2007.06.02

ブログ「日本史探求」を応援します。

先日、人気ブログランキングの歴史ブログを見ていたところ、面白いブログを見つけました。
「日本史探求」というブログです。
プロフィールに書かれていた主旨の紹介文です。
この国のかたちを知るには古より伝わる先人たちの功績を知ること。そして文化を知ること。我が国の歩みを誇り思えてこそ真の「愛国心」が芽生える。~日本史探求
ついでに当ブログの紹介文も併せて掲載します。
>いったい、人類はどこで道を誤ったのか?人類は今、自らが築いてきた全文明の見直しを迫られている。~縄文と古代文明を探求しよう
このブログは弥生時代から近代までの日本史のエピソードを著者の見識も交えて紹介しておられます。当ブログが古墳時代以前を扱っていますので「日本史探求」に飛べば縄文から江戸時代までの日本の歴史は俯瞰できる事になります。勝手ですが姉妹ブログとして提携させていただければと思っています。(ちょっとリンクの張り方を忘れたので後日当ブログのリンクへ貼らせていただきます)3年前から始めておられるので2歳お兄さんにあたります。 😉
カテゴリーも時代区分に分けられていて見やすいです。
最近、当ブログでも話題になった渡来人と稲作についても紹介されています。
>縄文時代は「原始共産主義」と呼ばれるほど共同生活の中で共助共援の営みを送っていた。三内丸山の集落跡から考えられるように、数百年も争うことなくそこに置かれた施設、そして実った作物を共有していたことも発掘の結果分かってきている。
こうして縄文時代には共助共援により数百人単位で安定した生活を送っていた原始日本人(縄文人)であるが、なぜ身分の差が生まれ争うようになったのか?今回はこの疑問について検証していこうと思う。続く リンク
※この記事には私めがコメントさせていただきました。 8)
日本史探求さんはまだランキングが40位台ですのでみんなで訪問してランキングを上げていきましょう。
さぁ、6月です。さらに熱く縄文ー古代を探求していきます!TANOより
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posted by tano at : 2007年06月02日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.06.01

縄文ー古代通信 NO3(19年6月号)

縄文ー古代通信の3回目です。
5月は、縄文関連が多かったですね。縄文時代の土器や海洋技術が多くの方々に取り上げられました。中国文明も毎月コンスタントに追求が続いています。メソポタミアは一気にイスラエルやパレスチナ問題へと広がりました。また、始原人類や世界の文明以前へテーマの広がりが期待されるものも出てきました。それぞれのテーマで、深まりと広がりを見せていますね。
5月(以降)で展開されているテーマの紹介です
■始原人類(洞窟生活、過酷な生活)
■縄文時代の時代観、土器、海洋技術、気候と生産(採集・栽培)、集落、お墓(死生観)
■弥生時代の戦争
■中国文明
■中東(イスラエル、パレスチナ問題)
■その他、遊牧民族の集団・社会統合や無文字社会

今後のテーマの広がりを俯瞰してみます。
その前に、 ポチっと応援よろしくお願いします。
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posted by kumana at : 2007年06月01日 | コメント (6件) | トラックバック (0) List  

2007.05.31

世界最古の土器☆★☆縄文土器がもたらしたものは

jomonsaiko.gif  ←豆粒文土器
こんばんは~  bunchanです。
naotoさんに続いて土器の発明は何をもたらしたのか、考えてみたいと思います。
ところで、世界最古の土器って縄文土器 だということを知ってました?
http://homepage2.nifty.com/singingsand//////////miwa/dokijomon.htmlより引用(画像もお借りしています)

 人類文明の発祥地はエジプトとメソポタミア、インド、黄河流域の中国が四大文明発祥の地とされているが、古代人の生活において画期的発明は縄文土器だという(志村史夫著『古代日本の超技術』(1997,講談社)。いままで食べにくかったものをたべられるようにし、食物資源の範囲を広げて人類の生存圏を広げた。 また縄文土器の文化史的意義について、縄文土器の専門家:小林達雄は次のように書いている。
 「それまでの道具(石器や木、竹など)は、用意した素材を割ったり削ったりしてしだいに大きさを減らし、目的とする形態に仕上げる減量型であった。ところが土器は、掌にした一塊の粘土に次々と増量しつつカサ上げしていくという正反対の方向をとる増量型である。しかも石器などでは、いったん打ちかいてしまった部分は、たとえ不本意であっても、もはや修復不可能である。けれども土器は、加除修整は自由自在である。このように土器は、それまでの人類史には絶えて見ることのなかったまったく新しい造形学的性質をもつ。やがて縄文人は道具としての土器の形態を実現するだけでなく、その造形の自由さを利用して縄文人の抱く世界観を表現するキャンバスにしていった。言い換えれば、縄文土器は日常什器の一つというにとどまらず、いわば文化的な機能の重責をも果たすようになったのである。」(小林達雄著『縄文人の世界』(朝日選書,1996)
 土器の出現は調理革命を起こした。煮て食べることが可能になったので、堅いものを軟らかくして、いままで食べられなかったものが食べられるし、味つけも可能となった。人類の食文化の開花であった。
世界最古の土器は縄文土器だったらしい。(2002年4月現在これは動かない事実だ。
 現在までのところ世界最古の土器とされているのは、12000年前の土器が佐世保市瀬戸越町泉福寺洞窟から出土した 豆粒文土器である。

