2008.08.19

メソポタミアの婚姻制2~持参財って?~

こんばんは~  みつこ 😀 です
今日は前回のメソポタミアの婚姻制の続きで、メソポタミアの婚姻をめぐる「持参金」「婦人の対価」「支度金」のうち、女側から男側へ差し出された「持参金(財)」について
それは、ひつじなどの家畜○頭 だったりしたそうですよ
yuboku.web
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posted by mituko at : 2008年08月19日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2008.08.17

文字の誕生②~トークンから絵文字へ【後編】~

こんにちは、カッピカピです。
今日は、「文字の誕生②~トークンから絵文字へ【後編】~」をみなさんにお届けしたいと思います。
前回、前々回と見逃した方はまずはこちらからどうぞ。
文字の誕生① ~記録の必要性から文字が生まれた~
文字の誕生②~トークンから絵文字へ【前編】~
お盆休みも終盤にさしかかりました。ここいらで、しばし、古代文明の旅に出てみましょう!
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posted by hi-ro at : 2008年08月17日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2008.08.16

インカの王位継承権争い=私権闘争?

ここ最近は、南米の古代文明の追求を続けてきています。
アメリカ古代文明を旧大陸の文明と比較して見ると、人類の文明の普遍的な部分とそうでないところが見えてきて大変おもしろい。
「国家による支配?」「交易か?贈与か?朝貢か?」「婚姻様式は?」という切り口で調べてきていますが、もう少ししたら踏み込んだ分析とまとめをしていく予定です。
今回は、インカの「王位継承権争い」について見ていきたいと思う。
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最後のインカ王 13代インカ「アタワルパ」(ウィキペディアからお借りしました)
南米の広大な地域を支配していたインカ帝国は、1532年スペイン人ピサロがインカの王を騙して殺害してしまった事で、あえなく崩壊した。 圧倒的少数だったピサロ軍がインカ王を容易く捕らえる事ができた理由は、当時2代にわたるインカ王位継承権争いがあり、ピサロはこれを上手く利用したからだとされている。
当時のヨーロッパにおける王位継承権争いは、お家騒動のレベルから謀反やクーデター、内戦、戦争といった血生臭い歴史が数え切れない。私権闘争の頂上部分の闘争の凄まじさをものがたっている。

インカでも「王位継承権争い」という言葉で語られる歴史があるが、これはもちろん征服者であるスペイン人の末裔が、スペイン人から見た史実として記載した文書によるものでしかない。
はたしてスペイン人が記録したような王位継承権争いがあったのだろうか?少し調べてみると、実はこれが疑わしいのである。

続きは↓を押して、読んでくださいね。
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posted by nandeya at : 2008年08月16日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2008.08.15

聖徳太子はいなかった?

😀 くまなです
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ひとむかし前の方々なら一万円札や五千円札でよくお目にかかった聖徳太子。
教科書で、一度に十人の人の話を聞き分けたということを習い、そんなすごい人がいたんだと思っていました。
ところが、歴史学では権威のある方が「聖徳太子はいなかった」という内容の著書を出し、これを最近マスコミが取り上げることで多くの方が知るところとなったのです。
その真相に迫りたいと思います。
今回は、まだよく知らないという方のために、基本を押えましょう。
まずは、聖徳太子はどんな人だったか。まずプロフィールを紹介します。
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posted by kumana at : 2008年08月15日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2008.08.14

中国結び

 今週は北京オリンピックの真っ最中ですね。 そこで今日は「中国結び」という伝統工芸を紹介したいと思います。
 中国結とは、現在は多く台湾で研究、発展し続けている伝統工芸です。中国における装飾結びの歴史は古く、古くは春秋時代の遺物にその原型が認められます。当初の使用は王侯貴族に限られていたそうですが、次第に一般にも広まっていきました。唐代と清代に流行し、特に清代のときは結びの種類が増えたこともあり様々な技法で作られました。
 中国結では、 掛け飾りやバレッタ・ブレスレット等のアクセサリー、蝶々や亀といった動物など、平面的なものから立体的なものまで、 いろいろな物を作れます。中国結の基本結びは、雙銭結、雙聯結、平結、酢漿草結など、十数種類あり、それらを幾つか組み合わせていくと、 さまざまな作品が出来ます。
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 では中国装飾結びの歴史を紹介します。
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posted by norio at : 2008年08月14日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2008.08.14

