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弥生以降の国際的外圧と国家統一の流れ

「弥生~古墳時代の勢力争いを解明する!」 [1]tonoさん
「-騎馬民族は来なかったか?-」 [2]naotoさん
の投稿から、縄文から弥生にかけて、渡来人と日本の統一国家成立までの大きな流れは
BC2,000 第一波 中国南部の環境避難民 三苗人が稲作を広める

BC500~0 第二派 アマテラス スサノオらの中国戦乱避難民が次々とやってきて九州地方から近畿まで戦乱が拡大

AC0~300年 第三派 天皇家に繋がる北方騎馬民族が統一王朝=大和王朝を建設

さらに、6世紀以降は、戦乱の中国を統一してできた国家、隋や唐の登場により、さらに一段周囲の国家の緊張感が一気高まった ようです。
左から5・6・7世紀、中国・朝鮮の国家勢力図です。図は「人命歴史年表」 [3]より引用させて頂きました。
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この日本が統一国家建設に向けて、一つにまとまる必要性から天皇制が必要であったと考えられます。その源流が北方騎馬民族かどうかは、tonoさんの投稿にもあるように、諸説があるようですが、間違いなくこれらの外圧に対抗するために次の「憲法十七条」制定や「大化の改新」が必要だったと考えられます。
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以下、るいネットにこれら統一国家成立を促した外圧とは何か? [6]について、詳しく書かれていますので、引用させて頂きます。
■古代日本における最先端の外圧は何か?

当時、朝鮮半島は、高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)といった国に分かれ、軍事的緊張の中にありました。特に、戦乱の中国を統一してできた国家、隋の登場は、周囲の国家へ、一気に緊張感を高めることになります。
 その中で、有事に備え百済は、当時の後進国日本と安全保障関係を結ぶという選択をとります。いわゆる渡来人と呼ばれる外国人が、当時の先端的コンテンツ、メディア、ハイテクである仏教、漢字、そして金属加工技術などを携えて、日本にやってきました。当然、社会制度の整備に必要な法的知識も輸入され、国家づくりの基礎になります。
 日本との外交関係を重視したのは、百済だけではありません。高句麗、新羅も知識人、技術者を送ってきました。例えば、飛鳥寺の飛鳥大仏に使われた金は、高句麗からもたらされています。
 つまり、朝鮮半島の軍事的外圧が、日本の国家作りの背景にあるのです。

■なぜ「冠位十二階」「憲法十七条」は作られたのか?

 聖徳太子の「冠位十二階」、「憲法十七条」の整備も、上記の状況と深い関連があります。
 一般に遣隋使は、小野妹子らが派遣された、607年が最初だとされていますが、600年にすでに派遣されていたことが、中国側の記録である「隋書」に残されています。このとき、日本側の使者は、皇帝である文帝に当時の日本の政府の実情を聞かれ、その国家としての未熟さに対して、文帝からかなり厳しく指導されたようです。
 当時の日本は、血縁集団である氏(うじ)の連合体でした。これを国家の統治制度である、官僚制を整備し、なんとしてでも、一国家としての体を整える必要がありました。その急慮の策が、603年の「冠位十二階」であり、「憲法十七条」です。

■なぜ蘇我入鹿は殺されたのか?

 大化の改新も、国際関係の中で見る必要があります。
(※大化の改新・・・人民、土地を天皇に帰属させる公地・公民制、租・庸・調の税制整備などにより、氏族の力を弱め、天皇への収束力を強めていく。)
 朝鮮半島の3つの国からの使者を迎える儀式が、大化改新の口火となった蘇我入鹿暗殺、645年の「乙巳(いっし)の変」の舞台になっていますし、わざわざ暗殺されるほどの権力を蘇我氏が持ちえたのは、上記に述べた国際関係の中で高い技術力を持つ渡来人と深い関係を持っていたことが背景にあります。

■なぜ戸籍制度は整備される必要があったのか?

 また、戸籍制度の整備は、軍事力の強化が大きな目的です。
 670年の庚午年籍(こうごのねんじゃく)、690年の庚寅年籍(こういんのねんじゃく)によって、日本最初の戸籍制度が整備されます。戸籍制度の大きな目的の一つは、国軍の整備でした。戸籍を確定することによって徴兵制を全国に敷くことが可能になったのです。
 これによって、中国・朝鮮半島の軍事力に備えるための九州への派兵、九州地方の「隼人」や東北の「蝦夷」といった在来の土着氏族を征服するための派兵が、実現できました。

■古代史は現代人と無関係なのか?

 このように、当時の先端外圧を把握することで、一見退屈で無機的な出来事の一つ一つが意味をもち、つながりが見えてきます。もし、このとき日本の統合者たちが外圧の傍観者であったら、日本という国は存在していなかったかもしれません。
 また、中国や朝鮮半島との外交政策というテーマは、まさに現代の日本人が直面している問題です。現代と無関係だと思われがちな古代史は、「外圧」という観点さえあれば、実にリアルな生きた教材だと言えるでしょう。

※聖徳太子、大化の改新については、その実在をめぐって議論があります。確かに真偽は重要ですが、より重要なのは、そのような出来事が、なぜ歴史として伝えられてきたのか?という点=当時の「外圧」に同化できるか、という点です。現在の歴史教育には、「外圧」という観点が欠けている、ように思います。

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