「奥深き縄文ワールド」第2弾 |
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2007年12月08日
戦争の起源、現代人はどう考えているか?
戦争と文明は、いわばセットであるかのような深い関係にあります。
そこで、戦争の起源についてみていこうと思うのですが、
まずは、
「戦争の起源は一般にはどのように考えられているのか?」
ジョン・キーガン氏(イギリス)の『戦争と人間の歴史』における考えを紹介します。
(たぶんこの説あたりが現在の主流の説では?)
60年前、アメリカの原子爆弾を使った広島攻撃
下は、メソポタミヤでの戦争の記録。複数の馬をつかった戦車です。
紀元前2600年前?ウルで発掘 大英博物館所蔵
ジョン・キーガン氏曰く、まずイギリスで、もっとそれらしく語られている戦争の起源は、
>最終氷河期の終期。氷河が後退した後に、動物を飼い馴らし、農耕を始めていた我々の祖先に対して、狩人であった別の我々の祖先が仕掛けた攻撃に、それ(戦争の起源)を求めるものである。
こうした牧畜民や農耕民は、たやすく狩猟民の餌食となった。 農耕地のはずれの彼方に広がる荒野から、何の警告もなしに出現し、掠奪や殺害を行う侵入者たちに対して、彼らが身を守ることを学ぶには、長い年月が必要だった。 最初に彼らが採った防衛の形態は、堡塁を築くことであったが、やがて固定された防御施設の価値が少ない事が認識するようになると、彼らは敵に対して攻撃し始めるようになった。・・・・
そして、戦争の起源を研究している学者の論争を上げ
1.本性論者:何か人間本性のなかに埋め込まれている根拠を探索しようとする人々
2.人間本性の作用した外的なあるいは偶然的な影響に根拠を求める人々
にわかれる。
とした上で、1の本性論者が敵対する二つに分かれるとしています。
1-①[少数派]人間は他の多くの種がそうであるように本性的に暴力的である。
1-②[多数派]暴力を非本性的な逸脱した活動とみなし、欠陥のある個人、特殊な挑発や刺激に対する反応として見られるものだとする。
に分類しています。(彼自身は多数派に組しています)
さらに、戦争の起源を学問分野毎にスケッチし、
「大脳生理学」:大脳辺縁系の「攻撃の座」が起源?
前頭葉の情報が大脳辺縁系の攻撃感情とどう結びつくか?まだ明らかではない。
「遺伝学」:攻撃性の強い個体やY因子が起源?
攻撃性の強い個体が品種改良的に増えたとは考えにくい。
「心理学(フロイト)」:妻の掠奪が起源?
妻の掠奪が未開人の争いの一般的な理由。これが原始的戦争の理由という考えもあるが、この考えでは全く戦争をしない未開人を説明できない。
「人類学(社会ダーウィニズム派)」+「動物行動学」:狩猟集団起源説?
コンラート・ロレンツ(ノーベル賞学者)『領域性の理論』:肉食動物は強いもの対して反射的に服従する本能があるが、武器を手にした人類はその(服従反射の)本能が作動する範囲を超えた。(→戦争)
ロバート・アードレー他:狩も戦闘も、個人が集団をつくって行った方が獲物がたくさん取れる。(→戦争)
「人類学(反ダーウィニズム派)」
マーガレット・ミード(アメリカ)『戦争は発明にすぎず、生物学的必然ではない』:サモアが理想社会。自由な恋愛が性的な嫉妬をなくす。
次世代の人類学者の未開部族の研究:非常に暴力的な社会もあれば、平和的な社会もある。未開人は戦争の敗者にすぎないという考えもある。儀礼的ないし象徴的な戦闘の慣習あり。
「考古学」メソポタミヤ起源説1
1万年前:川の流域や水源近くに農業共同体が出現?狩猟民は羊や牛を狙う?
