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海を渡った縄文人:ワラ算とキープの関連から

以前、このサイトの“みつこ”さんの投稿で「文字がない社会って?!」 [1] でインカ帝国のキープが紹介されました。
私が今興味を持っている琉球や沖縄で「ワラ算」という結縄文字にも触れられていました。
写真をよく見ていただくと分りますが、非常に似ています。
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      ワラ算(日本)        キープ(インカ)
調べていくとこの時代、単に紙とペンがなかっただけで、器用な日本人の祖先にとっては、ワラや縄はもっとも身近な記録媒体だったのかもしれない。
「ワラ算」も、太平洋をわたった縄文人により南米にもたらされ、それをもとに独自にキープとして発展を遂げたのではないか?
と言う疑問が沸いてきます。  このキープとワラ算の関連を調べてみました。
気になりますよね、、
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 現在、世界最古の文字と認められているのは、古代メソポタミアのシュメール文明の文字である。
しかし、それ以前の遺跡からも文字らしい記号は多数発見されている。
そんな中、世界最古の文字の候補が、南米ペルー沿岸の砂漠地帯で発掘されました。
このカラル遺跡は、今から5000年前にまで遡る事のできる巨大な古代都市です。
ここから結縄文字 キープが発見されたのです。キープは、インカ帝国で広く使われていた物で、縄の結び目の数や間隔、色などの組み合わせで、複雑な情報を記録する事が出来た。
解読はされていない物の、その複雑さから、言葉を記録できた真正の文字であったと考えられている。
New Carthago City  [4]というサイトから抜粋して紹介します。
最古の文字キープ? [5]
 この遺跡からキープが見つかった事により、キープの起源は一気に2000年以上も遡り、世界最初の文字の候補に浮上してきたのだ。シュメール文字は、約5200年前ごろに成立したとされています。キープは最低でも4600年前には存在していた事になります。
周辺の遺跡の年代なども考慮すると、恐らく5000年以上前から存在していたと考えられるのだ。
これからの発見次第では、人類の歴史そのものを塗り替える大発見につながる可能性もでてきた。

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もしキープがワラ算の影響によるものだとしたら、それこそ大発見ですね。
キープと藁算/Warazan [6]
 一般的に縄文字(結縄文字)と言うと南米のインカ帝国で用いられていた、キープと呼ばれる紐に結び目を付けて情報を伝達する手段の事をさす。
 インカ帝国には、普通の文字は無くこのキープが文字代わりに使用されてきた。 
キープは、主に物品の種類やその数を記録するのに用いられ、納税などの際には必要不可欠のものであった。物品の記録以外にも簡単な文章も表現していたとされるが、今だ解読はされていない。
 いずれにしても、キープは単なる記号以上の複雑な体系を持つまぎれもない文字の一種で、インカ帝国にはキープを教える専門の学校も存在したらしい。
  ところが、このキープとまったく同じ物が日本の沖縄でも使用されていたのだ。 
しかも、こちらはなんと戦前まで実際に使用されていたと言うから驚きだ。
沖縄の縄文字は、藁算と呼ばれワラザン、バラサン、ワラザイなど多くの読み方がある。 
読んで字の如く、藁算はワラで編んだ縄、又はワラその物に結び目を付けて情報を記録した物である。
 
 藁算の起源ははっきりしないが、中国の歴史書「随書倭国伝」の中の倭人の風俗に、「文字は無く、ただ木を刻み縄を結ぶだけ」と記録されている。
 何故、「文字は無く」の後に「木を刻み縄を結ぶ」とあるのか?
これは中国人が考える、言葉を完全に表記できる真の意味での文字は無いが、木を刻んだり、縄を結んだりする事によりコミュニケーションをとっていた事を意味していると考えるのが自然だろう。
 この歴史書は邪馬台国の頃の日本について書かれた物である為、藁算は、古墳時代以前より日本本土でも使用されていたと考えられる。沖縄地方では、高価な紙の替わりに藁算が、表記文字と共に情報伝達手段として最近まで広く民衆の間で使用されてきたのだ。
沖縄でも藁算は主に物品の種類やその数を記録するのに用いられ、納税事務には欠かせないものであった。

