2007.11.27
土器は男性が作ったか、女性が作ったか?
土器は男が作ったか、女が作ったか?これはよく議論されるテーマです。
川崎 保氏の縄文「ムラ」の考古学にこのテーマについて書かれていた部分がありましたので紹介します。
まずはG・Pマードックの調査による現存する世界224の民族(1989)の
男女比生業表を以下に示します。
男:女
この比率を見れば、土器の製作は女性である可能性が高いと言えます。
土器は男が作ったと思われる方、ポチリと
posted by tano at : 2007年11月27日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.23
アステカ てどんなとこ パート2
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/kuni/yomo23.html
現在のメキシコを中心にした文明はアステカ以前にいくつもあったことが分かっています。そこでちょっと歴史を復習してみたいと思います。
マヤは以前の紹介のように、かなり古くから連続的に繋がっていますが、 :アステカはどうでしょうか?
興味のある方 クリックしてからね。
posted by dokidoki at : 2007年11月23日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.22
奥深き縄文ワールド
「亀ヶ岡遺跡遮光式土器」の迫力ある巨大なレプリカ(亀ヶ岡駅前)
「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋回する隆線文、これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激越を主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである。」と、故岡本太郎がかつて表現した縄文土器の天衣無縫なデザインについては、おなじみの火焔土器の写真で見知ってはいましたが、ここで紹介するサイトを見て改めてその「激越さ」と、ユニークさに驚きを新たにしました。
是非皆さんもこの「縄文ワールド」をストレートに楽しんでいただきたいと思いますので、さわりの写真をいくつかシリーズで紹介させてもらいます。
クリックもよろしく
posted by ryujin at : 2007年11月22日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.20
「黄金の国」ジパングと「黄金時代」のオランダ
以前、東インド会社についてのエントリーhttp://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/08/000306.htmlがありましたが、今回は東インド会社に縁の深い(?)ある国と、日本の関係について、ちょっと調べてみました。
・・・勿体つけてもタイトルに書いてあるんですが(笑)
その国とは「オランダ」!!
ヨーロッパの雄といえば、皆さんイギリスやフランス、中世であればポルトガルを思い出すでしょうが、意外や意外(?)実はオランダもすごかったんです。決してチューリップと風車だけが有名なわけじゃないんです!
今日はちょっと中世オランダのお勉強・・・その前に いつもの
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posted by maru at : 2007年11月20日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.20
釣針の歴史から縄文人の工夫思考を垣間見る
こんばんは。最近、縄文人が使っていた、道具に興味があって、ちょこちょこ本やHP等を見たりしていますが、少し整理を兼ねてエントリーしてみたいと思います。
参考にさせていただいている「縄文の生態史観」(西田正規氏著)によれば、道具類の大きな分類は、縄文人の生活用途に応じて下記のように分類できます。
○漁労、狩猟、採取用具
○調理食用具
○住用具
○加工用具
○着用具
○呪術、葬送用具
○施設、その他
その中で、生きていくうえで、もっとも重要な、食料を獲得するための漁労、狩猟、採取用具
に関する道具を上げてみます。
・弓矢
・ワナ
・槍(やり)
・鹿笛
・漁網
・ヤナ
・ウケ
・モリ
・ヤス
・釣針
・握り棒
・打製石斧
・鹿角斧
・運搬具
・船
現代人が思いつく以上に、多様な種類の道具を駆使して、獲物の獲得を行っていたことが伺えます。
その中でも特に今回は、現代人にもっともなじみのある道具の一つである、釣り(釣針)を取り上げて、もう少し縄文人にせまって見たいと思います。
↓応援よろしくです!
posted by yuyu at : 2007年11月20日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.19
中国文明:秩序の原理~血の盟い~
先日、Hiroshiさんが書かれた記事中国の特有の人間関係 「幇」に中国という国の本質が隠されているようです。今日は、その源流を追ってみようと思い、「中国古代の文化 白川 静著 講談社学術文庫」を参考に調べてみました
白川先生は、漢字の本でも著名な先生ですね。文字から、中国古代の社会背景などを解き明かすあたりは、なかなか読み応えがあります
今日も応援よろしくお願いします
posted by sawatan at : 2007年11月19日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.18
元来は『黒いアテナ』、近代ヨーロッパが「白いアテナ」に偽造した
こんばんは、Hiroshiです。中国追求のあいまに、久々にヨーロッパ方面の話題をひとつ。
年々マスコミの捏造報道や偏向報道が明らかになってきていますが、もうすこしスケールの大きい捏造のお話。西洋文明の源流といえば、多くの人は古代ギリシャの文明を思い浮かべますよね。しかし最近それは近代ヨーロッパによる偽造・改ざんであるという事が分かってきた。
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posted by ihiro at : 2007年11月18日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.17
教科書では教えてくれない(遊牧の起源) 西アジア~中央アジア~中国年表
遊牧の起源を押える為に、るいNETWORK掲示版の「遊牧の起源と特異性」の有用な投稿を、頭を整理する為に以前に投稿した「教科書では教えてくれない中国年表」に追記して見ました。
この作業を通じて感じたことは、遊牧における各々の時代の投稿内容が、実に良く連関していることが分かりました。
更に驚いたことは、「遊牧の起源と特異性」の年表が、先に投稿した「黄河文明と長江文明」の年表に繋がったことです。又、この2つの年表を繋げたのは、BC11000年:ヤンガードリアスの寒冷化、BC6500年:ローレンスタイド氷床融解、BC4000年:北緯35度以南の乾燥・砂漠化、BC2000年:火山爆発で灰が空を覆う。といった大きな環境変化でした。この人類史を知りたい方は是非、見てください!!!遊牧の起源を追求したい人はポチッと押してね!
