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マヤ文明と伊勢神宮に共通するものづくりと生命文明について

マヤ文明を知る為にネット探索をしていました。その時に、日本の弥生時代とマヤ文明はその繁栄した時代が一致し、且つ生活感他が近いとするお話がありましたので投稿します。以下の10項目にまとめられています。 🙄
1.聖なる数
2.共通した時代背景
3.太陽への崇拝
4.山への崇拝
5.鳥への崇拝
6.聖樹
7.蛇への崇拝
8.水の循環
9.魚食の文化
10.ものづくりと生命文明

出典は安田喜憲(東京財団主任研究員/国際日本文化研究センター教授)シンポジウム(伊勢)での講演(抜粋)(2007年6月9日開催)からになります。
尚、このときのテーマは「マヤ文明と伊勢神宮に共通するものづくりと生命文明」です。
★参考に、「1.聖なる数」の項目を引用します。
 マヤ文明には聖なる数というものがあります。マヤ文明の人々が最も大事にした数字は「20」です。言うまでもなく伊勢神宮の式年遷宮は20年ごとにお宮を遷しますね。なぜ20なのか。なぜマヤの人々は20を大事にしたか。それは20が人間やあらゆるものの原点だからです。みなさん自分の指を数えてください。足の指10本、手の指10本ありますね。この指の数、これが人間の原点です。20年というのが人生の節目ですね。そしてだいたい20年というのが物事の区切りです。
私は1980年に環境考古学という分野を自分で確立しました。1980年に環境考古学という分野を確立した当時は、他にこのようなことを研究している人はひとりもいませんでした。しかしそれから20年経った2000年ごろから、環境考古学という本がたくさん出始めた。20年前には誰もやってなかったことが、20年経つとだいたい世の中に広まってくるのです。
マヤの人々が最も大事にした数字は20、そして式年遷宮も20年に一度。つまり、そのマヤ文明と伊勢神宮の共通性のその1は、20という聖なる数を大事にしたということです。
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引用終わり
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🙄 出典元は安田主任研究員講演録(シンポジウム[伊勢]) [3]からです。一度開いて見て下さい。 😀
マヤ文明のなぞに中央集権国家が出来なかったのは何故?があります。
日本の縄文時代も中央集権国家形態ではなかった。又、弥生時代も律令制が採用されましたが、メソポタミアのように王とういう絶対君主が存在したわけではなく同じく中央集権国家ではないようです。
この近しい2つの文明は、一方は今でも存在し、一方は消滅して密林に帰っています。
上記のマヤ文明に中央集権国家に生まれなかったの何故?の答えは、日本の縄文・弥生時代との比較検証から見えるかもしれませんね。
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