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キープもワラ算も単に数の記録だけでなく、コミュニケーションをとっていたとすればこれは立派な文字といえます。
縄文字と言うユニークな情報伝達手段が太平洋を挟んだ沖縄と南米に存在するのはなぜだろう? [6] 
 もちろん単なる偶然といってしまえばそれまでだが、結び目で情報を伝達するなどという発想が偶然に出てくるものだろうか? しかも縄文字の主な使用目的は双方とも、歴史の記録や手紙などに使用したのではなく、物品の種類や数を記録すると言う、いわば経理処理に使用されたのである。この優れた経理処理システム、キープと藁算が、征服者によりうまく利用された事も運命めいた物を感じる。
 インカでは16世紀後半、住民や資源の実態調査のためスペイン人官吏がアンデス山脈を駆け巡ったが、情報集めはいたって楽だったらしい。キープ・カマヨックと呼ばれる地方の名士がキープによる住民台帳を保持していたからだ。他方、沖縄では島津藩による沖縄併合後の人頭税徴収などに、藁算は最大限利用された。
 キープと藁算の唯一の違いは、キープは縄の色までを含めて情報源とした事だが、使用目的はまったく同じといってよい。このように同じ使用目的を持つユニークな縄文字が、偶然2つの地域で別々に発生したとは非常に考えにくい。

それでは、キープと藁算はどう結びつくのだろうか? [6]
 愛知県ガンセンターの多島氏によるとアンデスから発見された2体のミイラのDNAサンプルを検査した結果、これらのミイラが成人T細胞白血病に関連する稀少なウイルスに感染している事がわかった。
 このウイルスは、現在おもに南西日本とチリの一部の地域でのみ見つかるウイルスで、両地域の関係を強く示唆するものであった。
  しかしこのウイルスの感染が現代人の移動によりもたらされた可能性も拭いきれなかったのだが、このウイルスが、1500年ほど前の物と思われるミイラから発見された事により、ウイルスが現代人の移動により感染したのではない事がはっきりしたわけだ。
 この研究が発表された「Nature Medicine」によると、ウイルスに感染した古モンゴロイドが、1万年以上前に南米に進出したのではないかとされている。
 さらに、太平洋の孤島バヌアツや南米エクアドルからは次々と縄文土器と思われるものが発見されている。中でもバヌアツで発見された土器は青森で製作された正真正銘の縄文土器である事が確認されている。エクアドルで発見された、アメリカ大陸最古に属するバルディビア土器は、その文様の形態が縄文土器そのものであると、スミソニアン協会のエバンス博士等は主張している。

◆これらの事実は何を意味するのだろうか? 
 南米はスペイン人が到達する遥か以前に縄文人が足を踏み入れていたのかもしれない。
少なくとも縄文人の一部が太平洋をわたり、南米にまで到達していた可能性は非常に高い。
 つまりワラ算も、太平洋をわたった縄文人によって、南米にもたらされ、それをもとに独自にキープとして発展を遂げた、と考えると太平洋を隔てた 2つの地域でこの非常にユニークな情報伝達手段が、存在する事も納得がいく。
ワラ算とキープの共通性、土器の異常なまでの酷似、ウイルス分布、特に縄文土器は当時世界でもかなり高度なもので、 それまで低レベルだった南米で縄文土器に酷似したバルディビア土器が突然に南米に現れたこと,ウイルスの事例等で間違いなさそうです。
それにしても、ワラの結び目で情報を記録するとは古代人の発想には驚くばかりだが、考えようによっては紙やペンの無い時代、器用な日本人の祖先にとっては、ワラや縄はもっとも身近な記録媒体だったのかもしれない。あるいは、縄文やしめ縄、綾取りや綱引きなどの風習に代表されるように、古代日本人にとって縄、紐は特別の意味を持つ神聖なものだったのかもしれない。

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