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闇の支配勢力は、清の時代に中国に進出?

ウィキペディア [1]で、中国の反乱というサブカテゴリを見ていると、どうも「清」の時代に内乱がかなり多いと気付きました。
清:1636年~1912年
三藩の乱  (1673年~1681年)
白蓮教徒の乱(1796年~1804年)

太平天国の乱(1850年~1864年)→これがポイント??
パンゼーの乱(1855年~1873年)
陝西省・甘粛省を中心に発生した蜂起(1862年~1873年)
戴潮春の乱(1862年~1864年)
号軍(ごうぐん)は太平天国と同時期に清に反抗した貴州省の民衆蜂起軍。
艇軍(ていぐん)とは、太平天国の乱の時期に蜂起した部隊。
捻軍(ねんぐん)は太平天国と同時期に清に反抗した華北の武装勢力。
幅軍(ふくぐん)は太平天国と同時期に清に反抗した山東省南部の民衆蜂起軍。
長槍会(ちょうそうかい)は清末に山東省で蜂起した民衆反乱軍。
大成国(だいせいこく)は清末の1855年から1864年まで存続した、天地会の蜂起軍が広西省に建立した政権。

これだけの内乱に、大規模な民衆蜂起軍,勢力,秘密結社も形成されている。
この時期、中国国内は一体何が起こっていたのか?まずは、問題提起をしたいと思います。
byさーね
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太平天国の乱を皮切りに、19世紀の中国は、ヨーロッパ列強の進出と内乱が多く起こり、最終的には
「眠れる獅子」と畏れられた清が、新興国日本に敗北する様子を見た欧州列強は、1896年から1898年にかけて勢力分割を行い、満洲からモンゴル・トルキスタンをロシア、長江流域をイギリス、山東省をドイツ、広東省・広西省をフランスが勢力圏とした。同じく、イギリスは香港の九龍半島と威海衛、フランスが広州湾、ドイツが青島(膠州湾租借地)、ロシアが旅順と大連を租借地として、それぞれ要塞を築いて東アジアの拠点とした。
清は、半植民地化→滅亡に至った。この動乱期に、秘密結社の源流に近いと考えられる「洪門」(ホンメン)が結成されているようです。
洪門(こうもん)は中国明朝末期清朝初期に興った秘密結社、“反清復明”(清を倒し明を復活させる)を主旨とする。洪門とは全ての山堂及び反清組織を纏めた総称である。
洪門組織
清朝乾隆帝の治下にあっては、洪門は既に瓦解していた。明朝を復活させる希望はなく、民間における反清情緒はすでに収まっていた。それに伴い、乾隆はアメと鞭を使い漢人を重用したため、反清組織は既に存在しなくなっていた。それに代わって興ったのが地方性の組織で、宗教的な意味合いを持つ白蓮教、相互補助的な性質を持っていた天地会などが知られている。これらの組織は保護費、賭場経営、売春、アヘン館などを収入源とし、低層の者は盗み、誘拐、詐欺などを生業とした。

代表的な組織は、白蓮教、天地会、拝上帝会、三合会(紅幇)、哥老会、義和団
この洪門には、最終的に清を滅亡に追い込んだ辛亥革命の主導者である孫文も加盟している。
明~清の時代は、王朝による独裁・恐怖政治、官僚の特権行使や腐敗、掠奪による圧政も凄まじかったようで、かなり国内は不安定な状況だった。欧州列強が進出していたことを考えると、闇の支配勢力もこの時期に中国に食い込んでいたことも考えられるのではないでしょうか?
参考サイト:ウィキペディア [4]

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