2009.04.29
大和誕生と水銀 ③古墳築造の意味とは
シリーズ3つ目の投稿です。もう水銀は飽きたという方もいらっしゃると思うので、今日は古墳を扱いたいと思います。今日も田中八郎氏の「大和誕生と水銀」より紹介してみたいと思います。
田中八郎さんが大和の古墳を通して古墳とは何か?を問うています。
大変ユニークな分析なので古墳追求の資料として紹介しておきたいと思います。
今日は原文をそのまま転載してみます。(全文とはいかないので抜粋になりますが、田中先生、読者の皆様どうかご容赦を)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あらためて古墳とは何かを問い直してみてはどうでっしゃろ
野暮、どあほの声を意識しつつ踏み込みまひょ。それに墓と思い込んでいて間違いはないんやろかという点についてだす。まず古墳の特質を整頓しときまひょ。
①生産性が大きく、大群衆を養う利益が得られた。
②生産利益の種目は農業。
③人工神を誕生させた。
④戦闘集団を創設した。
⑤不特定郡集を管理し組織的社会をつくった。
⑥古墳は彼の世とこの世との合作である。
⑦古墳事業は仏教受容に比肩する新システムだった。
田中先生は上記の仮説を立て、まるで見てきたように語っていくのです。
今日もいつもの↓(ポチ)をお願いします。
posted by tano at : 2009年04月29日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2009.04.27
大阪湾の歴史からみる古代奈良の立地条件
古代の大和地方を想定するとき、当時の近畿地方の地形を頭に描かないと、ひとびとの実感=歴史事実に届かない仮説になってしまう・・。ということで、今回は、古代の近畿地方の地形を紹介します。
期待を寄せてくれたひと、ポチッとお願いします。
posted by urara at : 2009年04月27日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2009.04.26
縄文ピラミッドを探る~ヤマト王権により施設型岩石祭祀が広まる
こんにちは。
前回はクロマンタを紹介しましたが、続けて第2弾です!
写真は黒又山の麓にある大湯環状列石です。万座と合わせ日本一の列石です。
(大湯環状列石フィールドワークさんよりお借りしました。)
ストーンサークルは世界各地に見られますが、不思議ですね。
大湯は、縄文時代後期に造られ、その時代の土器、石器、土偶等を数多く発掘されています。
共同墓地や祭祀場、日時計などの諸説があるようですが、はっきりとは断定していないようです。
ところで、なんで“石“なのでしょう。
今回もまた岩石祭祀について、お伝えします。
応援お願いします♪
続きを読む "縄文ピラミッドを探る~ヤマト王権により施設型岩石祭祀が広まる"
posted by nishipa at : 2009年04月26日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2009.04.25
天皇って何?
<ウィキペディア 天皇(神武天皇版画 月岡芳年作)より引用リンク>
上の絵は、日本書記や古事記に記載されている、初代天皇『神武天皇』の絵です
神武天皇とは何者か?ご存知の方も多いかもしれませんが、天津アマテラスの孫にあたるニニギの孫?のイワレヒコのことを指します。イワレヒコは九州からヤマトへと、援軍と共に東征を行いました。行く先々では、神武(イワレヒコ)の前に様々な苦難が待ち構えています。しかし、神武(イワレヒコ)はあきらめることなく、ルートを変更したり迂回しながらなんとかヤマト入りを果たします。
これが、かの有名な、神武東征というお話しです。。。
古事記や日本書記では、神話の世界の話しが終わると、次に天皇を中心に話しが進みます。
氏族との関係だったり、お家騒動などなど、読んでいて飽きることが無いのですが、ふと、 『天皇って一体何なんだ????』という疑問にぶち当たりました。
同様の疑問を抱いている人もたくさんいらっしゃると想いますので、今回は天皇(天皇制)について記事を書いてみます。
その前に、いつものやつをお願いします。
posted by marlboro at : 2009年04月25日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2009.04.24
神仏紛争(物部VS蘇我戦争)~その実態は?~その2
その1の続きです。
その1までは、葛城氏の滅亡から、仏教公伝までを書きました。
今回は、仏教公伝以降、いよいよ紛争の実態にせまります
続きを読む "神仏紛争(物部VS蘇我戦争)~その実態は?~その2"
posted by jomon10 at : 2009年04月24日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2009.04.23
神仏紛争(物部VS蘇我戦争)~その実態は?~その1
古代日本(6~7世紀)において、蘇我氏と物部氏による、仏教と神道を巡る争いがあったと「日本書紀」は伝えているが、果たしてそれは、神仏紛争と言われるような、宗教対立だったのだろうか?
