2008.07.22
中国で同化したユダヤ人
ユダヤ人たちは、世界中に散らばって移動しても 数千年もそのユダヤ独自文化と宗教を守って暮らしています。ところが中国でのみ、ユダヤ人は同化してしまったそうです。
その歴史を解説したサイトがありましたので、紹介します。
もしかすると日本にもユダヤ人が来ていたかもしれませんが、中国と同じように同化したのかもしれないと思いました。 人間は共認動物(観念動物) で、同化できれば(または観念を塗り換えれば)いくらでも変われるということを示している事例ではないでしょうか。
よろしくお願いします。
posted by norio at : 2008年07月22日
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2008.07.22
メソポタミアの婚姻制
みなさん、こんばんは~ 
メソポタミアの追求、シュメールの交易、文字の誕生①~記録の必要性から文字が生まれた~に続きます 
略奪闘争
の火ぶたが切られたメソポタミアを知るにあたって、その婚姻制はどんなものだったのか?は大きな注目点
です。
っと、その前に
、婚姻制は集団や集団の置かれた外圧(気候風土)に大きく左右されます。メソポタミアはどうだったのでしょうか?
砂漠型(ツンドラ、ステップ、砂漠+オアシス、サバンナの4類型がある)と称される風土に進出した遊牧部族は、西アジアにコーカソイド、中央~東アジアにモンゴロイドがいます(林さんの挙げられていたアフリカは一旦おきユーラシア大陸を想定します)。遊牧は、遊牧している野生の有蹄類の群れにくっついて移動する生産様式ですが、梅棹忠夫氏によると、家畜の子どもを人質に取ることによって母親を逃げられないようにして、子どもに乳を飲ませる際に人間が搾りとるという技術と、大多数のオスを去勢することによって群れの中にとどめたまま、群れの統制を保つ技術の、二つの技術を前提として完成したとされています。農耕に匹敵する人工的な加工が施された家畜は、蓄財意識を芽生えさすに十分だったと思われます。
まして小集団(小氏族)で移動するという闘争集団ゆえに、男原理の父系集団に移行すると、嫁取りのための婚資(=相当数の家畜)を蓄財することを第一義とする私益集団と化していきます。私益集団から掠奪集団が生まれるのは時間の問題と考えられます。
上記は、るいネット『風土、生産様式、婚姻制』より頂きました。
どうも婚姻制と蓄財意識
とは関わりが深そうですね。
蓄財意識や私有意識は、日本での縄文から弥生への転換点など、他シリーズでも追求中な、歴史を追及する上で大事なポイント
になっていますよね。
では、メソポタミアの婚姻制を少しずつ
解明してゆきたいと思います。
応援、よろしくお願いします。
![]()
ありがとうございます 
posted by mituko at : 2008年07月22日
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2008.07.20
ヨーロッパ製世界史 “大航海時代”の大嘘
“大航海時代”という呼び方は、正確ではないと思う。実際彼らの目的や行ってきたことから考えれば、ヨーロッパによる“大掠奪時代”とか、“大侵略時代”と呼んだほうがいい。
(ただイマイチ、ネーミングのセンスがないので、どなたか適切な名称があれば、コメントなどで提案していただければ・・・・)
↓続きに行く前に応援よろしく・・・ボチッと
posted by ihiro at : 2008年07月20日
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2008.07.19
【古代中国】遼河文明の概要~基礎データ
こんばんは!
これまで中国第三の文明として「遼河文明」について扱ってきましたが、ここで一度基礎データとして周辺文化も含めまとめて置こうと思います。
遼河文明の遺跡図です。(こちらからお借りしました。)

応援お願いします!!
posted by nishipa at : 2008年07月19日
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2008.07.18
弥生以降の国際的外圧と国家統一の流れ
「弥生~古墳時代の勢力争いを解明する!」tonoさん
「-騎馬民族は来なかったか?-」naotoさん
の投稿から、縄文から弥生にかけて、渡来人と日本の統一国家成立までの大きな流れは
BC2,000 第一波 中国南部の環境避難民 三苗人が稲作を広める
↓
BC500~0 第二派 アマテラス スサノオらの中国戦乱避難民が次々とやってきて九州地方から近畿まで戦乱が拡大
↓
AC0~300年 第三派 天皇家に繋がる北方騎馬民族が統一王朝=大和王朝を建設
↓
さらに、6世紀以降は、戦乱の中国を統一してできた国家、隋や唐の登場により、さらに一段周囲の国家の緊張感が一気高まった ようです。
左から5・6・7世紀、中国・朝鮮の国家勢力図です。図は「人命歴史年表」より引用させて頂きました。

