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縄文人の精神性(イヌイトの世界観から)

最近、縄文ネタが切れているようなので、息抜きを兼ねて縄文ネタをアップします。
今回は、イヌイトの世界観を通じて、同じ狩猟採集民である縄文人の精神性に触れてみたいと思います。
 カナダ・イヌイト社会の分業と男女関係 [1] 【引用・編集】させていただきました。

イヌイト社会では人間と動物は相互依存関係にある。
簡単にいえば、動物、たとえばカリブーは普段、カリブーの「世界」にいて姿形もなすことも人間と同じであり、同じような生活しているが、人間の「世界」に現われるカリブーは衣服の材料になる毛皮、食料になる肉、道具の材料になる角などをつけて現われる。人間の「世界」へ行ってはまた自分の「世界」に戻らなければならないが、自分の力では戻れない。

無事に戻るためには、人間の手によって肉体から魂(イヌア)を解放してもらわなければならないが、解放してもらう見返りに、人間に毛皮や肉を与えるのである。
つまり、カリブーは毛皮や肉などの手土産を携えて人間の「世界」へ現われると考えられ、正しい儀礼に則って自分の「世界」へ確実に戻してくれる人間を選び、自らを獲らせるのである。
その意味で、動物は人間の心の中まで覗いて、行動も考えも正しい者を選ぶ。

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人間と動物は相互依存していると書いたが、イヌイトの立場からすると動物の方がやや上手であると考えられている。動物は、動物を敬い、決まったしきたりに沿った扱いをしてくれるハンターを選ぶからであり、動物の鋭い感性を人間はごまかすことができない。
ところが、実際はハンターを選んでいるのではなく、ハンターの妻に動物が自らを任せていると解釈されている。

その理由は、次のように説明される。
生を象徴する女性が獲物を解体することは肉体から動物の魂を解放する行為、すなわち再生させることを意味し、肉を分配することは豊穣を表現している。男性が使う銛はペニスを表現し、子宮と見なされる家に獲物の肉を持ち込むことは生殖行為を象徴的に表わしているのである。すなわち、銛で仕留めたアザラシを家に運び込んで解体することは、獲物を子宮へ戻すという、再生サイクルの一環を象徴している。

以上を簡単にまとめると、女性(妻)は再生を象徴しており、心正しい女性を選ぶ動物は、無事に自分の「世界」に戻れる、ということになる。
つまり、ハンターの豊猟・不猟は女性次第であるという解釈になる。
ある北アラスカのイヌイト(イヌピアック)がいみじくも言っているように、「優れたハンターは僕ではなく、妻なのである」。つまり、女性は接待役、動物は客人であり、男性はその両者をとり結ぶ役割を果たしているというように解釈することができるだろう。

狩猟採集民は、自然や動物に対して、徹底的に謙虚(=畏敬の念さえいだいていた)だったのだと思います。女性に対する肯定視も含め、その精神性は、縄文人と相通じるものがあります。
自然や女性を支配対象としてきた欧米型の価値観が、根底から揺らいでいます。
私たちの潜在思念に刻まれた「縄文体質」の顕現化こそが、今、求められているのではないでしょうか?

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