦争のあった社会、あるいは戦争を知っていた社会を認識するか。以下の中からひとつでも有力な証拠があれば、たがいに補いあって証拠となる、としています。(本格的な城、城塞は除く)
①-守りの村=防禦集落(高地集落、環濠集落、防壁、壕、防禦柵など)
②-武器
③-殺傷(されたあとを留める)人骨
④-武器の副葬=遺体に副えて武器を葬る
⑤-武器形祭器=武器の形を模した祭り・儀式の道具
⑥-戦士・戦争場面の造型
「戦争の考古学」では、世界各地で戦争の起源を考古学はどうとらえているかを紹介している。これを、概ね5000年前のものまでを、時系列で表にまとめました。
その前に、ポチっと応援よろしくお願いします。
posted by kumana at : 2007年11月28日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList