2009.06.13

縄文人の精神性(イヌイトの世界観から)

未分類

最近、縄文ネタが切れているようなので、息抜きを兼ねて縄文ネタをアップします。
今回は、イヌイトの世界観を通じて、同じ狩猟採集民である縄文人の精神性に触れてみたいと思います。
 カナダ・イヌイト社会の分業と男女関係 【引用・編集】させていただきました。

イヌイト社会では人間と動物は相互依存関係にある。
簡単にいえば、動物、たとえばカリブーは普段、カリブーの「世界」にいて姿形もなすことも人間と同じであり、同じような生活しているが、人間の「世界」に現われるカリブーは衣服の材料になる毛皮、食料になる肉、道具の材料になる角などをつけて現われる。人間の「世界」へ行ってはまた自分の「世界」に戻らなければならないが、自分の力では戻れない。

無事に戻るためには、人間の手によって肉体から魂(イヌア)を解放してもらわなければならないが、解放してもらう見返りに、人間に毛皮や肉を与えるのである。
つまり、カリブーは毛皮や肉などの手土産を携えて人間の「世界」へ現われると考えられ、正しい儀礼に則って自分の「世界」へ確実に戻してくれる人間を選び、自らを獲らせるのである。
その意味で、動物は人間の心の中まで覗いて、行動も考えも正しい者を選ぶ。

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posted by naoto at : 2009年06月13日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

2009.06.12

ギリシャといえばオリンピックの祭典

こんにちわちわわです。
古代ギリシアといえば、オリンピアの祭典、いわゆるオリンピックです。
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今ではど派手なオリンピックですが、昔から結構派手だった様子です。
オリンピック会場には常に4万人の観客が訪れたようです。
しかもみんな男。ちょっと気持ち悪いですね。
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posted by tiwawa at : 2009年06月12日 | コメント (7件) | トラックバック (0) List  

2009.06.11

古代ギリシャで哲学が花開いたのは何で?

ギリシャシリーズ第2弾です
昨日のカッピカピさんの記事の通り、古代ギリシャでは、労働は奴隷の仕事でした。
なので一般市民の男性は基本的にヒマ
戦争に備えて体を鍛えてみたり 、アゴラと呼ばれる広場に集まっておしゃべりしてみたり・・・。
それでもヒマです
人間ヒマだと余計なことを考えだすものです。
”何で世界は出来ているのか・・・・・・・・ 🙄 ”
      
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posted by pingu at : 2009年06月11日 | コメント (8件) | トラックバック (0) List  

2009.06.10

ギリシャの民主主義を暴く!

 こんばんは、カッピカピです。
 突然ですが皆さん、ギリシャ文明についてどれくらいご存知ですか。
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<パルテノン神殿>  実は、ギリシャ文明は西欧文化の元祖とも言われており、我々の生活に大きな影響を与えているのです。どの辺りが元祖かと言うと、まず民主主義の元祖です。それから、哲学や芸術などです。神話なども有名ですね。   これから全5回に渡って、【元チームユダヤ】メンバーで【チームギリシャ】を組み、『古代ギリシャ』について記事を書いてみたいと思います。第1回目のテーマはズバリ『ギリシャの民主主義を暴く!』です。
 先にも書いたように、ギリシアでは、国王が政治を支配する王政政治ではなく、市民が政治に参加する権利をもつ民主政という仕組みで政治が行われていました。
 そのギリシャも、初めから民主政が実現していたわけではありません。王政→貴族政→民主政という順番で政治の仕組み(政治体制)が変わっていきました。
 では、一体古代ギリシアの民主政は、どのようにして成立したのでしょうか。
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posted by hi-ro at : 2009年06月10日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2009.06.08

女人高野「室生寺」~水銀探しの旅

こんにちは~♪カナです
前回の山之辺の道が意外と好評だったので、シリーズ化決定しました~ 😉
今回私が行ったのは奈良県宇陀市にある女人高野 室生寺です
なんでここに行こうと決めたのかと言うと、宇陀市のことを最近調べているんですが、
室生寺あたりに水銀 が出たらしいと聞いたので、気になったからです
宇陀と水銀の関係については、こちらに詳しくあります。
大和誕生と水銀 ①大和の歴史
大和誕生と水銀 ②宇陀の水銀
大和誕生と水銀 ③古墳築造の意味とは

