2009.04.01
4月の優良ブログ・HPの紹介ページ
4月に入って寒い日が続いていますね。桜が咲く前に花冷えが来たような感じでさくらも蕾のまましばらく凍結状態ですね。隣国北朝鮮からミサイルが飛んでこようとしているこの数日間ですが、列島は相変わらず暢気に花見の準備などをしています。
日本人の起源は果たして朝鮮半島なのか?私は個人的には疑問をもっています。
先に来た大陸の南方民族である呉越の民が数百年先行しており、その時点での渡来人は全て縄文人に同化して混血していきました。後から来た半島からの渡来人に比べるとはるかに日本になじんでいたのではないでしょうか?
半島からの民が完全に日本に同化したのは戻る先がなくなってからなんでしょう。
進んで同化した民とやむをえず同化した民、その違いが未だに朝鮮半島との軋轢の一因にあるように思います。もし、北朝鮮のミサイルが日本列島に飛来した時、私たちはどう行動を起こすのでしょうか?
今月も皆さんの紹介投稿をお待ちしています。
最近多くの方が縄文ブログを訪問していただけるので、どんどん輪を広げていきましょう。
管理人:tano
posted by tano at : 2009年04月01日
| コメント (0件)
| トラックバック (0)
TweetList
2009.04.01
キリスト教ってどんな宗教?

(↑リンクより)
キリスト教ってどんな宗教かご存知ですか?
あらゆる宗教の中でも信者数は最も多く、世界中で20億人を超えるそうです(イスラム教は13億人、ヒンドゥー教は9億人、仏教は3.6億人程度)。
なんでこんなに広まったんでしょう?
クリスマスが楽しいから?十字架のある教会がかっこいいから?
…もっと人々を惹き付ける何かがあるに違いありません。キリスト教が世界に与える影響は大きいので、これは気になります。
これから3回に渡って解明していきたいと思います。
第1回目は、基礎知識として、「キリスト教がどんな宗教なのか」を調べてみたいと思います。
続きを読む前に↓応援クリックお願いします!
posted by staff at : 2009年04月01日
| コメント (13件)
| トラックバック (0)
TweetList
2009.03.31
武蔵野台地を切り開いた亡命王族「高麗若行」
武蔵国には既に紀元前250年以降に信濃方面、そしてまた甲斐方面から出雲系氏族が進出してきていました。また、それ以前から西部の山岳地帯の落葉広葉樹林帯には縄文の狩猟採集民たちが多く暮らしていたと思われます。そんな彼らの力では、太刀打ちできなかったのが武蔵野台地の開拓でした。ここを切り開くためには、最先端の灌漑技術が必要だったのです。この技術を提供したのが、半島からの亡命氏族だったのです。
武蔵野台地 (引用させていただきました)
大和王権は7世紀半ば以降、それまでの朝鮮半島重視の西向き政策を改めて、それまであまり重視していなかった関東や東北方面への進出を重視する政策にシフトしていくようになり、663年に白村江の戦いで大敗して朝鮮半島での基盤を全く失うとそうした傾向は本格化して、670年には国号をそれまでの「倭国」から「日本」に改めて、それまで大和王権側が蝦夷の支配する異国として「日本(ひのもと)」と呼称してきた関東や東北をも包含した新しい「日本国」として再出発する方向性を示しました。
その方針を実行するためには、今まで「むさし国」などと言って開発を敬遠していた武蔵国の開発にも本格的に取り組まなければいけません。しかし、この頃ピークを迎えていた地球寒冷化の影響で江戸湾の海岸線がいくらか後退して、また河川の運んでくる土砂の堆積も増えて、以前よりはいくらか低湿地帯の開発も容易にはなっていましたが、相変わらず開発の困難な地域でした。そこで新生日本国の朝廷は、この武蔵国をはじめとした関東の未開発地域の開拓に、シナ大陸の最新の灌漑技術を有した朝鮮半島からの亡命氏族をもって当たらせることにしたのです。
posted by naoto at : 2009年03月31日
| コメント (1件)
| トラックバック (0)
TweetList
2009.03.30
渡来人は倭国に何を求めてやってきたのか?
古代史を勉強していていまだ不可解なのが大陸や半島からの人の流れとその理由です。
一般的に言われているのが、中国大陸、朝鮮半島から戦乱の度に負けた部族が次々と亡命してきたという説です。
それはそれで間違いではないと思うのですが、渡来の目的は単一的ではなく、いくつかあるように思います。ざっと思いつくものを列記してみます。
①戦乱逃避(ボードピープル)
②交易の為の渡来、人的交流
③気候変動(寒冷化)による南下
④資源を求めて渡来
⑤侵略目的
渡来人の初期段階は①、②、③が多く、古墳時代に入って新天地を求めて⑤が登場します。
その中で今回注目したいのが④です。日本列島に大陸にはない資源があったとしたら十分に成立しますし、一般的に考えれば危険な海を越えて命がけで渡ってくる場合、相当の目的があるということが想定できます。
大陸には既に採掘されつくして枯渇していた水銀を求めて日本列島にやってきた、と考えられない事もないのです。
↓なぜ?と思う人はポチッと押して次に進んでください。
posted by tano at : 2009年03月30日
| コメント (1件)
| トラックバック (0)
TweetList
2009.03.29
藤原氏を探る 祖神のすり替えと神話作り
こんばんは。
>社殿の起源は力のある豪族や氏族などが自分たちの氏神【守護神信仰】を祀るために造ったと考えられる。元々の氏神は、「氏」の神と書くように、その地域に住む豪族が祖神または守護神として祀っていた神のことを指します。
>「日本神話の神々がベースとなっている祭神って何?」
「やっさん」が「神社の起源と古代日本の社会構造(仮説)」で書かれていますが、元々の守護神としての氏神(祖霊神であったろうと思われます)が、神話に出てくる祭神へと置き換わっていったのは何故でしょうか?
日本書記を、自らの正統性を主張するために改竄し編集した藤原氏(不比等)。
まずは藤原氏の神社や氏神との関係から押えてみたいと思います。
こちらが春日大社です。