この日本が統一国家建設に向けて、一つにまとまる必要性から天皇制が必要であったと考えられます。その源流が北方騎馬民族かどうかは、tonoさんの投稿にもあるように、諸説があるようですが、間違いなくこれらの外圧に対抗するために次の「憲法十七条」制定や「大化の改新」が必要だったと考えられます。
今後も、古代ブログ応援、ポチッとお願いします。
posted by simasan at : 2008年07月18日
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2008.07.17
-騎馬民族は来なかったか?-
前回の「私権社会への移行」シリーズからは、北方騎馬民族の系譜をひくものが天皇家の始祖であるという事実が導き出されます。
古代史学会では、江上波夫氏が「騎馬民族説(騎馬民族征服王朝説)」を提起していますが、今なお批判が続いているようです。
今回は、この「騎馬民族説」を-騎馬民族は来なかったか?-宝賀寿男氏の要約という形で紹介したいと思います。
上古の朝鮮半島南部に扶余系の「辰王」という特異な存在の王があり、この流れをひくものがわが国に侵入し、北九州さらに畿内に転じて征服王朝を建て、崇神・応神にはじまる上古の王統につながった。
こういう発想の学説が戦後出されて、古代史学界の大きな問題となってきた。
今から五十数年前、戦後の混乱が続いていた昭和二十三年(一九四八)のことであるが、江上波夫氏により提起されたいわゆる「騎馬民族説(騎馬民族征服王朝説)」は、戦後になって出された多くの新説の先駆け的な存在であった。
posted by naoto at : 2008年07月17日
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2008.07.16
弥生~古墳時代の勢力争いを解明する!
弥生~古墳時代ってどこまで知っていますか?
まずは簡単な中学生向きの年表を見てください。
「がんばれ凡人サイト」さんから借用しました。
日本史の年表
皆さんも大体こんな感じで弥生時代~飛鳥時代を習っていたと思います。
覚えることは大和朝廷の発足と大化の改新くらい、後は中国から来た律令制度。
奈良時代以降は人名がたくさん出てきて複雑になりますが、弥生から飛鳥時代の教科書の記述は至ってシンプルだったと記憶しています。しかし、この800年間をわずか数行の史実で終わらせるにはあまりにもいい加減ではないですか!その結果未だに弥生時代って何?古墳時代って何?大和朝廷はどこにあったの?など自国の国の始まりにも関わらず大半はわからないことだらけです。
つまり、大化の改新以前は詳しく知らせたくない何らかの意図が介在しているのではないでしょうか?
大化の改新以前は日本書記が書く神話の世界が未だに正しいとされています。
しかし事実は・・・・。統一国家が出来上がるまでの権力争いの歴史なのです。
権力を巡って日本に深く侵入した渡来人の戦乱史なのです。
天皇制を基本的に否定できない日本の教科書にはそれはかけない。なぜなら、人神である天皇が日本という列島を作ったという事になっているからです。従って国家形成の事実は大雑把にしておこうという意識が当局には働くのです。
今回はそれに果敢に挑戦してみたい
と思います。
まずは難解な列島制覇の系統図を見てください。古代であそぼ!さんから借用しました。
ファイルをダウンロード
今日はこの年表を元に弥生時代の渡来人の流れを一気に勉強していきたいと思います。
内容は、この時代の渡来人の流れを非常に丁寧に書いたHP「古代で遊ぼ」さんより抜粋させていただきました。少し長いのですが頑張って読んでみて下さい。段落の最後にまとめを太字で入れておきます。時間のない人はそこだけを読んでいただいてもOKです。
その前に↓応援クリックよろしくお願いします。
posted by tano at : 2008年07月16日
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2008.07.13
文字の誕生① ~記録の必要性から文字が生まれた~
こんばんは、カッピカピです。
文字の起源については、このブログでも何回か取り上げておりましたが、今回改めて、文字の起源について、シリーズ形式にてまとめてみようと思います。
それでは、第一回目『記録の必要性から文字が生まれた』をどうぞ~。
と、その前にいつもの↓ポチッをお願いします。
続きを読む "文字の誕生① ~記録の必要性から文字が生まれた~"
posted by hi-ro at : 2008年07月13日
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2008.07.12
縄文土器に挑戦!No.2
今年の初めに 縄文土器に挑戦!No.1 で投稿したように土器を作ってみようと思ってからずいぶん
時間がたってしまいました。
色々調べていくと自然の全くないこの東京という場所では結構困難なことがわかってきました。
肝心な土が無いのです。土器を焼く時の重要な問題として 粘土の質と焼成温度 があります。
粘土ならおおよそどんなものでも使用できるようですが、その土にあった焼成温度を見つけるのが
難しく、探し出すのに試し焼きの繰り返しが必要なようです。
【手前(右)が白山の土、奥(左)が半々で信楽土+白山土】
この間、横浜市緑区の白山高校の近くの建設現場に行ったときに偶然に粘土が見つかり、持ち帰り
ました。そして陶芸教室の先生に相談してみると、先生も自宅近所の土を焼いたりして見たそうです
が、溶けてしまったり、ひび割れたりしてなかなか旨く焼けなかったようです。
色々試して焼成温度を決めていくしかないようです。
白山の土を教室の窯で“試し焼き”して貰えることになり、写真のように仕上がりました。
先生も驚いていましたが、一回でこんなに綺麗に仕上がるのはごく希なことのようです。
試し焼きが成功した事をこのブログの仲間に話しているとみんなで作ってみよう。
どうせなら力強い火炎土器を作りたい、とみんなの意見が一致しました。
と言うことで、「縄文土器に挑戦!」を進めていきたいと思います。
縄文と古代文明・・・ブログと縄文土器作成に応援していただける方はバナーをクリックして
続きをお読みください。

posted by mukai at : 2008年07月12日
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2008.07.11
太陽に仕えた『選ばれし処女たち』:インカの婚姻様式は?そこには私権の芽はあったのか
こんにちは、saahです。
インカには『私権』があったのか。
今日はこの問題をインカの婚姻様式から探ってみたいと思います。
婚姻と言っても一般には王侯貴族たち支配層と、一般庶民とでは往々にしてその形態が異なる場合が多いですね。インカ帝国においてはどうだったのでしょうか。
また、インカには太陽に仕えた『選ばれし処女たち』と呼ばれた女性がいましたが、彼女たちはどのような存在だったのでしょうか。???
今回は2回に分けてそれぞれの婚姻形態と、婚姻そのものが持つ意味がどのように位置づけられていたのかをみてみたいと思います。
続きを読む "太陽に仕えた『選ばれし処女たち』:インカの婚姻様式は?そこには私権の芽はあったのか"
posted by saah at : 2008年07月11日
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