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日本人の起源:渡来人の起源~オーストロネシア人

先日アップさせて頂きました日本人起源へ:東アジア全体を捉える~アジアの6祖族 [1]から、さらに日本人に関係の深いオーストロネシア人について取り上げてみたいと思います
日本語の起源研究の状況 [2]などでも紹介されているように、元々スンダランドを起源とするオーストロネシア人と日本への渡来人(あるいは漂着民)は関係が深いと考えられます。
変身のための起源論 [3]の論考・写真を参考にさせて頂きました
byさーね
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変身のための起源論 [3]の論考から抜粋させて頂き、考えてみたいと思います。
austronesia2.jpg

オーストロネシア人とは? [6]
どんな種族だったかというと…
Ⅰ)沿海や低湿地に住み、潜水漁・貝拾いなど、魚貝食文化
Ⅱ)「舟の文化」を発達させた。特に⑤南洋集団はカヌーで長距離を航海した。
Ⅲ)湿地の蛇・虫を避けるため、高床式住居
Ⅳ)蛇・鮫・大魚・ウツボらを〈水界の主〉として畏拝。またその害を避けるため文身(イレズミ)を施した。
Ⅴ)タロイモ・ヤムイモなど根栽文化。イモ類はバラバラにして植えると殖えるため、これから「バラバラに切り刻まれて食べられる」イモ女神への崇拝が起こった。有名な〈マヨ娘〉の殺人儀礼。食人風習。日本神話のオホゲツヒメ。
Ⅵ)のちにインドシナ~華南の集団は稲を栽培。稲はきわめて生産性が高いため、これによって大人口が確保された。

⇒日本への渡来人と考えられる長江流域の民の特徴と似ています。また、縄文時代等に、これらの種族が日本に漂着民としてたどり着いたと仮定すると、三内丸山を中心とした海の航路ネットワーク等で彼らの航海能力が発揮されたのではないでしょうか。

「倭族」と日本人のつながり [7]
この「倭族」の一部が日本人の構成ソースとなった-という鳥越憲三郎説
◆華南オーストロネシア人の分断
オーストロネシア族はふるく長江一帯で栄えていました。だが苗族が中流に「割り込んだ」ため、以後の彼らは長江の上流/下流に分断されてしまいます。すなわち蜀/呉の2集団に分かれたのです。
◆巴蜀オーストロネシア人の衰退
巴蜀集団は、苗族の〈楚〉や西域民の〈秦〉に圧されて、どんどん辺境へ押し込まれます。それでもまだ漢代には、彼らは〈滇/てん〉〈夜郎〉らの国々を維持していました。しかしこれらも前漢の武帝に攻められ、衰退…
◆呉越の滅亡と東海脱出
いっぽう長江下流のオーストロネシア人は、戦国時代に〈呉〉の国を建てて栄えました。
だが呉は越に滅ぼされ(BC472)、越も楚に滅ぼされる(BC334)。この過程で多数の呉・越遺民らが、ヴェトナム(南越)・南韓・西日本らへ逃れたようです。

オーストロネシア人の渡来は、二段階あったと考えると自然ではないでしょうか。
①スンダランド水没後、東南アジアへの拡散と同時に日本へも一部の部族が漂着し、母系集団のまま、海周辺での漁撈を主な生産様式として日本に土着した。
②その後、東南アジアから中国南部に拡散した部族は稲作という生産様式を獲得。中国大陸下の戦乱圧力により、逃避を余儀なくされ、西日本に渡来。その時、既に父系集団化していた部族が日本争いを起こし始めた。(縄文晩期~弥生)

同じオーストロネシア人起源と考えると不思議です。拡散した過程での外圧の違いで全く違う集団になってしまうのですから。

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