2009.05.18
黒曜石の採取・加工は集団的分業体制で行われていたらしい
○石器時代から縄文時代の遺跡では、産地から遠く数百キロも離れた遺跡で黒曜石が発掘されています。
これは一体どういう行為による結果だったのでしょうか。
露頭した黒曜石(麦草峠遺跡)
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posted by ryujin at : 2009年05月18日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2009.05.17
「廃県置藩」のすすめ ~中央集権vs江戸的システム~
明治以来日本は中央集権国家として突っ走ってきた。しかしそれは一方で様々な問題を生んでいるように思う。地方の衰退、官僚・公務員の肥大化とか、政治の世襲化とか、人々の無関心とか。
中央集権とは原理的にどのような問題を孕んでいるのだろうか?また、それに代わるシステムってあるのだろうか?
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posted by ihiro at : 2009年05月17日 | コメント (8件) | トラックバック (0) TweetList
2009.05.16
「アメリカ古代文明の基層を探るシリーズ」でわかってきた事と、わからない事。
このシリーズでは、
1.人類がアメリカに渡ったのはなんで?
2.狩猟生産から農業に転換したのはなんで?
3. 文明が興ったのはなんで?
の3つのテーマを扱っています。 🙄
1.は、 「人類が新大陸に渡ったのはなぜか?」でだいたいわかってきたのですが、2.「農業」と、3.「文明」はわからない事ばかりです。
みんなで「 🙄 なんで?」を共有できたら幸いです!
↓こちらを押してから、続きを読んでくださいね。
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posted by nandeya at : 2009年05月16日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2009.05.15
ユダヤシリーズ最終回です。
こんばんは、カッピカピです。
これまで、16回に渡ってユダヤ人(ユダヤ教)について追求してきました。ほとんどゼロの知識から、一つずつ調べ、記事にしてきました。このシリーズを読んで、少しでも多くの人が、ユダヤ教をはじめとした世界の歴史に興味をもち、本やネットを読むキッカケになってくれればと思っています。
それでは、これまでの投稿のリンク集です。
1.【チーム・ユダヤ】の課題☆
2.なんでユダヤ人を追究するのか?
3.ユダヤ教が誕生するまで
4.ユダヤ人全滅思想の出所。
5.キリスト教によるユダヤ人全滅思想
6.ユダヤ人が迫害されるのはなんで?①
7.ユダヤ人が迫害されるのはなんで?②
8.ユダヤ人の頭脳はどのように作られている?
9.タルムードから見たユダヤ人の可能性
10.なぜユダヤ人は金融業に特化していったのか?
11.白人ユダヤ人のルーツはハザール王国にあり!?
12.近代以前のユダヤ人の行方を追え!
13.ユダヤ人にとって天国だったオランダ
14.ユダヤ人が活躍できる場、それは立憲君主制の国である
15.ユダヤ人の天下到来~ロスチャイルド勃興~
16.ユダヤ人について~裕福なのはどっち~
後半は、名誉革命以降を駆け足で追っていきます。
その前に『ポチッ』をお願いします。
posted by hi-ro at : 2009年05月15日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2009.05.14
ユダヤ人が金融で力を持った後も迫害されたのは何で?
これまでユダヤ人の歴史(旧約聖書の時代リンクからロスチャイルドが勃興するまでリンク)を追ってきましたが、彼らは常に忌み嫌われ 、迫害 を受け続けてきました。
それは、ユダヤ人の選民思想(リンク、リンク)や、キリストを殺したのはユダヤ人だとしたキリスト教徒からの恨み(リンク)などなどいろいろな原因があるのですが、結果彼らは常に流浪の生活を送ってきました
そんな歴史からユダヤ人は神に祈るだけだは実生活に活かされないことを悟り 😡 、常に勉学に励んだので、ユダヤ教とは学ぶ宗教 といわれるほどでした。リンク
そして、その頭脳をもって金融業で世界を牛耳るまでになったユダヤ人
(→ロスチャイルド)
なのですが、ここでふと疑問が湧いてしまいました 🙄
金貸しで絶大な力を持ったあともユダヤ人はロシアのポグロム、第二次世界大戦中にドイツのヒトラーなどによって虐殺が行われている・・・なんか矛盾してると思いませんか
第二次世界大戦中といえば、金貸しが金儲けのために引きおこしたと言われるほど、ユダヤ人ロスチャイルドの力は世界中に行き渡っていた時代です。
にも関わらず、同胞のユダヤ人が大量に虐殺されてる
(図は二次大戦中のユダヤ人虐殺人数の分布図です。東京大学大学院 市川裕教授の論文「ユダヤ教・キリスト教・イスラム」よりお借りしました。)
※図をクリックすると大きくなります
図を見ると、ドイツやロシアだけではなくヨーロッパ各地で大量のユダヤ人虐殺が行われていたことがわかります
でも、この時代のユダヤ人の力を持ってすれば、こんな虐殺止めようと思えば止められたのでは?