歴史の教科書も、幾多の説も、ほとんどが、宗教対立から発生したものであるとしているが、蘇我=仏教、物部=神道とは、単純にはいかないように思われる。
なぜなら、物部の土地には渋河寺があり、蘇我の土地には、宗我都比古神社、入鹿神社があり、両氏族とも、仏教も神道もどちらも取り入れていた可能性があるのだから。
そこで今回は、仏教公伝、神仏紛争の事実関係を、国内外の情勢を交えて見ていきます。
続きを読む "神仏紛争(物部VS蘇我戦争)~その実態は?~その1"
posted by jomon10 at : 2009年04月23日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2009.04.22
縄文ピラミッドを探る:神社祭祀の前段階の岩石祭祀場
こんにちは。
写真は、秋田県鹿角市の黒又山(通称;クロマンタ)。縄文ピラミッドと呼ばれています。
えっ?ふつうの山じゃん!?、と思われるでしょうが、
黒又山の他にも、日本にはピラミッドと呼ばれる山が実は数十箇所もあるようなんです。知らなかった!
ということで、今回はピラミッド発、縄文の信仰です。
参考: 「なんのため?縄文のピラミッド」
続きの前に、ポチッとクリックよろしくです。
続きを読む "縄文ピラミッドを探る:神社祭祀の前段階の岩石祭祀場"
posted by nishipa at : 2009年04月22日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2009.04.21
武士の起源は「俘囚」=蝦夷か?
この間、東国に関して追及してきましたが、より実態に近づきたいと思い、武士の起源も併せて追求していきたいと思います。
「武士」とは何者なのか?
日本人の基層をなす縄文人とは、どのような関係にあるのか?
こうした視点で、追求していきたいと思います。
今回は、武士の誕生に深く関わりがある「俘囚」に関する記事を紹介したいと思います。
社会実情データ図録引用
武士の起源に関するかつてと異なる新しい見方として、律令国家の収奪に対して開発所領を守るために武装した在地領主が武士になっていったのではなく、こうした在地領主が律令国家の乱れに乗じて得た既得権益を国政改革から守るため起こした地方の反乱・蜂起を国家が鎮圧するための勢力として位置づけた武装スペシャリストから武士が生まれたとする考え方があるが、こうした武装スペシャリストが学んだのが「俘囚」の戦い方や精神だったという訳である。武士のはじまりとしては超人的な武芸の伝説を有する平高望、藤原利仁、藤原秀郷(俵藤太)が名高いが、かれらの数代前の祖先が「俘囚」とともに活動したと見られる。
posted by naoto at : 2009年04月21日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2009.04.21
日本人の起源:渡来人の起源~オーストロネシア人
先日アップさせて頂きました日本人起源へ:東アジア全体を捉える~アジアの6祖族から、さらに日本人に関係の深いオーストロネシア人について取り上げてみたいと思います
日本語の起源研究の状況などでも紹介されているように、元々スンダランドを起源とするオーストロネシア人と日本への渡来人(あるいは漂着民)は関係が深いと考えられます。
変身のための起源論の論考・写真を参考にさせて頂きました
byさーね
応援よろしくお願いします!
続きを読む "日本人の起源:渡来人の起源~オーストロネシア人"
posted by sawatan at : 2009年04月21日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2009.04.21
‘毛人の国’ の考察
先日、→http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2009/01/000716.html 「毛人とは何者なの」 の記事にコメントの書き込みを致しました、「五節句」です。
自身で記事を投稿するのは 今日が初めてなので、文章の運び 等、不手際なところが出てくると思いますが、どうぞ、寛大なご理解をたまわりますよう、何卒、宜しくお願い致します。
先ずは、先輩諸氏に倣って、ここで、当ブログのランキングアップにご協力頂く為のバナーの差込を致します。
↓ご訪問頂いた皆様、応援クリックを、宜しくお願い致します。
その“世良田東照宮” のすぐ傍には、「東毛 (とうもう) 歴史資料館」が建っています。
東毛 ~ ~ 即ち この、徳川氏発祥の地でもある尾島というところこそは、古代の毛野国だったところ なのです。「東毛歴史資料館」の 小さなパンフレットにある〔挨拶文〕の冒頭を、紹介します。
『東毛地域には、多くの古墳や遺跡・貴重な建造物など、先人の活躍に色濃く染められた優れた文化遺産が残されており、私たちに郷土の歴史への愛着とそれを創り伝えた先人への仰慕の心を惹き起こしてくれます。』
県外の人間である私などが これを読むと、おそらく、古墳時代に興った“毛野国の民”~毛人、という名を、この地の人々は 今も、誇り高く継承している・・・、毛人 の精神は息づいている・・・、という思いに感じ入ってしまうのです。
posted by at : 2009年04月21日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList