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聖徳太子はいなかった?

Posted By kumana On 2008年8月15日 @ 10:10 AM In 弥生ー律令時代の国造り | No Comments

:D くまなです
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ひとむかし前の方々なら一万円札や五千円札でよくお目にかかった聖徳太子。
教科書で、一度に十人の人の話を聞き分けたということを習い、そんなすごい人がいたんだと思っていました。
ところが、歴史学では権威のある方が「聖徳太子はいなかった」という内容の著書を出し、これを最近マスコミが取り上げることで多くの方が知るところとなったのです。
その真相に迫りたいと思います。
今回は、まだよく知らないという方のために、基本を押えましょう。
まずは、聖徳太子はどんな人だったか。まずプロフィールを紹介します。
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ウィキペディアで紹介している肖像はこれ
Umayado_Miko.jpg
本名:厩戸(うまやど)、聖徳太子は死後のおくりな(751年の懐風藻という漢詩集の序文に初出)
性別:男
生年月日:西暦574(敏達3)年2月7日
身長:175~178cm
体重:65kg(推定)
父:橘豊日皇子(のちの用明天皇)と穴穂部間人皇女(のちの穴穂部問人皇后)の間に生まれた。
略歴
593年(19歳)推古天皇 [3]摂政 [4]となる
594年(20歳)四天王寺 [5]を建立、仏教興隆の詔を発する。
595年(21歳)高句麗 [6]の僧彗慈 [7]に師事し [8]の官制について学ぶ。
600年(26歳)新羅 [9]討伐。新羅に調を貢ぐ事を約束させる。
601年(27歳)斑鳩宮 [10]を造営する。
602年(28歳)新羅遠征するが将軍来目皇子 [11]が死亡し中止。
603年(29歳)冠位十二階 [12]
604年(30歳)十七条の憲法 [13]
607年(33歳)隋に国書を送る(遣隋使 [14])。
611年(37歳)法華経の注釈書「法華義疏(ほっけぎしょ)」を完成させる。
613年(39歳)勝鬘経義疏(しょうまんきょうぎしょ)を完成させる。
615年(41歳)三経義疏 [15](さんきょうぎしょ)を完成させる。
620年(46歳)蘇我馬子 [16]とともに「国記 [17]」「天皇記 [18]」を編纂する。
622年(48歳)死去
関係系図 [19](参照)
■非実在説のポイント
ウィキペディアの聖徳太子 [20]での紹介は、

大山誠一 [21](歴史学者)は「厩戸王の事蹟と言われるもののうち冠位十二階と遣隋使の2つ以外は全くの虚構である」と主張している。さらにこれら2つにしても、『隋書』に記載されてはいるが、その『隋書』には推古天皇も厩戸王も登場しない、そうすると推古天皇の皇太子・厩戸王(聖徳太子)は文献批判上では何も残らなくなり、痕跡は斑鳩宮と斑鳩寺の遺構のみということになる。
大山は、飛鳥時代にたぶん斑鳩宮に住み斑鳩寺も建てたであろう有力王族、厩戸王の存在の可能性は否定しない。しかし、推古天皇の皇太子かつ摂政として、知られる数々の業績を上げた聖徳太子は、『日本書紀』編纂当時の実力者であった、藤原不比等らの創作であり、架空の存在であるとする。

永井俊哉ドットコム [22]では次のようにまとめている。

『「聖徳太子」の誕生』の中で、大山誠一は、
①用明天皇と穴穂部間人王の間に生まれた
②601年に斑鳩宮を造って、そこに住んだ
③現在の法隆寺のもととなる寺を建立した
という属性を持つ厩戸皇子(厩戸王)の実在を認めつつ、その厩戸皇子が
①冠位十二階を定めて、門閥主義を排し、有能な人材を登用した。
②十七条憲法を制定して、天皇中心の国家理念と道徳を提示した
③小野妹子を隋へ派遣し、隋と対等な国交を開くことに成功した
④『三経義疏』を述作し、蘇我馬子とともに国史の編纂を行った
という属性を持つ聖徳太子であったことを否定する。要するに、厩戸皇子は実在したが、聖徳太子は実在しなかった。聖徳太子は、ヤマトタケルと同様に、『日本書紀』が捏造した、たんなる神話的存在に過ぎない。なぜなら、聖徳太子の実在を保証する、信頼に足る史料が何もないからだと言うのだ。

次回は聖徳太子についての表記や業績について実在説と非実在説の対立点に関する代表的な意見を紹介します。


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[1] Image: http://blog.with2.net/link.php?538666

[2] Image: http://history.blogmura.com/

[3] 推古天皇: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A8%E5%8F%A4%E5%A4%A9%E7%9A%87

[4] 摂政: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%82%E6%94%BF

[5] 四天王寺: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA

[6] 高句麗: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97

[7] 彗慈: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E6%85%88

[8] 隋: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8B

[9] 新羅: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85

[10] 斑鳩宮: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%91%E9%B3%A9%E5%AE%AE

[11] 来目皇子: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%A5%E7%9B%AE%E7%9A%87%E5%AD%90

[12] 冠位十二階: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A0%E4%BD%8D%E5%8D%81%E4%BA%8C%E9%9A%8E

[13] 十七条の憲法: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%83%E6%9D%A1%E6%86%B2%E6%B3%95

[14] 遣隋使: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A3%E9%9A%8B%E4%BD%BF

[15] 三経義疏: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%B5%8C%E7%BE%A9%E7%96%8F

[16] 蘇我馬子: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E9%A6%AC%E5%AD%90

[17] 国記: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E8%A8%98

[18] 天皇記: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E8%A8%98

[19] 関係系図: http://blog.kodai-bunmei.net/blog/Emperor_family_tree26-37.html

[20] 聖徳太子: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90

[21] 大山誠一: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E8%AA%A0%E4%B8%80

[22] 永井俊哉ドットコム: http://www.nagaitosiya.com/a/shotoku.html

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