教科書の弥生時代-2(中学編) |
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2008年07月08日
シュメールの交易
こんにちわちわわです。
ご無沙汰しておりましたが、シュメールの交易について、ちょいと展開したいと思います。
シュメールにある資源は肥沃な泥、チグリス・ユーフラテス河の水、太陽、そして瀝青と呼ばれる天然のコールタールしかありません。
彼らは泥でレンガを作り、瀝青で固めて建造物をつくり、都市をつくりました。
そして資源を持たない彼らは早くから交易にたよらざるを得ませんでした。雨の降らないメソポタミア南部を陣取ったのも、ペルシャ湾に面し、交通の便が良かったからではないでしょうか。
参考ウバイド終末期にシュメールによる交易ネットワークが構築される
都市ウルクで発掘された建造物を見ると巨大な石造建築やモザイク壁などの神殿があり、さらに遺跡分布調査の結果によると、周辺の集落が減少し、人口が都市に集中したことを示しています。ウルクは既に100ヘクタールの広さにも及んでいました。
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都市の拡大はすなわち、交易の拡大を意味します。
シュメール人は自分達が消費する以上の量の麦を作り、余剰を他の地域と交換し、シュメールには無い木材、石材、金銀、貴石などを得ました。つまり、余剰食糧が人類史上無かった大規模な交易とネットワークを生み出したのです。
こうした交易などの経済活動、神殿への奉納など冨の管理の必要性から、それまでのトークンだけでは補えず、絵文字が誕生し、物と数を合わせて記録するようになったと言われています。
シュメール時代の最盛期の都市ウル(前2100年頃)には3万4千人もの人々が暮らしていたと言われています。ここで興味深いのは彼らは神官、書記といった支配層と宝石、木材などの加工技術者であり、農業、牧畜、漁業、といった「食糧生産活動」に直接関わらない人ばかりだった事です。
シュメールで生まれた都市は、1次産業とは無関係の人々が集まり、そこで文字や技術、文化が生まれ、商業や交易によってさまざまな物資が行き交うネットワークセンターだったのです。
以下るいネットの交易関連の投稿です。
封泥は交換と第三者介入の証しか?
部族間の一方的な物資の輸送と、封泥の使用は何を意味しているのか?
印章の起源(メソポタミアの物資管理と流通)
エラム文明との交易から市場の起源を探る
武力を背景にしたシュメールの交易
交易の起源≒略奪・陥れ
メソポタミア文明の交易品について(1)
投稿者 tiwawa : 2008年07月08日 TweetList
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コメント
投稿者 戌年 : 2008年8月7日 21:32
古代文明において発生した交易の歴史は、いろんな文明を比較してみたいですね。
ところで似たような言葉ですが、交易、交換、贈与・・・・などは、どのような違いなのでしょう?
この辺もはっきりすると分かりやすくなりそうですね。