2009.04.10
弥生時代の戦いの痕跡を追って 山陰地方の遺跡~青谷上寺地遺跡と妻木晩田遺跡から
弥生時代における戦い跡を紹介するのに、よく引き合いに出されるのが、青谷上寺地遺跡です。
今回は、この遺跡と、同じく弥生時代に山陰地方で栄えた、妻木晩田遺跡との遺跡を通じて、山陰地方における弥生時代の集落の様子を紹介してみたいと思います。
<刃物傷を持った人骨(矢印部) 青谷上寺地遺跡出土>
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posted by yuyu at : 2009年04月10日 | コメント (5件) | トラックバック (0) TweetList
2009.04.09
大和誕生と水銀 ①大和の歴史
こんばんは。tanoです。
「大和誕生と水銀」という桜井市でペンションを経営する地元(大和人)の歴史家が著した書籍があります。
この書籍は100%大和人と称する田中八郎氏が足と見聞で得た貴重な情報に自らの内に流れる縄文的感覚を元に組み立てられており、縄文人や土着の弥生人の立場から歴史を見極めた稀有な歴史書になっています。
これから381頁に及ぶこの書籍の中から①大和の歴史、②宇陀の水銀と歴史、③古墳築造の意味、の3回に渡って要約、紹介をしていきたいと思います。
もちろん気に入った方はぜひ書籍を購入して原文を読んでみてください。著者の訛り入りの味のある文章が味わえ、読み物としてもかなり面白い本です。
「ヤマトがなぜ奈良にあるのか?」興味深いこの問いから始めてみます。
同じような疑問を持ったことがある方、ポチッと押して応援お願いします。
posted by tano at : 2009年04月09日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2009.04.08
邪馬台国は朝鮮半島にあったのか-3 卑弥呼は公孫氏の係累ではない
😀 くまなです。
邪馬台国は朝鮮半島にあったのか-1 倭国は朝鮮半島にあったでは、倭国の所在地について、邪馬台国は朝鮮半島にあったのか-2 朝鮮半島説での行程問題では、魏(帯方)郡から倭国への行程から倭国は、倭国は朝鮮半島から日本列島にかけて広い範囲で存在した、ということを山形明郷氏の朝鮮半島説を参考にして検証しました。
ポイントは、魏志倭人伝の記述の通り倭国の北岸が朝鮮半島南端(狗耶韓国)であり、邪馬台国連合の国々がそこから南方にあるとすれば、それは九州及びその周辺地域にあることになる、ということです。
それに対して山形説(朝鮮半島説)では、邪馬台国は朝鮮半島北部にあったとしています。その主な根拠は下の二点です。
①卑弥呼は公孫氏の繋累であり、その勢力圏(遼東半島付近)の近くに居たはずだ。公孫氏の後ろ盾があったから倭国大乱を収めることができた。
②韓の國の「弁辰弥烏邪馬国」が、弁辰の属国脱出を機に「弁辰弥烏」を外し「邪馬国」となったのが邪馬台国ではないか。
今回は①について見てみましょう。
↓その前にポチッと応援よろしくお願いします。
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posted by kumana at : 2009年04月08日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2009.04.07
日本人起源へ:東アジア全体を捉える~アジアの6祖族
日本人の起源ですが、やはり、この間るいネットで展開されているように、東アジア全体で考える必要があると思います。
先史というと、なかなかデータが少なく未明な領域ですが、今日参考にさせて頂いた変身のための起源論では、仮説思考で果敢に挑戦してくれています。
日本人の起源を考える上での基礎データ的な位置付けでアップします
※画像は、変身のための起源論より引用させて頂きました。
byさーね
応援よろしくお願いします
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posted by sawatan at : 2009年04月07日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2009.04.06
稲作の普及は関東が最後になった。何故?
○最近国立歴史民族博物館(歴博)が進めてきた、加速器質量分析法(AMS)を用いた放射性炭素年代測定法で一変しようとしている。(朝日新聞記事)
集落の規模も、稲作の広まり方も考え直さなければならないという。
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posted by ryujin at : 2009年04月06日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2009.04.05
それでもアンデスで武力統合が必要になったのは何で?
アンデスの歴史を調べていくと、なぜモチェ以降武力統合による国家が出来たのか?が大きな疑問になりました。
今回はこの辺を探ってみます。
連行される捕虜の壁画です
ムーチャ・スエルテよりお借りしました
以前の紹介のように、アンデスの祭祀建物は武力統合のはるか以前に造られています。
十分に協同作業で都市つくりが可能だった事になります。
さらに争い自体もなく、武力の必要が無い時代が続きました。
それなのに? なぜ武力による統合がモチェから始まったのでしょうか?
続きはクリックしてからね
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posted by dokidoki at : 2009年04月05日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2009.04.04
古代史年表
ここまでの議論を通じて、縦(例えば、古墳や鉄、武器などの単体)の繋がり、変遷は見えてきましたが、横の繋がりを見るうえで年表を作成しました。
posted by yoriya at : 2009年04月04日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2009.04.04
『アメリカの基層文明とは何か』~中間整理
現在、チーム「アメリカ」では、『アメリカの基層文明とはなにか』を追求しています。
現在、それを探る為に、
①新大陸へ移動してきたのはなんで?
↓
②生産様式が変わったのはなんで?
↓
③都市国家が出来たのはなんで?
↓
アメリカ基層文明の発祥
という流れに沿って、それぞれのポイントを整理中です。
今日はそのための視点を中間整理しました。
posted by saah at : 2009年04月04日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2009.04.03
キリスト教布教における重要人物『パウロ』
こんにちは
【チーム宗教】、世界最大勢力のキリスト教についてさらに追求していきます 😉
mitsukoさんからのバトンを受けて、今回は初期のキリスト教の布教に大きな影響を与えた『パウロ』という人物にスポットを当てていきたいと思います。
さて、このパウロという人物、実は元々イエス・キリストに対する反対勢力の一人でした。
①そんな彼がなぜキリスト教に回心したのか?
②そしてどうやってキリスト教を広めていったのか?
ここにキリスト教が世界宗教となった礎があったのです。
続きはポチッとしてから読んでくださいね
posted by maru at : 2009年04月03日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2009.04.02
イエス・キリストって、どんな人?
こんばんは~
キリスト教ってどんな宗教?に続いて、今日は、その始祖イエス・キリスト に迫ってみます!
まずは、国語辞書 より基本的なことを。
イエス・キリスト
[前4ころ~30ころ]キリスト教の始祖。パレスチナのナザレの大工ヨセフと妻マリアの子として生まれた。30歳ごろバプテスマのヨハネから洗礼を受け、ガリラヤで神の国の近いことを訴え、宣教を始めた。ペテロなど12人の弟子と活動を続けたが、ユダヤ人に捕らえられローマ総督により十字架刑に処せられた。その死後3日目に復活したと確信した弟子たちはイエスをメシア(救世主)と信じ、ここにキリスト教が始まった。
この写真のように、十字架刑に処せられたイエスはなじみがありますよね。でも彼が、どんな人で、何をしたのか、そしてそのこととキリスト教の教えとの関係は・・・? 気になることがいっぱいでした
応援お願いします
posted by mituko at : 2009年04月02日 | コメント (5件) | トラックバック (0) TweetList