それでは、私といっしょに室生寺へどうぞ~
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posted by kana0444 at : 2009年06月08日 | コメント (5件) | トラックバック (0) List  

2009.06.07

日本民族に流れる「みんな一緒」の縄文気質

日本人の底流に流れる共通の共認内容として、「みんな一緒の安心感覚」という概念が先日のなんでや劇場にて提起されました。(リンク)  
この意味で日本人は単一民族である、と考えるのは至極的を得ていると思います。
出自やDNAの違いなどは関係なく、共認内容が民族性を規定するものだということです。
「みんな一緒の安心感覚」の出処は人類共通のものであり、元々はサル時代に形成された不全から解脱する為に形成された機能で、相手の不全(期待)と自分の不全(期待)を同一視する共感回路を原点としています。つまり、相手と同化することによって充足(安心感等)を得る機能でもあるわけです。(るいネット
“相手と同化し安心充足を得る”
大陸と比べ殆ど戦争の歴史がなく、渡来人も受け入れた、まさに縄文体質なのだろうと思います。
この「みんな一緒」の縄文体質、思い当たるのはいくつもありますが、
その中でも、宗教や規範について少し書いてみます。
●宗教観について
日本には宗教はたくさんありますが、基本的には無宗教だと言われますね。
読売新聞が行なった「宗教」に関する全国世論調査の結果では、
何か宗教を信じているかの問いには、信じていないが75%と、信じている23%を大きく上回った一方、神や仏にすがりたいと思ったことがあるとの問いには54%があると答え、ないと答えた44%を上回っている。宗教を信じていないと答えた人でも、47%があると答えている。
また、75%が宗教を信じないと答えているにもかかわらず、ふだん神社や寺、教会などに行くと答えた人は81%と日本人の宗教観を見ることができる。(リンク)とあります。
掠奪戦争⇒生涯固定の身分序列⇒武力支配国家を築き、「みんな一緒」の本源社会をことごとく解体
した西洋では、失われた本源価値を頭の中で再生するための幻想観念=宗教が不可欠のものでした。
これに対し、「みんな一緒」の安心基盤=共同体社会を長い間維持してきた日本においては、そのような観念は不要だったのです。
●規範観念について
宗教よりも大事なものとして、日本人にピッタリとくる感覚は、「お天道様が見ている」、「世間様に顔向けできない」というような規範ではないでしょうか。(最近はあまり聞かれない??)
語源は知りませんが、「お天道様」や「世間」こそは「みんな」に近いように感じます。
「みんな」を羅針盤として生きてきた共同体社会が残した社会規範であり、このような伝統的な規範に照らして日本人は自らの行動を律してきたのだと思います。
相手と同化し安心充足を得る「みんな一緒の安心感覚」は、このように日本固有の誇るべき共認内容と思いますが、一方では数千年の同類闘争の歴史を持つ大陸民族に対しては大きな弱点構造でもあるわけですね。
どうすればいいのか? 歴史に学びながらみんなで追求していきましょう!
ありがとうございました、応援ヨロシクです!
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posted by nishipa at : 2009年06月07日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2009.06.06

日本人:遺伝子的には北東アジア系、でも心は縄文系なのはなんで?