古代中国の歴史構造図解にチャレンジ

こんばんは、etoです!
北京オリンピックも始まって毎日熱戦が繰り広げられてますね。
俄然、中国に対する関心も高まっているようです。
そこで、まずは↓↓コチラ↓↓をご覧ください。
ファイルを確認する
 (サイズが大きいので縮小して見てください;)
これは、一昨年の【なんでや劇場:人類史シリーズ】において扱われた図解です。
本源集団から武力国家に至るまでの過程を、集団統合原理の観点から婚姻制と信仰観念の変遷として構造化したものです。
実によくまとまっていますね。
詳しくはコチラをどうぞ↓↓
 『実現論7(前半)武力国家の統合様式』
 『実現論7(後半)信仰・宗教観念の成立構造』
さて、中国文明研究チーム?においては、これまで古代中国の様々な疑問に対し挑んできましたが、ここらでひとつ古代中国史をまとめてみようということになり、先日から歴史図解の作成に取り組み始めました。そこで活用したのが、上の図解というわけです。
というわけで、武力国家に至る成立構造図解の古代中国版を作成していきます!!
簡単に図解化してみて分かったことは、これまで中国文明においては、私有婚や私有権について殆ど追及できていなかったこと、また守護神信仰の変遷における祖霊信仰との関係、などです。
時代毎に、黄河文明と長江文明でどのように関わりあいながら変遷していくのか、繫ぎ合わせる課題を追求しながら図解を完成していきたいと思います。
叩き台の図解をここで紹介できればよかったのですが、ちょっと間に合わなくて(汗)、、、
今後のお楽しみということで、乞うご期待!

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posted by nishipa at : 2008年08月14日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2008.08.12

インカ拡大路線のなんで?

cuzco1.jpg
All About より 現在のクスコの市外です
先回はインカの統治や租税について、話をしましたが、そもそも私有の意識は薄かったインカ。
しかしインカ自体は帝国と呼ばれるほどの広大な領地を持っていました。
ちょっと矛盾を感じませんか?
インカはなぜ領地拡大に走ったのか?
そもそもそのきっかけは? 戦争、争いはどうだったのでしょうか?
ここが見えてこないと、何かすっきりしませんね。
では その前に 
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posted by dokidoki at : 2008年08月12日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2008.08.11

縄文:再葬墓≒死者への同化⇒再生

今晩は、さーねです 😮 先週と同じ、縄文の信仰を調べていたら、興味深い 埋葬の形を見つけました。
再葬墓」です。
>「再葬墓」とは、一度葬送した後、骨になった段階で、人骨を納めて再度埋葬する方法です。
レアメモリー諏訪の縄文時代より
なんで、再葬したのか 考えてみたいと思います
dokoubo.bmp
土坑墓
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posted by sawatan at : 2008年08月11日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2008.08.09

インカ帝国の交易

未分類

古代オリエントの交易についての紹介がありましたが、インカ帝国ではどうだったのでしょうか?
インカ帝国には、インカ道が張り巡らされ、交通網がかなり発達していたようです。クスコを中心に張り巡らされた道路網は、カパック・ニャン(インカ道)と呼ばれ、その総延長はなんと40,000kmだったそうです。これは、当時のヨーロッパにもない規模だそうです。
だとすれば、交易が促され、物流の発達とともに市場も発達し、利益を蓄積する商人達が溢れ、利益獲得のための私権闘争が繰り広げられたのでしょうか?そこから私権意識の拡大がもたらされたのでしょうか?
しかし、調べてみると、所謂「交易」で私権を拡大していくのとは、少しイメージが違うようです。
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posted by hiroshi at : 2008年08月09日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2008.08.07

古代オリエントの交易

こんにちわちわわです。
メソポタミアの交易の続編です。今回は国家の関りから、商人の誕生まで!
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シュメール人は都市国家から成り、中央集権的な権力や巨大な軍事力ではなく、周辺地域や民族との交易によって繁栄を勝ち得ました。そこには、シュメールが栄えれば同時に周辺の国々も栄えるという相互依存関係がありました。
凶暴なアッシリアが帝国を築くまでは、交易によって安定を保っていたと思われます。
シュメールからの交易品は農民から租税により大量に集積された小麦です。当初は王権主導で交易がなされていましたが、前2000年頃(ウル第三~古バビロニア時代)には、私的な交易商人が登場し、現代の市場社会の礎を築くことになります。
以下るいネットの記事を掲載します。その前に↓↓ぽちっと!
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posted by tiwawa at : 2008年08月07日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

 
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