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黒曜石の採取・加工は集団的分業体制で行われていたらしい

○石器時代から縄文時代の遺跡では、産地から遠く数百キロも離れた遺跡で黒曜石が発掘されています。
これは一体どういう行為による結果だったのでしょうか。
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黒曜石の産地

古くは3万年前の石器時代から伊豆諸島にある神津島で黒曜石が採掘されていた。
対岸の伊豆半島の先端部に位置する河津町の段間遺跡は、神津島産黒曜石の陸揚げ地と推定される。縄文時代中期の同遺跡は集落遺跡であるが、多量の黒曜石を出土する

黒曜石の七不思議 [2]

また、北海道の中部にある、旧石器時代の白滝遺跡は世界第一級の黒曜石原産地(鉱体規模約60億トン)として知られ、周辺には旧石器時代の鉱工業産業遺跡というべき多数の(100箇所以上を確認調査)石器工房遺跡群が存在します

白滝黒曜石ジオパーク [3]
この白滝遺跡では、標高1172Mの赤石山上部にある採取地、中腹にある一次加工場(中継地)、麓の最終加工をする村という風に石器製造の分業 [4]が行われていた形跡がある。
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また1993年9月12日読売新聞で、長野鷹山遺跡 [5]で3haの範囲にわたり、これまで発掘された中では縄文最大規模の合計75基の黒曜石の採掘址が発見されたことが報道された(時代は約3500年前と推定される) 
採掘址からは大量の黒曜石が発掘された。%E9%BB%92%E6%9B%9C%E7%9F%B3%E3%80%80%E9%95%B7%E9%87%8E%E9%B7%B9%E5%B1%B1%E9%81%BA%E8%B7%A1.jpg
○そして神津島や、白滝で取れた黒曜石が何百キロも離れた遺跡で発掘される。
黒曜石の産地と出土地の関係「黒曜石の謎 [1]
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○白滝遺跡の黒曜石は海を渡ってサハリンでも出土している。「サハリン、ソコル遺跡 [4]
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○これは一体どう解釈したらいいのでしょうか。
集団間の「贈与」とすると、何百キロも離れた集団間にどういう関係性があって贈与したのか?
贈与が集団間の緊張関係の緩和行為とすると、当時の集団規模(多くて数百人規模と思われる)からして、何百キロも離れた相手との緊張関係があったとは考えにくい。
逆に「交換(交易)」とすると、何百キロも離れた集団まで出向きわざわざ交換する必然性とは何なのか?
ただはっきりしてきたのは、黒曜石の採取とその搬出と集荷、そしてその加工は北海道の白滝遺跡や伊豆の段間遺跡に見られるように、ある程度の集団的分業体制(片手間ではなく、集団の仕事として)が行われていたということです。
そうやって作られた「製品」が各地へ運ばれた。
この運搬のされ方も、いきなり何百キロも遠方の集団へ運ばれたのか、それともまずは近場の集団に渡され、それが玉突き的に遠方の集団に運搬されていったのか。
疑問がなかなか尽きません。

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