紀元前8000年前:防御設備のある都市の遺跡(イスラエルのエリコ遺跡)
大河のあるエジプトとメソポタミヤで農耕が興る。
エジプト(ナイル川)はその両側が砂漠、南は滝で囲まれて軍事的挑発を受けなかったが、メソポタミヤ(チグリス・ユーフラテス川)は、近くの山岳からの攻撃を受けやすかった。
また、チグリス・ユーフラテス川は水の流れが緩やかなので、水の配分をめぐって紛争が起きやすかった。
文字の記録、防御施設、鉄製の武器や甲冑の考古学的検証から、メソポタミヤでは紀元前3000年頃から軍事制度の発達が見られるとし、その紛争は平野に点在する都市が争い合うことで権力の中心が融合。防御的な戦争から離れ、攻撃的な戦争の観念を持つようになったとしています。
「考古学」メソポタミヤ起源説2
軍事が発達した事実の文字による記録として、
紀元前2700年頃:ギルガメッシュ叙事詩に「疑いもなく攻撃的な軍事行動と見なせる物語がある」とし、
紀元前1300年頃:アッシリア帝国は本物の軍事的帝国。 アッシリア帝国は野蛮な侵略者を国境で追い払う段階を超えて、敵に対して攻撃を仕掛けるようになった。 常備軍の創出、騎兵・戦車兵・歩兵のほか工兵・補給部隊のような幾種類もの専門の兵員集団が構成されていた。としています。
ジョン・キーガン:1934年生まれ イギリス人
実体験としての戦争体験はない「アカデミック」な戦争研究家、1960年~1985年までイギリス王立陸軍士官学校の軍事史教官を勤める。在職中から「戦闘の顔」「指揮の仮面」「戦争の歴史」「第二次世界大戦」「第一次世界大戦」などの著作が40点ほどある。
ところで、戦争の起源を研究している「学者の論争」というのが気になったので、ちょっと調べてみました。
歴史を忘れ、考古学的検証もない時代、それでも目の前で起こる戦争の起源を「思索」によって考えようとした学者達。
論争は、西洋の近代思想に端を発します。(論争の起源?)
●ホッブスの説 (→戦争は、人類古来からあったとする説の最右翼か?)
人類の自然状態は、「各人の各人に対する戦争」
原始人は、「卑劣で残忍で短気である」
従ってホッブスにとっての政治とは、
自己の欲求を追及し、他人に優越しようとする情念の持ち主たる人間が、限られた量の財をめぐって繰り広げる「各人の各人に対する戦争(bellum omnium contra omnes)という自然な状態と、その克服として「人間に対して狼である人間(homo homini lupus)」を、罰の恐怖よって震え上がらせ、法の遵守に強制する国家である。
●ルソーの説 (→戦争は、富の蓄積によって発生したとする説の最右翼か?)
「文明以前」の「自然状態」においては、人間は「善性なるもの」として存在。 「富の蓄積」に象徴される「市民社会」によって堕落し、戦争が始まったとする。
―――――初めて土地に囲いをして、「これは私のものだ」ということを思いつき、かつ、それを信じてしまうほど単純な人たちを見出した人物こそ、まさに市民社会の創設者だった。そのとき、杭を引き抜き、溝を埋めて、同類たちに向かい、「こんなイカサマ師の言うことなんか聞くな。果実は皆のものであり、土地は誰のものでもない。それを忘れたお前たちは身の破滅だ。」と叫ぶ者がいたなら、いかに多くの犯罪、戦争、殺戮、いかに多くの惨事、災厄を人類は免れる事ができたであろうか! 『人間不平等起源説:ルソー』――――
350年前のホッブスと、250年前のルソーが思い描いた戦争の起源゙は、現代のわたしたちの戦争の起源のイメージにかなり近い事が驚きです。 現代ではかなり考古学的物証も出てきているにも関わらず、正反対の2つの仮説に決着がついておらず、進歩していないのが残念です。 あらためて事実整合する仮説の必要を感じました。
by tamura
投稿者 nandeya : 2007年12月08日 TweetList
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