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太陽に仕えた『選ばれし処女たち』:インカの婚姻様式は?そこには私権の芽はあったのか

Posted By saah On 2008年7月11日 @ 6:00 PM In Ⅸマヤ・アステカ・インカ文明 | 2 Comments

こんにちは、saahです。
インカには『私権』があったのか。
今日はこの問題をインカの婚姻様式から探ってみたいと思います。
婚姻と言っても一般には王侯貴族たち支配層と、一般庶民とでは往々にしてその形態が異なる場合が多いですね。インカ帝国においてはどうだったのでしょうか。
また、インカには太陽に仕えた『選ばれし処女たち』と呼ばれた女性がいましたが、彼女たちはどのような存在だったのでしょうか。???
今回は2回に分けてそれぞれの婚姻形態と、婚姻そのものが持つ意味がどのように位置づけられていたのかをみてみたいと思います。


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アルパカブログ [2]「アンデスの織物の歴史」より)機を織る「選ばれし処女たち」
まずはインカ王の婚姻はどうだったのでしょうか。
注目すべきはアクリャと呼ばれる太陽に仕えた『選ばれし処女たち』の存在です。又は『太陽の処女』などとも訳されています。
以下は、インカの王女とスペイン人征服者との間に生まれたインカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガの書いたインカ帝国の年代記である「インカ皇統記」からの引用です。

(太陽に身を捧げていた処女たちの館)
インカ王の支配する帝国には瞠目に価する素晴らしい事柄、あるいは現象がいくつか見られた。そのひとつが生涯処女を守って太陽神に仕えた乙女たちの存在で、彼女たちは帝国の各地に建てられた乙女の館で隠遁生活を送った。
 (中略)
クスコの乙女の館に入った処女たちは、太陽の乙女、あるいは妻として仕えるのであるから、太陽と同じ血統でなければならなかった。言い換えれば、インカ族の、それが王であってもその親族であってもかまわないが、他部族の地はいっさい受け継いでいない、正統のインカ族の娘であることが必要だった。
(選ばれし処女たちに課せられた規則と義務について)
彼女たちは外界との接触をいっさい絶ち、純潔を守りつつ、死ぬまで館の奥で静かな生活を送った。そこには彼女たちが外来の男や女と話をするための、面会室とか格子窓とかそれに類する場所もなく、話し相手と言えば同じ尼僧仲間に限られていた。
  (中略)
実際彼女たちの隠遁生活は徹底したものであり、ほかならぬインカ王でさえ、彼女たちにあって話をするということは考えられなかった。もっとも国王として、その気にさえなれば、そうした特権を行使することが出来たであろうが、あえてしなかったのは、家臣が不埒な行動に走ることのないよう、率先垂範せんとしたからである。

この『選ばれし処女たち』はあくまで太陽の妻として仕えるのであり、国王の私物ではありません。また、国王は自ら彼女らに手をつけるようなことはせず、むしろ臣下に対しても常に襟を正していたことが分かります。
では一方で、国王と婚姻関係を結ぶ相手とはどのような人なのでしょうか。

帝国の王座に就く者は自らと同じ両親から生まれた長女を妻にすべしという掟、あるいは慣例が、初代以来、歴代のインカ王によって墨守されてきたということである。かくして長女は実の兄の正妻となり、コーヤ、つまり「王妃」、若しくは「皇后」と呼ばれることになる。そしてこの二人の間に生まれた長子が帝国王位の正当な継承者となるのである。

このように、インカの王の婚姻は兄妹婚のようです。その理由は王家の血筋を正当に保つ為であり、同族といえども王の家系以外の血は絶対に入れないという慣習のためです。
仮に王子と最も年上の姉妹である妻との間に子供が生まれなかった場合は、子供が出来るまで二番目の姉妹、三番目の姉妹という順に結婚が繰り返された。
ということはインカ王の結婚とは徹底的に王家の血筋を純潔に保つことが第一目的であり、私有婚とは異なるようですね。
このようになった理由はインカ帝国に伝わる伝説から来ているようです。

 今述べたように、この掟となった慣例は、初代インカのマンコ・カパックとその妻ママ・オクリョ・ワコ以来遵守されてきたものであるが、この二人は、自分たちが兄妹、すなわち、それぞれ太陽と月の御子であると公言し、それをインディオたちは、インカの臣下はもちろん、まだ臣従していなかった者も信用したのであった。この伝説は、われわれがすでに見たところの、彼らの異教世界において信じられていたもうひとつの古い伝説によって裏打ちされていた。すなわち、月は太陽の妹にして妻であり、インカ族は太陽と月の子孫であると言う伝説である。そして、あらゆることにおいて太陽と、太陽の御子にして自分たちの始祖たる初代インカの例にならうことを旨とするインカ族は、王の嫡子が同じ両親から生まれた実の姉妹と結婚することを掟として定めた。

王は正妻のほかに多くの側妻(そばめ)を抱えていたようですが、これも四親等までの親族であり、親族の側妻との間に生まれた子供は他部族の血が混ざっていないがゆえに嫡出子とみなされました。
正妻以外の側妻を持ったのは、血統上の嫡子を大勢遺さんとした為でしょう。
したがって、誰でも彼でも自分の私物として側妻にするのではなく、ここからも私有の意識は少ないとみてとれるのではないでしょうか。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
次回は一般の民、インディオたちの結婚はどのようなものだったのかを見てみたいと思います。
次回も読んでみたい方は是非応援よろしくお願いします。
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