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2009年05月11日

「万世一系」という言葉は明治以後本格的に登場した。~NHKスペシャル「天皇と憲法」より明治から1946年を概観する。

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美濃部達吉「天皇機関説」の概念図
古代史の勉強を進めていくと、最後は、「天皇ってなに?」「どうしてこんなに長く続いているの?」という問題に行き着くなぁ、という予感があります。ゴールデンィークの初日、5月3日、NHKスペシャル「天皇と憲法」という番組を放送していました。
明治~1946年までを概観した興味深い内容でしたので、要点を投稿しておきます。
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●「万世一系」の観念(言葉)は明治以降、外国に対する正当性の根拠として登場した。
鎖国を解き開国した新政府は、外国と肩を並べるべく立憲国家としての憲法制定の動きを起こす。
ヨーロッパに派遣されたのは伊藤博文、井上毅(こわし)たち。
伊藤たちが着目したのはドイツ式憲法。憲法制定するには、まずは自国の歴史を学べ
と諭された伊藤は、帰国後、井上に草案づくりを命じる。
井上は統合の中心、第一章を「天皇」に割き、その正当性を示そうとした。
井上の目にとまったのが、「古事記」の、アマテラスの子孫である神武天皇以降、
「万世一系」という言葉。
井上は大日本帝国憲法の条文に「万世一系」を援用した。
ドイツ人法律顧問のロエスレルは、「万世一系」という語は成文にはなじまない、と主張。
論争になったが、結局、第1章第1条は下記で落着した。
第1章 天  皇  
第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
1889.2.11大日本帝国憲法制定
●軍部の肥大化
帝国憲法では、天皇・議会・内閣の三権分立が謳われた。
しかし、議会の基盤となる政党が、政党争いで自滅。
一方、藩閥の巻き返しを図る山県有朋は、政党は部分利益のみを追求する、
国家たるもの国家利益を追求するべき、と議会(政党)を攻撃。
さらに、
1911 辛亥革命→清国瓦解
1912 明治天皇崩御
1914 第一次世界大戦でヨーロッパの立憲君主国崩壊
というトリプルパンチで三権のバランスは完全に崩れ、
「天皇は陸海軍を統帥す」と主張する軍部の肥大化を招いた。
●政党の巻き返し
ときは大正デモクラシー。自由平等の時代。1925普通選挙法制定で、納税による制限が
撤廃され、25歳以上の男子すべてに選挙権が与えられ有権者が4倍になった。
政治の大衆化に目をつけた犬養毅(立憲政友会総裁)は、
「政策や理念ではなく党利党略」
に舵を切り、対外戦略として軍縮を打ち出し大衆の支持を得た。
ところが1930年のロンドン軍縮会議後態度を豹変させる。
軍縮は天皇の統帥権を侵すものである、と政府攻撃に反転。
すでに高齢で、時間がない犬養は、目の前の総理のイスはのどから手がでるほどほしい。
軍拡路線に乗っかることで政権がとれるという判断が働いた。
●政党内閣の終焉
1931       満州事変
同年12月    犬養総理大臣就任。就任すると再再度態度豹変。満州国承認に反対した。
翌年5月15日  5.15事件で犬養首相射殺→政党内閣の終焉
●国体論VS天皇機関説
遡って1912年、
東大で憲法を教えていた上杉慎吉は天皇絶対主義「国体論」を発表。
同じく東大教授の美濃部達吉は、国家はたくさんの機関で成立している、天皇はその
最高機関であると主張。両者の間に論争が起こるが、美濃部の圧倒的勝利で終わる。
こうなると、東大生の多くは美濃部の憲法講義をとるようになる。つまり司法が変わる。
そこに
ソビエト誕生
無政府主義の台頭
吉野作造「民本主義」(労働争議発)
が拍車をかけ、元老山県有朋の危機感は募っていった。
●右傾化
敗れたとはいえ、上杉慎吉は熱狂的演説が得意で、一種の扇動家でもあった。
その教えを熱烈に信奉する東大生が七生社を結成。
1932 血盟事件
     首謀者の四元義隆は七生社の人間。後に近衛文麿の側近、戦後は歴代首相のブレーン
     5.15事件 犬養暗殺(上述)
     北一輝「日本改造法案大綱」で「憲法停止」を主張
1935 天皇機関説事件
     貴族院で攻撃を受けた美濃部達吉は軍部を批判。
     美濃部の著書は発禁になり、天皇機関説排除。
     9月、美濃部は貴族院辞職、自決勧告や重傷を負わされた。
     昭和天皇は人物としての美濃部を惜しんだという。
1936 2.26事件 軍部の政治のっとり
1937 日中戦争
東大教授 平泉澄皇国史観「天皇のために死ぬ」
→一億玉砕の精神論に発展
1945 終戦
1946 日本国憲法公布
第1章 天 皇
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
———————–
ここまで書いて気づくのは、帝国憲法も現行憲法も第1章第1条は「天皇」だということ。
しかし、それを当たり前だと思ってしまう国民性が日本人にはあるように思います。
幾多の困難を乗り越え、よくぞまあここまで続いたと、天皇制に対し、
拍手したい気にすらなります。
それは右とか左のイデオロギーを超越して日本人に共通する感覚のように思います。
この感覚はどこから出てくるものなのか?
これからも日本人の起源を探っていきたいと思います。
うらら

投稿者 urara : 2009年05月11日 List  

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コメント

 私としましてはやはり出雲の鋼が日本文明の礎を築いたことを見直すべき時がきているのではと思います。

投稿者 安来鋼人 : 2010年11月17日 23:53

 そうだと思う。藤原氏の末裔が日本史を歪曲してきたのは紛れもない。だから日本はたった一度負けた戦争に国家のアイデンティティを失い菅直人みたいな政治家を首相にさせちまう国柄に陥っているのでは?

投稿者 日本文明の洗脳者 : 2011年6月21日 00:26

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