2009.03.20

近代以前のユダヤ人の行方を追え!

 こんばんは、カッピカピです。
 今日は、前々回のぴんぐーさんの記事の中にあった
>ユダヤ人は迫害と追放(→移住)の歴史を繰り返してきましたが、その
>逆境を利用 。彼らはこの離散状態を活かし、遠い町との貿易決済業に
>たずさわるようになり、さらに保険業や株式、債券の考え方を生み出す
>ことになります。
 という部分に着目し、「ユダヤ人がどの時代に、どういった経路で世の中へ離散していったか」を追求してみたいと思います。
 とは言いつつも、近代以前のユダヤ人の情報は非常に少ないです。そこで、丹念にネットを検索した結果、
         ユダヤ教・キリスト教・イスラム
       講師 東京大学大学院人文社会系研究科教授
 
              市川 裕
         平成17年9月20日 於:如水会館
            社団法人 如水会
              リンク先
 
という講義記録を見つけました。この講義は、イスラエルの中学校くらいの教科書に載っている地図を用いながら、ユダヤ人の分布を押えていくというもので、今回のテーマにピッタリの講義内容でした。
そこで、今日はこの講義記録を参考にしながらユダヤ人の行方を追っていきたいと思います。
転載許可をして下さった、東京大学の市川先生及び、(社)如水会に、この場を借りて感謝致します。
それでは、応援のポチのあと、続きをどうぞ・・・
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posted by hi-ro at : 2009年03月20日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2009.03.19

白人ユダヤ人のルーツはハザール王国にあり!?

これまでユダヤ人について調べてきましたが、ふと疑問 🙄
ユダヤ人発祥の地って今で言うと中東のあたり。
でも今のユダヤ人って白人が多いですよね?
なんで
ということで調べてみました
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posted by pingu at : 2009年03月19日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2009.03.18

スサノオは半島を追われた亡命貴族!?

未分類

日本神話において、国家統一はスサノオが出雲に進出するところから始まります。神話の上ではイザナギ、イザナミの子孫となっていますが、イザナギ、イザナミ神話は南方神話であり、対してスサノオは北方的色彩の強い風神ですから、スサノオの出自は別に探る必要があります。スサノオの出自を探ってみると「朝鮮半島を追われた亡命貴族」ではないか、とする説が浮上してきました。
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写真はスサノオの生誕地とされる宇美神社(http://websakigake.sakura.ne.jp/05-231.html)より拝借しました。

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posted by staff at : 2009年03月18日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2009.03.17

四隅突出型方墳の示唆すること【高句麗・新羅→出雲→東国のつながり】

未分類

古墳というと前方後円墳、前方後方墳をイメージされる方が多いと思われますが、その中でも四隅突出型方墳は、半島や出雲との関係を紐解く上では、極めて重要な意味を持っているようです。
 高句麗から出雲および東国へ 引用、一部編集させていただきました

出雲(島根県)の古墳で注意をひくのは、方系墳の分布が濃厚であることだ。前方後円墳や円墳もあるが、方墳、前方後方墳の数は全国最多となっている。
しかも出雲の方系墳は古墳時代のはじめから終末期まで、出雲東部で根強く生きつづけて、出雲における古墳文化の伝統を特色づけてやまない。1973年(昭和48)のころには、出雲の古墳545基のうち、方墳は111基、前方後方墳は17基とされていたが、最近の調査によれば、それをはるかに上まわって、方墳は約250基、前方後方墳は約30基ぐらいにも及ぶという。

出雲の方墳のなかで、その初期に出現するものに、方形の四隅に突出部のある、いわゆる四隅突出型の墳丘墓がある。出雲を中心に、因幡、伯耆、石見、出雲よりの備後・安芸にある。方形台状墓や方形周溝墓とはおもむきを異にし、古墳のすそに立形の列石や敷石遺構がめぐらされ、斜面に貼り石がある。なぜ、こうした四隅突出型方墳が出雲に突如として登場してくるのか。なぜ、方系墳が出雲東部に集中的に存在するのか。そこには今後の検討課題に待たねばならぬいくつかの課題がひそむが、大陸の方系墳とのつながりも考慮に値しよう。とりわけ高句麗などの古墳(たとえば蓮舞里二号墳など)との比較と吟味が必要となろう。

(日本において)四隅突出型古墳の発見が戦後、重要な意味をもったのは、大和に古墳が造られる以前、つまり弥生時代に、前方後円墳とまったく違うかたちの古墳が存在していたことがわかったからなのである。つまり、少なくとも古墳について、大和朝廷の勢力の進展に伴って日本列島の各地に古墳が造営されるようになったという、それまでの定説的な考え方の図式が、四隅突出型古墳の出現によって崩れたのである。そして、今回の雲坪里でみたように、日本海沿岸地域に限られていた四隅突出型古墳に類似する古墳が鴨緑江のほとりにもあったことで、より問題がふくらんだのである。しかもその雲坪里には、前方後円型と四隅突出型という、日本の古墳につながる二つの大きな要素が共存している。

