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釣針の歴史から縄文人の工夫思考を垣間見る

こんばんは。最近、縄文人が使っていた、道具に興味があって、ちょこちょこ本やHP等を見たりしていますが、少し整理を兼ねてエントリーしてみたいと思います。
参考にさせていただいている「縄文の生態史観」(西田正規氏著)によれば、道具類の大きな分類は、縄文人の生活用途に応じて下記のように分類できます。
○漁労、狩猟、採取用具
○調理食用具
○住用具
○加工用具
○着用具
○呪術、葬送用具
○施設、その他

その中で、生きていくうえで、もっとも重要な、食料を獲得するための漁労、狩猟、採取用具
に関する道具を上げてみます。
・弓矢
・ワナ
・槍(やり)
・鹿笛
・漁網
・ヤナ
・ウケ
・モリ
・ヤス
・釣針
・握り棒
・打製石斧
・鹿角斧
・運搬具
・船

現代人が思いつく以上に、多様な種類の道具を駆使して、獲物の獲得を行っていたことが伺えます。
その中でも特に今回は、現代人にもっともなじみのある道具の一つである、釣り(釣針)を取り上げて、もう少し縄文人にせまって見たいと思います。
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まず、日本において、釣りがいつ頃から、はじめられたかですが、今から1万年前の縄文時代のころからのようです。
初期のころは、竹や木材などを使った直針が多かったようです。
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      <世界の様々な釣針>
  http://shinyuu.web.infoseek.co.jp/htm/books/turinokagaku.htm [3]
この時代の釣針は、口腔の奥か、腹腔内にうまく収まらなけれぱ、吐き出されて外れてしまいやすかったようです。
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      <直針を飲み込んだ魚>
  http://shinyuu.web.infoseek.co.jp/htm/books/turinokagaku.htm [3]
 
 
次に針が魚の口に引っ掛け易いように、「レ」の字形になったようです。木の枝の分岐部や、鹿などの角の分岐部分を使って「レ」の字形に加工してのではないでしょうか。この工夫で、魚が針を飲み込んだ瞬間に引き上げれば、引っかかり易くなり、釣れる確率は上がったことでしょう。
 
 
次にさらに加工され、「し」の字形になったようです。「レ」の字形だと、魚の口先に引っ掛けるだけであり、ばれやすかったのを、「し」の字形に湾曲加工することで、より魚の口の奥(裏側)にまで針先を突き刺せることが可能になり、さらに釣れる確率が上がったことことは、想像に難くないでしょう。
 
 
そして縄文後期の釣り針には、さらに今現在の釣り針にある「カエシ」がつけられるようになったようです。これによって、一旦引っかかった釣針は、いっそう外れにくくなったことは、釣りをされる方は、あやまって手などにささった釣り針が、カエシのおかげで、なかなか外れず、一度ならずとも、痛い思いをされたご経験からも、頷かれるのではないでしょうか。
(さすがに縄文時代の釣針では、指の皮までは貫通しないとは思いますが。。。)
 
 
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      <釣針の詳細>
http://www.e-fuzzy.co.jp/turibari-name.html [4]
ざっと、釣針の進化を追ってみましたが、様々な形の釣針が発見されていることからも、その過程では、様々な試行錯誤があったと思われます。
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      <多様な釣針>
http://www.tzwrd.co.jp/fish/fish2.pdf [5]
 
 
 
では、釣りという漁猟自体が、どのように発見されたのでしょうか。実は、その起源ははっきりとは、分からないようですが、想像力を膨らまして考えると、
  
ハラが減った古代人が、川を泳いでいる魚を観察していると、ある時、水面に虫等が「ポトッ」と落ち、それを、魚が「パクッ」と食べたことを目撃したことでしょう。
そこから、ヒントを得て、捕まえた虫を投げ入れてみる。すると、同じように「パクッ」食べた。では、木切れではどうだろうか。それに、何か長いひも(つる)のようなものをくくりつけたら、吊り上げられないだろうか。。。等
 
 
小石や小枝等を池に投げると、鯉が、集まってきて、騙されて、「パクッ」と食べては吐き出すという光景を、ご経験された方も多いと思いますが、外圧状況はぜんぜん違うとはいえ、同じような感覚なのでないでしょうか。
こうやって、試行錯誤を繰り返しながら、釣という、狩猟(漁猟)スタイルを編み出していったのではないでしょうか。
(ここら辺は、補足、別ストーリーあればお教え願います)
 
 
ちなみに、縄文時代では、関東から東側から、釣針が多く発掘されているようです。
 
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      <釣り針の発掘された分布>
 
 
西日本は、比較的温暖なため、直接川や海に体を浸かり、銛などを使って漁労をしていたのに対し、東日本では、寒さのため、水に浸からずに魚をとる必要があり、釣りが発達したと考えられています。
このあたりは、当時の気候・環境条件等も視野にいれた上で、縄文時代が、日本の関東以北に繁栄し、多くの遺跡が発見されていることと合わせた考察が必要であり、また別の機会にでも考察できればいいかと思います。
 
 
最後に、この縄文人達が、使用していた釣針は、はたして、どの程度、魚がつれたのか、興味が沸くと思いますが、ネットで調べてみると、縄文土器造りとならんで、縄文の釣針造り&釣体験は、結構人気なようで、その体験事例の紹介が何例かヒットします。
 
で、結果はというと、成功事例もあるようですが、どうやら、ほとんどは、あまりうまく釣れていないようです。。。
 
まあ、現在の釣針造りの初心者達が、造った釣針で、いきなり魚をバコスカと釣ってしまっては、縄文人も立つ瀬がありません。ここらへんは、縄文人の面目躍如といったところでしょうか。
 
いずれにせよ、当時の釣りは、その道具造りも含め、高度な技術と経験、自然に対する洞察力を要したのではなかと思います。
(現代の釣りをたしなむ人も、ここら辺が釣の面白い所ではないかとは思いますが。。。)
 
 
最初に、揚げたそのほかの道具類については、また別の機会にでも、紹介できればいいなと考えています。
それではまた!

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