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単位集団って何?

縄文時代は、共同体社会だといわれます。
そこでの集団と社会の関係は、どのようになっていたのでしょう?
今回は、集団のあり方を、鷲田豊明氏の「環境と社会経済システム」リンク [1]を参照して明らかにしたいと思います。
《引用開始》
日本考古学は,これら原始社会全体をとおして,さまざまな規模の集団が相対的に小規模で画一性のみられる単位集団によって構成される傾向のあることを明らかにした。
それはおよそ20人から30人,あるいはそれを大きくはずれない程度の構成人員からなる集団である。
したがってそれは,両親と子供あるいはその近親者からなるまとまりとして家族を想定すれば,数家族からなる集団といってもよいだろう。
集落という,住居の空間的集住が認められる場合,もしそれが小集落であるならば一つの単位集団からなり,より大きな集落の場合はこのような単位集団が複数集まることによって構成される傾向が存在するのである。
このような単位集団の確実性は,より新しい時代ほど高まるようだ。
そして,原始社会において,この単位集団を認識することは,集団構造を把握するうえで特別な意義をもっている。
もっと大きな集団もあったのでは?
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縄文時代における集落としてあらわれた集団の最も重要な特徴の一つは,相対的に大きな集落がありながらも,全体としては分散した小集落が支配的なことである。
そして,単位集団はこの小集落の形態において確認されている。
羽生は,関東地方において縄文時代前期後半およそ5000年前に用いられた諸磯式土器の用いられた遺跡について,それらの住居跡数の分布を詳細に調べた。
その結果,まず,各遺跡の総住居跡数を1000平方メートル以上の69遺跡についてみると4棟以下の住居跡数の遺跡が54で全体の78.3%に達することがわかった。
つまり圧倒的多数が,小林達雄が縄文サイズという単位集団の規模に近い小規模集落なのである。
もちろんすべてが小規模ではなく,10棟をこえるような住居跡の遺跡がこのうち8遺跡存在し,また20棟以上残した遺跡も3存在する。
しかし,縄文遺跡の小規模分散性は明確に示されているのである。
さらにこの69遺跡のうち,諸磯式土器のより細かな6期の区分が可能な51遺跡について,遺跡のちがいと細分された期のちがいをともに考慮し区別すると,88.5%が4棟以下の住居跡になってしまう。
そして,10棟以上の住居跡をもつ区分は一つになってしまうのである。

○特殊な例を除き、縄文時代は20~30人の単位集団が社会の基底構造だったということですね。
●それでは何故、縄文時代において、小規模の単位集団が存在し続けたのでしょう?
先土器時代において,それぞれの単位集団が分散して生活している状態と単位集団が集合して集団を形成している二つの形態をとったとする仮説は近藤義郎と春成秀爾に共通しているところである。
大型動物の狩猟をおこなう場合には一時的に集合し,日常的な採集活動や小動物の狩猟の場合には分散した形態をとっていたとみるのである。
これを前提にしながら,近藤は「それではなぜ,単位諸集団は結集して常時的に存在しなかったのであろうか」という当然の疑問をみずから提出している。
そして,それにたいする解答は,集団を維持するための採集と小動物の狩猟に必要な行動範囲が大集団の場合大きくなりすぎ,食糧確保のうえでの飢餓の危険に脅かされるからであると述べている。
この単位集団の形成要因であった大型動物の狩猟は,オオツノジカなどをのぞいてナウマンゾウやヘラジカなどの大型動物が先土器時代末期,つまりヴュルム氷期が終わりに近づくにしたがって衰退し,それにつれておこなわれなくなったと考えられる。
このことは,縄文時代へは集団の分散性の要因のみが引き継がれていったことを意味する。
近藤義郎は論文「縄文文化成立の諸前提」のなかで先土器時代から縄文時代にかけて生活・生業にかかわる技術の変遷と集団性の関係を論じている。
まず第一に狩猟における槍から弓矢への変遷である。
弓矢は小型動物の狩猟に適するとともに,「槍による狩猟として発達してきた集団狩猟という労働形態・労働組織に大きな影響を与えた」とみられる。
そしてこれによって,単位集団あるいは個人のレベルでの狩猟が可能になり,単位集団の自立性が促進された。
第二に土器の利用の開始である。
これによって食糧として利用可能な植物の種類が増大し,生業のなかにおける採集活動の比重を飛躍的に高めた。
そして,「採集は,原則として個々人による個別労働として行われるから,採取が多様化し発達してくることは,生産労働全体において個別労働が果たす役割が重要になってくることを意味する」のである。
この個別労働の重要性の高まりは,また単位集団の自立性の高まりをも意味する。
第三に漁撈の発達である。
漁撈といっても,単位集団が集合しての大規模共同漁撈ではなく,単位集団ごとの分散的漁撈にとどまっていたと考えられる。
そしてここにおいても単位集団の自立性の高まりがみられるのである。
このような単位集団の自立性の高まりが,すでに述べたような縄文社会における傾向としての集落の小規模分散性につながっていくのである。
そして,これは同時に縄文社会における単位集団の分散性を意味する。
また一方,以上に述べたような意味で,先土器時代から縄文時代にかけての単位集団の変遷には連続性があったと推定できる。
この連続性の背景には,生業が狩猟・採集によって成立していたという二つの時代の共通性がある。《引用ここまで》
単位集団 が自立性を高めると、排他性を帯びて、他集団を含めた共同体社会は形成しにくいのではないでしょうか?彼らは、いったい、どうやってこの問題を解決したのでしょう。
次回は、この問題に迫ってみたいと思います。

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