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‘毛人の国’ の考察

先日、→http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2009/01/000716.html 「毛人とは何者なの」 の記事にコメントの書き込みを致しました、「五節句」です。
自身で記事を投稿するのは 今日が初めてなので、文章の運び 等、不手際なところが出てくると思いますが、どうぞ、寛大なご理解をたまわりますよう、何卒、宜しくお願い致します。
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その“世良田東照宮” のすぐ傍には、「東毛 (とうもう) 歴史資料館」が建っています。
東毛 ~ ~ 即ち この、徳川氏発祥の地でもある尾島というところこそは、古代の毛野国だったところ なのです。「東毛歴史資料館」の 小さなパンフレットにある〔挨拶文〕の冒頭を、紹介します。
『東毛地域には、多くの古墳や遺跡・貴重な建造物など、先人の活躍に色濃く染められた優れた文化遺産が残されており、私たちに郷土の歴史への愛着とそれを創り伝えた先人への仰慕の心を惹き起こしてくれます。』
県外の人間である私などが これを読むと、おそらく、古墳時代に興った“毛野国の民”~毛人、という名を、この地の人々は 今も、誇り高く継承している・・・、毛人 の精神は息づいている・・・、という思いに感じ入ってしまうのです。


群馬県の尾島 (おじま) 町は、徳川氏発祥の地、という謳い文句で、関東有数の観光地に名を連ねる所です。
その観光の中枢に、三代将軍家光が日光に絢爛豪華な‘東照宮’を再建した折に、父の秀忠が建てた 先の(地味な方の)‘東照宮’を、この地に移築した という、“世良田(せらた)東照宮”があります。
けれど、そういう感慨には一抹の驚きも混じっています。
毛人 という語が廃れていない、ということの驚きです。実は 関東に住む者でありながら 私は、ここを訪れるまで、毛野国 を、どう読むのかさえも分かりませんでした。
そのパンフレットには、毛野には‘ケヌ’という仮名がふってあります。(毛野国 は、‘ケヌノクニ’、と読むのだと思います)。
毛野、という語に触れて、古代のこの国のとある一面が、初めて見えてくるような気持ちがします。
そこで又、俄かに気付いたことがあるのですが、埼玉県にも、毛 の文字が入ったところがあります。
毛呂山 (もろやま) というところです。
そして、この毛呂山には、出雲伊波比神社 (いずも いわい じんじゃ) という古刹が有ります。
毛呂山と毛野との関連、毛呂山に出雲と伊波比~磐井~岩井、という名の神社があることの謂れ等 を調べてみることは、きっと古代東国の新しい姿を知ることになる様な気がします。
以上、今日の記事はここ迄 とさせて頂きます。
次回はいつになるか 分かりませんが、きっと 又、この続きを書かせて頂きますので、今暫くのお付き合いを宜しくお願い致します。
お願いばかりで恐縮ですが、コメント 等、是非共お寄せ頂きたいと思います。

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