土器が可能にしたのは、水分を一つのところにためておく・火にかけることができるようになったということなんです。つまり、煮炊きできるようになったということ。
ところが縄文土器は釉薬などをかけない「素焼き」です。普通、素焼きのものは、水をしみこませて逃がしてしまうのですが、どうやって水を逃がさないようにしたのでしょう??
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posted by bunchan at : 2007年05月31日 | コメント (6件) | トラックバック (0) List  

2007.05.31

縄文土器の発明

土器の発明は、どのように行なわれたのでしょう?
縄文文化と東北地方を参考にさせていただきました
[2]縄文土器の発明
日本における土器の出現は、先史文化の展開の中でも、世界的に見て最も早い時期に行われたことが確実視されている。
日本列島における土器の出現は、その生活環境の変化からもたらされ、必然的に容器として確立し、生活の必需品として大きな役割を果たしていくのである。
土器の発明は、人類が最初に応用した化学変化である。
そのきっかけは推測の域をでないが、火の利用という技術を獲得した人類が、長い遊動生活から定住生活に移る過程で、湿気防止のために炉に貼った粘土が火を受けて偶然硬くなった事にヒントを得たとか、液体を入れるため粘土を塗りつけた編み籠が偶然火をうけて硬化したことに端を発するとも言われている。
小林達雄は、草創期の隆起線文土器や新潟県壬(じん)遺跡出土の円孔文(えんこうもん)土器に見られる口縁部付近の文様が、皮籠の口縁の紐かがりを表現していると説いて、縄文土器の初源が“編み籠”の模倣にはじまる可能性を指摘した。
土器の発明は縄文人に多くの恩恵をもたらした。
その最大のものは、従来は “なま”か“焼く”しかなかった食文化に、はじめて“煮る”という調理法を加えたことである。
これは、単に味覚のバラエティーを拡大したという以上に、食べることの出来る動植物の種類を飛躍的に増やし、かつその栄養摂取効率を大きく向上させた。

その結果、人々は、食料確保にかける労働力を大幅に軽減することに成功し、その余剰エネルギーを他の文化活動に投ずることが可能になったのである。
縄文文化に不可欠な、定住的要素としての竪穴住居の構築、呪的遺物としての土偶の発生などはすべて、こうした文化的活動力の向上がその前提条件として必要だった。
最初の土器の創出が、発明なのか発見なのかは断定できません。
ただ、環境の変化がもたらした食料の変化という外圧に対し、食の確保という集団の期待が強烈に働いていたということだと思います。
期待に応える為に、日々の生活上の出来事を注視し続ける。
それが、みんなの期待に応える発明に繋がるのだと教えられました。

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posted by naoto at : 2007年05月31日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.05.29

西アジアと日本の農耕の歴史の違い

こんにちは、simsasanです。
前回の「縄文時代、既に農業(稲作)はあったが、普及しなかった訳」に続いて、今回は、日本と比べて農耕が先に発達した西アジアはどうだったのか?比較してみました。
先ず、農耕の歴史に入る前に農耕と栽培の違いは何なのか? 
「るいネット縄文前期の稲栽培」(細田さん)が分かり易く説明していますので、以下引用します。
>人類が採取・狩猟という生業様式(適応様式)を開始するのと同時に、植物の栽培や動物の飼育は方法としては見出されます。採取・狩猟時代の人類は、食料獲得の方法として風土に応じて狩猟・採取・漁労・栽培のいずれかあるいは全てが併用しているのが通常です。日本では三内丸山の栗林の菅理栽培が有名ですし雑穀の栽培は各地の縄文遺跡にその痕跡が発見されています。
一方農業(や牧畜→遊牧)という様式は、主要な食料のほとんど全てを人工的な栽培(や飼育)に頼るという様式で、相当大がかりな土地や土木施設を必要とします。そのような人工的な(多大な労力を必要とする)生産様式が必要とされる背景には、人の数がその居住する周辺の自然の生産力を超えてしまうという事態があると考えられます。その理由としては、同類緊張圧力による一定地域への集住や短期的な特殊寒冷期に移動もままならなくなった部族の生き残りのため等が考えられます。