未分類

古代日本には、大陸からの様々な民族が流入してきた。中国大陸からの倭人や北方騎馬系の人々がが流入し弥生時代となり、人種的・DNA的には次第に北方系が強くなり、一見東北アジアや朝鮮の民族と変わらなくなったと言われる。下図の分析からは確かにそう見える。
nihonjinxmap.jpg
参照:日本人は何処から来たか 松本秀雄著 
※松本氏によると、血液型の中のGm(ガンマー・マーカー)型という血液型は、人種の識別、混血の有無、混血の割合、民族の移動の跡をたどるのに有効であると考えられている。このGmによって分布図を描いた結果、上図のようなGm遺伝子の頻度分布図が得られたという。この本の著者は、血液学や遺伝学そして分子生物学の立場に立って日本民族バイカル湖畔起源説を提示している。
しかし、現代の日本人は明らかに日本人として一つのまとまりがあるし、大陸の中国人や朝鮮人とは明らかに違う心性を持っている。
例えば、

・まわりとの和を重んじる、自己主張しない。
 (反面、ハッタリ・交渉に弱い)
・自然との共感性(虫の声まで左脳で聞く)
・舶来信仰

周辺民族にこれらの感覚が薄いとすれば、その根本にあるのは、縄文人の感覚・共認内容としか考えられない。しかし、DNA的には中国東北部や朝鮮民族とあまり変わらない。・・・・・それはなんでだろうか?と長い間不思議に思っていた。
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posted by ihiro at : 2009年06月06日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2009.06.05

邪馬台国は朝鮮半島にあったのか?-4 邪馬台国は九州にあった

😀 くまなです。
邪馬台国はどこにあったのか
それは日本国家の源流に至る道筋とその支配層の塗り重ね構造を解明する糸口です。
その解明にあたっては、邪馬台国(邪馬壹国)について書かれた唯一の史書である魏志倭人伝の記述を原点として紐解きます。その記述に嘘は無いものとして、なるべく忠実に読みます。魏志倭人伝の著者陳寿が書いた原典は残っていないので後代の写本を元にします。
永遠の謎ともいえる邪馬台国の所在地について論証するのは無謀かもしれませんが、素直に読むとこうなるというものを一旦まとめておきたいと思います。
あとはみなさまからの突っ込みコメントで内容を深化させたいと思います。よろしくお願いします。
本編は長くなるので、まず論旨だけ書きます。
帯方郡から邪馬壹國までの全行程が12000里、途中の伊都國までが10500里。一里は75m(短里)とすると、伊都國は佐賀市あたり。残り1500里を南のほうに進むと熊本県の八代市あたり。そこを中心に阿蘇や高千穂も含む地域に邪馬壹國があった。(下図参照)
yamataikoku3.JPG
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posted by kumana at : 2009年06月05日 | コメント (6件) | トラックバック (0) List  

2009.06.04

最初の征夷大将軍

蝦夷征伐とは、大和朝廷による本格的な東国侵略と見なしていいと思います。
征伐にあたり全権を付与されたのが「征夷大将軍」ですが、彼らは「大義」を果たすためには、皆殺しも辞さない冷酷無比な人種だったのでしょうか?
今回は、初代の「征夷大将軍」坂上田村麻呂に焦点をあて、この問題を考えてみたいと思います。
高取町出身である最初の「征夷大将軍」坂上田村麻呂の活躍 【奈良県高取町の歴史遊歩】
 引用・一部編集させていただきました
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posted by naoto at : 2009年06月04日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2009.06.03

弥生時代の戦いの痕跡を追って~吉野ヶ里遺跡から

こんばんは。今回は、弥生時代の北部九州における戦乱の状況をおさえる上で、今回は九州佐賀県にある吉野ヶ里遺跡にスポットをあてて紹介したいと思います。
 
 
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                  <吉野ヶ里全景>
 
 
まず、吉野ヶ里の概略の歴史ですが、弥生前期に丘陵地に点在していた「ムラ」が、弥生中期に丘陵地帯を一周するほどの環濠を伴った集落として発展し、弥生後期には環濠が拡大二重化し最盛期を迎えますが、古墳時代に入ると伴に、消滅します。
 
 
この巨大集落で、主に甕棺の中から埋葬された当時の人々が骨となって発掘されますが、その中には、首のないものを含め、戦いによって負傷したと推定されるものが含まれています。
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                    <首ない人骨>
 
 
これらの人骨は、一体いつごろの人たちなのでしょうか?
 
 
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posted by yuyu at : 2009年06月03日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

 
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