応援お願いします。
posted by nishipa at : 2009年03月29日
| コメント (4件)
| トラックバック (0)
TweetList
2009.03.26
屯倉を探る(1)~屯倉は大和朝廷の地方支配拠点~
![]()
こんにちは、みっちーですヾ(≧ー≦〃)
大和朝廷の中央集権化≒地方支配、もっと遡れば大和朝廷の設立を考える上で、屯倉の存在に着目してみたいと思います。
屯倉を追求していくことで、大和朝廷の動き、そして当時の各豪族(勢力)の謎が紐解かれていくのではないかと期待しています。
今回はまず、
屯倉の基礎知識
地方の豪族がなぜ屯倉(大和朝廷の勢力)を置くことを認めたのか?
について追求していきたいと思います。
応援よろしくお願いします 
続きを読む "屯倉を探る(1)~屯倉は大和朝廷の地方支配拠点~"
posted by staff at : 2009年03月26日
| コメント (1件)
| トラックバック (0)
TweetList
2009.03.24
二つの顔を持つ日本の神

最近、『古代史の「謎」入門(著者:関 裕二)』という本を読んでいます。その中に日本人の信仰の根本原理がわかりやすく書かれていたので紹介したいと思います。
上絵のような雷神様、そういえば雷神様もまさに神でしたね!なんで神様なのに怖い顔しているんでしょうか
考えたことありますか
。「触らぬ神に祟りなし」神様って悪者なんでしょうか?
まずは応援宜しくお願いします↓ポチットね 
posted by mrran at : 2009年03月24日
| コメント (0件)
| トラックバック (0)
TweetList
2009.03.23
弥生時代から、何が新しく始まったか?
最近は、弥生当りの追求が多いですね。
自分は縄文時代ばかり調べていたので、弥生時代を良く知りません。
わかりやすいまとめがあったので、縄文から弥生に入り、何が変わったか?
基礎的なデータとしてアップしてみたいと思います。
Byさーね 😮
応援よろしくです

posted by sawatan at : 2009年03月23日
| コメント (3件)
| トラックバック (0)
TweetList
2009.03.22
南米における文明の道のりを探る
nanndeyaさんが中央アメリカを検証されていますので、私は南アメリカを扱います。
南アメリカで文明と言えば、インカですが、そのインカに繋がる文明の道のりを探ります。
さらに旧大陸の文明の推移とどう違うのか?それは何故かを考えながら進めて行きたいと思います。

トケパラ洞窟の壁画です。有名なアルタミラの壁画と比べてみても遜色ありませんね。
つまり、当たり前ですが、ヨーロッパに進出した人々と、はるか南米まで進出した人々の潜在的な能力において違いは無いということです。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ではその前に ランキングアップにご協力願います
posted by dokidoki at : 2009年03月22日
| コメント (5件)
| トラックバック (0)
TweetList
2009.03.21
北方モンモンゴロイドの渡来からマヤ・インカ文明への道筋は?~メキシコでの農業の開始から要塞都市(モンテ=アルバン)の建設まで~
今回のテーマは、古代アメリカでの農業生産からマヤやインカといった文明に至る筋道なのですが、一体なぜ文明が興ったのか?というテーマそのものでもあります。
歴史の教科書では、
0.農業の発明
↓
1.富の蓄積と灌漑事業の必要
↓
2.権力者の出現と階級社会
↓
3.文明の発祥
と書かれる事が多く、確かにそういう順番で遺跡が発掘される例が多い。
ところが、なぜそうなったのか?を考えると、これらは論理的には繋がっていないのです。
アメリカ古代文明を探求する事でその構造を切開しようというのが本編のねらいなのですが、やはり難問です。 🙄
そこで、メキシコの「テワカン谷での農業の確立」に続き、(その南西160kmにある)「オアハカ盆地の要塞都市(モンテ=アルバン)」を取り上げ、文明の発祥を(仮説思考で)提起する事にします。
↓こちらのクリックも、お願いします。
続きを読む "北方モンモンゴロイドの渡来からマヤ・インカ文明への道筋は?~メキシコでの農業の開始から要塞都市(モンテ=アルバン)の建設まで~"
posted by nandeya at : 2009年03月21日
| コメント (4件)
| トラックバック (0)
TweetList