では、具体的に古代、西アジアと日本では、どのような栽培→農耕の歴史をたどってきたのでしょうか?
知りたいっと思った方は、ポチっとお願いします。!
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posted by simasan at : 2007年05月29日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.05.26

『豊かな森の大国』日本列島の気候はどうやって形成されたのか??

 まだ農耕・稲作の無い縄文時代において、定住による生活を可能にしたのは、豊かな森の恵みなくしては考えられなかったことでしょう。
 そこで、どのように豊かな森の王国・湿暖湿潤な水の豊富な日本列島が形成されたのか調べてみました 😀
興味のある人はポチっと押して続きをどーぞ
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posted by dai1028 at : 2007年05月26日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2007.05.26

海を渡った縄文人:ワラ算とキープの関連から

以前、このサイトの“みつこ”さんの投稿で「文字がない社会って?!」 でインカ帝国のキープが紹介されました。
私が今興味を持っている琉球や沖縄で「ワラ算」という結縄文字にも触れられていました。
写真をよく見ていただくと分りますが、非常に似ています。
warasan%EF%BC%92.jpg%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%97%EF%BC%942.jpg
      ワラ算(日本)        キープ(インカ)
調べていくとこの時代、単に紙とペンがなかっただけで、器用な日本人の祖先にとっては、ワラや縄はもっとも身近な記録媒体だったのかもしれない。
「ワラ算」も、太平洋をわたった縄文人により南米にもたらされ、それをもとに独自にキープとして発展を遂げたのではないか?
と言う疑問が沸いてきます。  このキープとワラ算の関連を調べてみました。
気になりますよね、、
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posted by mukai at : 2007年05月26日 | コメント (6件) | トラックバック (1) List  

2007.05.25

縄文人は、なぜ「海」に可能性を求めたか?

今晩は、さーねです
黒潮圏の考古学というサイトを今勉強しているのですが、その中でも八丈島の先史時代で、すごい不思議だなと思うことがあります。

6,000年前にピ-クを迎えた縄文海進時に、縄文人が漁撈活動地域を内陸や沿岸部から近海に拡大し、海洋航海技術を熟達させ外洋を舞台にした縄文集団(海の縄文人)が誕生した。彼らは外洋航海民としての素養を備え、最初は北部伊豆諸島を中心に渡島活動を行っていた。やがて近畿・東海と中部・関東の二地域から、黒潮本流を越えた南部伊豆諸島の八丈島へ渡航した集団が登場する。

黒潮圏の考古学:八丈島の先史時代の倉輪遺跡より
なぜ、海を渡ろうとしたのか 特に、八丈島は北部伊豆諸島と比較し、本土からの距離が遠い。黒潮の流れを簡単に突っ切れるほど甘くはない。どうみても決死行としか思えない。逆に、そこまで行こうとしたのはなんで
map.jpg
彼らが置かれた状況や意識、行動様式を推察してみたいと思います
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posted by sawatan at : 2007年05月25日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2007.05.24

縄文の海洋技術:『縄文時代にも、絶対、日本から黒潮に乗ってアメリカ大陸へ行っていましたよ』

縄文の海洋技術:自然の注視が可能にした(mukaiさん 2007年01月27日)
の投稿に引き続いて【縄文の海洋技術】について調べてみました。
以下、縄文人の航海ルートについて分かりやすくまとめてあるサイトを見つけたので紹介します。
%E9%BB%92%E6%BD%AE.jpg
その前に これお願いしますね
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posted by mrran at : 2007年05月24日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2007.05.23

遊牧民族の統合例

こんにちは。○です。
以前の記事でも取り扱われていましたが、今回は遊牧民族についての記事を・・・。
遊牧部族はその機動性から、戦争において卓越した戦力を保有していました
当然、歩兵中心の敵を蹴散らすのは造作も無い事です。
中国は宋の時代に、17名の騎馬兵に対し2000の歩兵で敗退する、というようなことまであったようですから、その戦力差はかなりのものだったようです。
そんな圧倒的な戦力をもった遊牧部族ですが実は大きな弱点があったのでした・・・
続きはポチッと押した後
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posted by maru at : 2007年05月23日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

 
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