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posted by naoto at : 2009年03月17日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2009.03.16

蘇我氏考察 2 ~ 仏教信仰は大王から委託された任務

未分類

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引き続き、遠山美都男 「蘇我氏四代の冤罪を晴らす」より。
今回は仏教信仰の視点から蘇我氏を読み解きます。対立豪族として物部氏・中臣氏が
登場します。
また、通説538年、実は、はっきりしないといわれている仏教伝来の時期について、
仏像や経典などの「もの」では十分条件たりえない、
それを説く「ひと」が渡来してはじめて仏法伝来は成る、という史観を披瀝しています。
では。
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posted by urara at : 2009年03月16日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

2009.03.15

日本支配層の系譜2 半島における倭国大乱→侵略部族が列島に舞い降りる

歴史上古代国家の形成期には、部族連合同士が総力戦でぶつかり合い、殺し合う激しい闘争過程を通じて、勝ち残った氏族・部族が、負けた部族を支配・従属させることによって国家を形成する。
古代中国、そしてお隣の朝鮮でもその過程は明確に存在した。特に古代朝鮮で、部族連合・小国家を形成していた馬韓・弁韓・辰韓が国家(百済、新羅)を形成する過程は激しい闘争があったと見られる。
(※注:これが当時朝鮮に主力があった倭人勢力の倭国大乱。その際に半島の戦乱からはじきだされるようにして、大量の武装侵略部族が日本にやってくる。)

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posted by ihiro at : 2009年03月15日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2009.03.11

考古学から見た東と西の違いは?

東日本と西日本の文化の違いは現在でも言われているところであるが、
『縄文時代に於いても東日本の文化が西に比べ豊で栄えていた、従って人口も多い』と言われている。
言われている文化の違いとは何か、その原因がどこから来るのか調べてみました。
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posted by mukai at : 2009年03月11日 | コメント (7件) | トラックバック (0) List  

2009.03.09

後期旧石器時代の日本:遺跡間接合~世界的にも珍しい”交流を示す?”

少しわかりにくい言葉ですが、今日は遺跡間接合をテーマにしたいと思います。考古学用語の様で、その意味するところは、
「それぞれ別の遺跡で見つかった石器が、もともと一つの原石から作られたことが判明する」こと。
ここに、人類の本性は共同性にあるるいネット)が見えてきます
単なる考古学的な論証に終わらすのではなく、その背景を鮮明にしてみたいと思います。
参考図書 日本の歴史01 縄文の生活誌 岡村道雄著 講談社学術文庫
byさーね
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posted by sawatan at : 2009年03月09日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2009.03.08

■人類がアメリカに渡った時期はいつなのか

■人類がアメリカに渡った時期はいつなのか?
最初のアメリカ人とは?には、詳しく書かれています。
これまでの学説では、シベリアとアラスカの動植物が類似している事から両大陸は繫がっていたと考えられる。そして最初のアメリカ人(南北先住民は外見からモンゴロイド)は、シベリアからアラスカへ渡ったモンゴロイドの祖先と考えられるようになった。その結果シベリアとアラスカが陸続きであった時期が人類がアメリカに渡った時期と推察している。
推察を成立させる為の認識:人類の移動は、陸上を徒歩で移動する事が前提に成っている。
続きを読んでくださいね。
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posted by ryou at : 2009年03月08日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2009.03.08

3月の優良ブログ・HPの紹介ページ

こんにちわ。 🙂 管理人のtanoです。
縄文古代ブログは現在大きく4つのパートに分かれて追求しています。
1)縄文時代
2)弥生時代~古墳時代
3)古代アメリカ大陸
4)イスラム圏~チーム「宗教」・チーム「ユダヤ」

一見バラバラに見える4つのパートは大きくは歴史解明という部分で繋がっています。また歴史解明をなぜするのか?それには現在の時代の閉塞状況への答えを過去の歴史の中に求めていこうとしています。
いったい、人類はどこで道を誤ったのか?人類は今、自らが築いてきた全文明の見直しを迫られている。」改めて当ブログの冒頭に書かれているこの一節を頭のどこかに入れて、各メンバーの追求活動を行っていただきたいと思います。
さて、今月も毎日の記事UPよろしくお願いします。 🙂
このページへのコメントもメモ 代わりぜひ活用してください。
このHP役に立つなーとか
このブログ面白いからぜひ読んでよー

と思ったら直ぐ、このページに書き込んでください。
自分のパソコンのお気に入りに入れるよりいいですよ。

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posted by tano at : 2009年03月08日 | コメント (5件) | トラックバック (0) List  

 
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