「教科書では教えてくれない(遊牧の起源) 西アジア~中央アジア~中国年表」
ファイルをダウンロード
年表の構成は、時代毎に、「気候変動=環境外圧」⇒エポック⇒闘争区分(ここは中国のみの記載です)⇒交易・情報伝播⇒黄河文明⇒長江文明⇒中央アジア・モンゴル(遊牧の変遷)⇒西アジア(遊牧の変遷)を見ていくようにしています。追記した中央アジア・モンゴル、西アジアに青色で網掛けしています。又、追記した文字は濃い緑色で記載しています。最上段の気候変動、環境外圧の欄の青文字と関連しながら見ていくと、遊牧民族の発生から騎馬民族への変遷過程が見えてくると思います。
基本的に生物は外圧適応態と言われていますが、この年表を通じて人類も例外では無かったと理解出来ます。尚、年表に記載されている参考NO(例msg:○○○)の投稿を張り付けておきます。
(尚、【 】内は私の疑問で、投稿とは関係ありません。)
時間を要しますが一読しながら年表を見ると、教科書には書かれていない西アジア~中央アジア~中国の歴史が、そして遊牧民族の起源が見えてくると思います。
皆様の役にたてば嬉しいです。一緒に追求して行きましょう。
・投稿「131588」:環境史からみた西アジア(農耕~略奪の起源)
・投稿「85771」:ステップ地帯へ拡散して同類闘争を回避したレヴァント南部の採集部族→遊牧の起源?
・投稿84104:農耕・牧畜が始まった地域における自然圧力の変化(気候変動)
・投稿52477:ステップ遊牧民と砂漠・オアシス遊牧民の起源
・投稿94845:西アジアの気候変動①(8200~7800年前ミニ氷河時代、7800~5800年前気候最適期)
・投稿131577: 5800年~4200年前の西アジア(乾燥化による略奪闘争の開始)
・投稿52832:最初の遊牧民は徒歩移動
・投稿92143:遊牧民族の登場から私権国家の成立まで
・投稿152412:遊牧と騎乗
・投稿141984:遊牧は牧畜の遠征から始まった
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posted by sakashun at : 2007年11月17日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.15
生きとし生けるものは循環している、という縄文人の世界観
😀 くまなです。
今回は、縄文人の末裔と云われるアイヌの思想から、縄文人の世界観に迫ってみようと思います。
naotoさんが「ミトコンドリアDNAからみた日本人の成立」のなかで“沖縄の人々やアイヌこそ、渡来系との混血が少なく、近縁性を保ち続けたようです。やはり、彼らこそ縄文人の系列といえるかもしれませんね”とおっしゃられているように、アイヌの人々が縄文人の文化を色濃く残していることは間違いないと思います。(ただし、アイヌは沖縄とは出自が違う北方系縄文人を継承していると考えられます。)
今回はアイヌの文化のなかでも、彼らにとって重要な儀式である「イオマンテ」に注目してみます。
イオマンテに行く前にポチッと応援よろしくお願いします。
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posted by kumana at : 2007年11月15日 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.14
縄文時代後期になぜ無文土器が登場したのか?
縄文土器には様々な文様が施されています。縄文土器と言えば必ず文様が描かれているよいうのは定説です。特に中期から晩期にかけて土器の文様も形も緻密になり一つの土器を仕上げるのにかなりの手間をかけていた事が容易に想像できます。
しかし、その縄文晩期にあたる長野県の大清水遺跡で大量の無文土器が発見されています。
なぜ文様のない土器が登場したのでしょう?
前回も紹介させていただいた、川崎保氏の「縄文ムラの考古学」から今回も報告させていただきます。
実は大量の無文土器にはトチの実が関係しているのです。
史実をミクロに知りたいと方、ポチッとお願いします。
posted by tano at : 2007年11月14日 | コメント (5件) | トラックバック (0) TweetList