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日本の私権制は、弥生後期の北方民族の襲来によって確立された!

これまでの流れを整理すると、
①最初に日本に渡来したのは大陸の騒乱を逃れてきた江南人である可能性が高い。
②その当時、戦闘が行なわれた形跡はない。また、江南人は稲作の技術を持っていたので、寧ろ、高い技術力を持って縄文人を指導し、融合したのではないか。
③それら南方系の渡来人の高い技術力に加え、組織力が縄文集落を拡大し、拡大した集団どうしが勢力争いをする中で、勝った方が服属関係を強めていった。

しかし、ここまでは日本全国を統一するほどの巨大な勢力にはなっていない。
では、日本の私権制は、どのようにして確立されていったのか?
るいネット「日本に私権制と私有婚をもたらした北方遊牧民」 [1]に興味深い記事がありましたので引用させて頂きます。
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日本人は、概ね北方系が7~8割、南方系が2~3割という話をなにかで読んだことがあります。詳しい根拠はよく覚えていませんが、たしかウィルスの抗体有無による分析だったと思います。
正確な割合はおいといても、北方系が7~8割ということは、弥生をもたらした江南人が南方系と考えられることから、弥生時代以降に大幅な人種構成の変化があったと考えられます。
弥生人は、玉突き略奪闘争から逃げ落ちた人々であり、本格的な私権統合の様式は身につけておらず、そうであるが故に“分かれて100余国をなす”状態でそれ以上統合が進まなかった。邪馬台国(1800年前)も部族を巫女で束ねた部族連合で、不安定な統合状態でした。
そんな状態に決着をつけたのが、私有婚と私権制をほぼ確立させた北方遊牧民です。
いまから1700年前に、瀬戸内~近畿地方でいきなり巨大な古墳が現れます。これらの古墳には、服装・金銀装身具・馬具・鎧などの北方騎馬民族・朝鮮由来と見られるものが多く、征服民族が北方騎馬民族であることを示唆している。 (参考「騎馬民族国家」江上波夫氏 )
この北方から来た支配民は北九州から上陸し極めて短期間で、圧倒的な軍事力で近畿を制圧し、大和朝廷を成立させた。同時に大陸でほぼ確立された、支配制度(税制と体制組織)と自集団の婚姻様式(遊牧・掠奪由来の私有婚)をもたらした。
そう考えると、古墳時代が日本の私権制の確立期と考えられ、それをもたらしたのは北方遊牧民と思われます。
(「嫁入り婚」もこの時期にもたらされ、私権意識とともに次第に浸透していったのではないかと思いますが、なにか掠奪を媒介しないと庶民まで成立しにくい感じもします。)
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以上、引用終わり
引用文中にある「日本人が北方系か、南方系か」という論争は、松本秀雄著『新説!日本人と日本語の起源』に詳しく述べられており、概ね次のような結論です。
1)Gm遺伝子の分布によって、蒙古民族は、「南方系」と「北方系」に大別される。
そして、日本民族は「北方系」である。南方型蒙古系民族との混血率は、せいぜい7~8%であって、それほど高いモノではない。
2)日本民族は、北海道から沖縄に至るまで、ことGm遺伝子に関する限り、驚くほど等質である。
3)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じである。
ただ、日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。
朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子パターンを持ちながら、それよりはるかに強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる。中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などによって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。
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図はhttp://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=171 [4]より引用させていただきました。
これらより、日本の私権制を確立する上では北方騎馬民族の渡来が決定的であったことが容易に想像できます。
北方系民族は、有史以来、世界各地で略奪闘争を繰り返し、農耕民族を支配し、巨大な帝国を築き上げた経験を持つ人種です。つまり、彼らの持つ強力な私有意識と制度が、超集団を統合する要であり、とりわけ、集団を安定・秩序化(権力を脅かす存在を封鎖)する為には、婚姻制の確立が重要であることを彼らは体得していたと考えられます。
このような、強力な私権意識と支配制度を持つ民族が侵入してきたことが、国家成立へと導いた根本原因であると考えられます。農耕生産物の所有と供給はその制度の中に組み込み易かっただけで、大陸からの玉突き的略奪闘争の歴史を辿れば、農耕による私権制度の起源説は、かなり怪しいことがよく分かります。
以上、日本はどのように私権制を確立したかを整理してきましたが、北方民族が襲来するまでの略奪の歴史や私権制確立の要となった婚姻制について、もう引き続いて追求していきたいと思います。

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