と思うのですが、なぜなんでしょうか?
どなたか教えていただけると嬉しいです
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posted by pingu at : 2009年05月14日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2009.05.13
毛人の国の考察ー3
私は、自身のブログでも 「辛亥銘鉄剣」 について アレコレと書いているのですが、→ http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/folder/1010159.html こちらの ‘縄文と古代文明を探求しよう’ に掲載されている幾つかの記事を閲覧させて頂くうちに、又、新たな観点を得ることが出来たように思うものが 一つ あります。
それは、『毛野国』 (~ 古代東国の全域) と呼ぶべき地の大きさ です。
毛野国 (けぬのくに) は、大和朝廷の覇権が東国にも及ぶ様になった時代 (古墳時代) に於いて、現在の栃木と群馬の両県にまたがった地域にあったもの と、認識されています。
唐突な言い方ですが、そこに 埼玉県などが入る様な印象がありません。
現在の埼玉県を眺めてみると、周囲を 山梨、長野、群馬、栃木、茨城、千葉、そして東京にぐるりと囲まれた状態になっています。
おかしな言い方ですが、関東平野の 群馬や栃木や茨城、山梨、長野、そして東京 ・ ・ ・、その何処でも無いところが、埼玉県、です。
これは見様によっては、一つだったところの真ん中に穴が開いた為に、そこから放射状に亀裂の線が入った、という様に 見えないでしょうか。
前回の記事で 「武蔵国造りの乱」 の後に、使主 (おみ) は、屯倉として、その治めている土地の数箇所を大和朝廷に献上した、という記録があることを書きました。
その記述に於いて ‘武蔵国’ とされてあるので、使主や小杵 (おぎ) は、現在の埼玉県を主にその支配地にしていた様に感じられます。
ちょっと考えれば、その時に屯倉として献上した所は、現在の東京の武蔵野の地や神奈川の辺りの地だと云われているのですから、乱が起こった当時の ‘武蔵国’ の範囲には、東京も神奈川も入っていた、と推し量ることが出来るのです。
つまり、大和朝廷の領土となる以前に、今の東京から神奈川県( ~ 関東平野の西端迄 でしょうか) は、‘武蔵国’ を治める者の領土のうちであった、と考えられる訳です。
「武蔵国造りの乱」 で大和朝廷の武力が成敗した小杵には、上毛野小熊が味方をしていた と、日本書紀にありますから、‘武蔵国’ の中の小杵が支配していたところと上毛野とは けして無縁の関係ではなかった筈です。
又、使主と小杵とは同族の関係だ と、その記述にはあります。
ー ー ー 大和朝廷が屯倉を置く前、つまり、東国の地に覇権を及ぼす前には、‘武蔵国’ と上毛野の地を領土とする支配者同士は ひょっとして、共通のルーツを持っていたかもしれません。
(上毛野と下毛野に分かれたのも、実は、律令国家となってからだと考えられていますから、古墳時代のことを考えているここでは、以後、上毛野とは云わずに、毛野国 と云います)。
その 辛亥の年とは、471年であると云われている、115の文字が刻まれてある 『辛亥銘鉄剣』 は、埼玉県行田市の さきたま古墳群の中の 稲荷山古墳から出土したものです。
有名なその銘文の最後には、‘奉事の根源をここに記す也’ とあります。乎獲居 (ヲワケ) という名を始めとして、八つの名が記されています。
それは、代々の八人 は、根源を一つとする、という解釈にもなります。
その八つの名前の 大祖 (おおおや) として挙げられている オオヒコ 以外の七つの名前は、後々の関東 (主に埼玉県の) の土地の名前になっているのではないか という説を読んだことがあるのですが、→http://homepage3.nifty.com/kofun/index.html
私も、武蔵七党と呼ばれた武蔵武士達のその根幹の地に それらの七つの名前が残っているのではないか と、考えたことがあり、そこで述べられている説には、共感を覚えました。
『辛亥銘鉄剣』 にある名前には、今も残る土地の名前が含まれているのではないか ・ ・ ・。
と そこで今、‘乎獲居臣’ と刻まれてある名前について考えてみます。
‘乎ーヲ’、‘獲ーワ’、‘居ーケ’、‘臣ーオミ’、
夫々の文字の持つ 夫々の音に、夫々の 意味がある という見方は、古代の漢字表記 (万葉仮名) されたものを解釈する時の鍵でもあります。
この四つの文字が揃って一つの名を作っているのではなくて、ある四つのものが並べられてある、のかもしれない と、考えてみます。
今、極めて明らかに分かるものが ここにはあって、それは、三つ目の文字の ‘居ーケ’ と、‘毛’ が同じ音 である、ということです。
私は、この ‘ケー毛’ の文字が付く川が、関東に幾つか存在することに気付いて、ささやかな感動が沸きました。
この ‘居ーケ’ は、毛長川や毛野川 (鬼怒川) の ‘毛’ のことではないでしょうか。
さらに、‘乎ーヲ’、‘獲ーワ’、‘居ーケ’、‘臣ーオミ’、とは、四つの川を意味しているのではないでしょうか。
川の流域に人の文明 (縄文文化) の営みが生まれる、という考えは、常識中の常識です。
現在の埼玉県行田市に大規模な古墳群を造った人々は、関東平野の四つの川にその文明の温床を得た人々だったのかもしれません。
現在、県を別にしている群馬、栃木の毛野国や、武蔵と呼ばれた埼玉や東京、また、神奈川の辺りまでが、私は 縄文時代に始まる ‘毛人の国’ の範囲だったのではないか と、考え始めています。
今回も、最後まで読んで下さった諸氏の方々に感謝をするとともに、クリックのお願いを付け加えさせて頂きます。
有難う御座いました。
posted by ruiblog at : 2009年05月13日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2009.05.13
キリスト教はどのようにしてローマ帝国の国教となったのか?
