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2007年10月10日

胡椒をめぐる争い(=大航海時代の始まり)

10/9のみつこさんの記事で胡椒がヨーロッパでと~っても 貴重品 だったことがわかりましたね
では、今日はその「胡椒」をめぐる覇権争い について調べてみたいと思います。
たかが胡椒 🙄 されど胡椒
すさまじい覇権争いが繰り広げられてます
    Ship2.jpg
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もともとヨーロッパで胡椒は栽培できないため、東方からの交易に頼っていました。
「胡椒一粒は黄金一粒 」とまで言われた胡椒は、主にジェノバやベネチアによる交易によってヨーロッパへともたらされていました。
ところが、1453年に東ローマ帝国がオスマントルコに滅ぼされると、交易を牛耳っていたベネチア、ジェノバは交易の交通手段を失ってしまった
胡椒で儲けていた両者にとって大打撃
そこで、ジェノバは東ローマ帝国のルートがだめならと、別ルートの可能性を探る・・・
(ベネチアがどうなったのかはナゾです。ここから闇の世界へと足を踏み入れた?るいネット

道を失われたジェノバ商人達は他のルートに目を向けざるを得なかった。このときジェノバ商人たちが接近したのが、イベリア半島でイスラム勢力を駆逐し、国土回復を達成したポルトガル・スペイン両王国である。国土を回復し領地獲得の野望に燃えていた両国にとってもジェノバ商人の持ちかける話は魅力的なものであった。
この時代は特に羅針盤の改良、造船技術の発達、地理・天文学の向上により遠洋航海が可能になりはじめだ時代でもあった。地中海経由の東方貿易が不可能であるのならば、アフリカ経由でアジアに行けないか。商人たちはこう考えたのだ。世に言う大航海時代の幕開けである。
いち早く国土回復を成し遂げたポルトガル王国が大西洋に飛び出す。1445年航海王子エンリケの派遣船がアフリカの最西端ヴェルデ岬に到着、アゾレス諸島を中心に植民を繰り返し、1488年、バルトロメウ・ディアスが喜望峰に到達。1498年にはバスコ・ダ・ガマがアフリカ経由でインド洋に入りインド西岸カリカットにたどり着いたのであった。
「唐辛史」

ジェノバが次のルートとして目をつけたのはポルトガル。
当時ポルトガルは、最高性能の火器 と武装艦隊を持っていたので、アフリカ経由航路での胡椒の入手を企んだ 8)
(当時、エジプトなどを解さないと東方の物品が手に入らなかったため、直接のルートを開拓したのは画期的だった
そして、バスコ・ダ・ガマがインド航路を開拓するが・・・

平和裏に取り引きできないとなれば、「交易・海賊・戦争は三位一体」という原則を適用するまでだった。その点、ポルトガル船は堅牢で、最新兵器「大砲」を積んでいることで優位にたてた。ムスリム商船への襲撃・拿捕からはじまり、アフリカ東岸・インド西岸での要塞建設、南インドの小国に対する「砲艦外交」、既存の交易路(紅海・ペルシア湾経由)の封鎖などが次々と実行された。
インドのヨーロッパ向け香辛料をおさえることに成功すると、ポルトガル船団は香辛料のもうひとつの宝庫である東南アジアへ向かった。1512年には、クローブ、ナツメグの唯一の産地モルッカ諸島に姿を現している。
さらには、インド洋交易路そのものの乗っ取りが企てられた。港に出入りする船から税を取ったり、地域間の物資輸送を担うことで利益を得ようとしたのである。マレー半島の大貿易港マラッカを奪ったのはその一例である。
平和的に発展してきたインド洋の交易システムは野心に満ちた侵入者により一挙に流動化し、諸勢力がしのぎをけずる物騒な時代へと突入した。
「The Chamber of the World History」

と、胡椒をめぐり次々新航路を開拓、激しい略奪闘争 が繰り広げられるようになるわけです。
(=大航海時代のはじまり)
それにしても”「交易・海賊・戦争は三位一体」という原則”って・・・
集団性を重んじる日本人には到底理解できない原則です
お久しぶりのぴんぐ~でした

投稿者 pingu : 2007年10月10日 List  

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コメント

生贄になることは、太陽の動力として太陽と一体となれるという名誉なことだったんでしょうか?
そこに”喜び”はあったんだろうか?
たしか、「球技の勝者が生贄になる」という投稿を以前読ませていただきましたが、人々は、太陽と同化することを望み、すすんで生贄になったんでしょうか?

投稿者 匿名 : 2007年10月31日 23:27

今回は図版を付けられなかったのでお見せできないのが残念ですが、生贄を描いた石碑の写し絵があります。
心臓を取り出す人も取り出される人も神妙な顔をしています。
またアップしますのでご期待!

投稿者 tamura : 2007年11月8日 23:12

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