【チーム・宗教】maruさんの投稿「初期キリスト教における教会の存在」では、ユダヤ戦争によるエルサレム陥落をきっかけに、キリスト教会におけるユダヤ教の伝統的な厳しい律法を重視するヘブライオイ(原始キリスト教団)が地位を失い、現在のキリスト教のように「神の愛」を信じるだけで救われると説いたヘレニスタイ(ヘレニズム教会)が勢力を広げていったことが分かりました
今回は、さらにその後、キリスト教がローマ帝国でどのようにして国教化していったのか?を追っていきたいと思います!
[ローマ帝国時代キリスト教の布教状態(4世紀初めキリスト教公認のころ)]
293年、ディオクレティアヌス帝は、広大なローマ帝国を効率よく統治するため、四分統治(帝国を東と西に分け、それぞれに正帝「アウグストゥス」、副帝「カエサル」を置く政策)をとり、広大な領土を効率的に収めようとしました。また、専制君主制を導入し、立法・司法・軍事の最高権力を一手に握りました。
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posted by staff at : 2009年05月13日 | コメント (17件) | トラックバック (0) TweetList
2009.05.12
冊封体制ってどんなもの?
古代日本については、本ブログでも扱われているように朝鮮半島、中国の影響が大きいと思われます。
特に中国からは中央集権(=官僚体制)など数々の制度の影響を受けています。
■中央集権(=官僚体制)が国力を増強させる
秦の(中国を統一するほどの)強大な国力から考えても、中央集権国家というのは生存圧力の下では、強力な国力増強装置として働くことが分かる。一方で、朝鮮半島の国々(高句麗、新羅、百済)は、部族連合としての国家体制を維持し続けたため、中国大陸の統一王朝を真似て中央集権化を進めた日本に国力の面で劣ることになる。(よって、中世において、朝鮮半島は日本を中心とした冊封体制に組み込まれてしまう。)
今回は中国の制度や体制の中から、「日本になぜ天皇制が確立されたのか?」でも少し紹介されている「中国の冊封体制」について調べてみたいと思います。
posted by yoriya at : 2009年05月12日 | コメント (12件) | トラックバック (0) TweetList
2009.05.11
「万世一系」という言葉は明治以後本格的に登場した。~NHKスペシャル「天皇と憲法」より明治から1946年を概観する。
美濃部達吉「天皇機関説」の概念図
古代史の勉強を進めていくと、最後は、「天皇ってなに?」「どうしてこんなに長く続いているの?」という問題に行き着くなぁ、という予感があります。ゴールデンィークの初日、5月3日、NHKスペシャル「天皇と憲法」という番組を放送していました。
明治~1946年までを概観した興味深い内容でしたので、要点を投稿しておきます。
そのまえに、応援よろしくお願いします。
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posted by urara at : 2009年05月11日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2009.05.10
鮮卑系の遊牧民王朝の隋(文帝)が本源共認の代わりに律令制を完成
中国:北魏 律令制は乱世の中で発展していく非常時のシステムからの抜粋です。
>律令制は強力な中央集権国家を作って人民の生産力や戦闘力などを国家に効率よく集中させることが出来るシステムであったので、この律令制を効率よく運用し発展させた国家が乱世の中で勝ち抜くことが出来るという特性もありました。言い換えると、律令制は乱世の中で発展していく非常時のシステムであるのです。
隋:文帝
戦闘力(徴兵制度)がどのようにして国家(統合階級)に効率よく集中させることが出来たのかを追いかけてみます。
又、この統合階級の闘争下での民の意識がどうだったのかも押えてみます。
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posted by sakashun at : 2009年05月10日 | コメント (9件) | トラックバック (0) TweetList