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日本人:遺伝子的には北東アジア系、でも心は縄文系なのはなんで?

古代日本には、大陸からの様々な民族が流入してきた。中国大陸からの倭人や北方騎馬系の人々がが流入し弥生時代となり、人種的・DNA的には次第に北方系が強くなり、一見東北アジアや朝鮮の民族と変わらなくなったと言われる。下図の分析からは確かにそう見える。
nihonjinxmap.jpg
参照:日本人は何処から来たか 松本秀雄著 [1] 
※松本氏によると、血液型の中のGm(ガンマー・マーカー)型という血液型は、人種の識別、混血の有無、混血の割合、民族の移動の跡をたどるのに有効であると考えられている。このGmによって分布図を描いた結果、上図のようなGm遺伝子の頻度分布図が得られたという。この本の著者は、血液学や遺伝学そして分子生物学の立場に立って日本民族バイカル湖畔起源説を提示している。
しかし、現代の日本人は明らかに日本人として一つのまとまりがあるし、大陸の中国人や朝鮮人とは明らかに違う心性を持っている。
例えば、

・まわりとの和を重んじる、自己主張しない。
 (反面、ハッタリ・交渉に弱い)
・自然との共感性(虫の声まで左脳で聞く)
・舶来信仰

周辺民族にこれらの感覚が薄いとすれば、その根本にあるのは、縄文人の感覚・共認内容としか考えられない。しかし、DNA的には中国東北部や朝鮮民族とあまり変わらない。・・・・・それはなんでだろうか?と長い間不思議に思っていた。
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先日のなんでや劇場で聞いて、おぼろげながらに分かってきた。
日本人には“みんな一緒”という特有な感覚があるということからだった。
“みんな一緒”という感覚。その感覚が「一億玉砕」,「一億総懺悔」,「一億総中流」・・・なんて現象を生む。確かに個人主義の国や自己中の国じゃこんな感覚は起こりえないし、上から下まで同じ気持ちがないと出てこない言葉だ。
な、なるほど・・・。じゃそしてこの“みんな一緒”という感覚って何?どこから来たのか・・・?
●原始人→採集部族の受入れ体質
それは原始人の流れを汲む縄文人や採集部族に色濃く残った心性らしい。(起源的に言えば、古くは原猿時代の「共認原回路」という脳回路に由来している。)
詳しくは、実現論 第一部 前史「ニ.サル時代の同類闘争と共認機能」 [2]
原始人は、人口も少なく離れた地域でそれぞれ孤立した集団を形成しており、人類の集団同士の同類闘争(縄張り闘争、究極には戦争)にはまだ至っていなかった。そのため他集団と遭遇した際も、元々の共認原回路を使って、“みんな一緒”と彼らを受け入れ、仲間として歓待したのだ。
この状況は、他の採集部族の事例から推測することができる。
縄文人と同じ南方系の採集部族だったタヒチなどのポリネシア人は、大航海時代に明らかに侵略目的でやってきた西洋人を警戒心なく受け入れ歓待した。女たちは性的な歓待まで行った。
参照 実現論 第一部 「チ.採取時代の婚姻様式」 [3]
●縄文人による受け入れと融合
縄文末期から弥生時代にかけての日本に、大陸から逃げて来た部族や侵略部族がやってきた時も、縄文人は同じように歓待し仲間として受け入れたのだ。とりわけ縄文の婚姻制である母系の総偶婚に、大陸からの侵略部族も招き入れられ、婚姻によって同化され縄文の体質・心性が受け継がれていった。(遺伝的には北方系が優勢orウィルスへの耐性により、北方系の遺伝子が強く残った。)
その結果、大陸からの様々な雑多な部族がやってきたにもかかわらず、縄文の仲間として受け入れられたことにより“民族的な”融合がなされて、日本人として“みんな一緒”という感覚を持つに至ったのだ。元々の侵略部族も仲間として受け入れられたことにより、邪心や警戒心を溶解させていった。
なんでや劇場で聞いた言葉が印象に残った。
人類は、DNAで決まるのではなく共認・観念内容で決まる。そういう意味では日本人は明らかに単一民族(みんな一緒)だ。
※しかし、この“みんな一緒”という感覚は、安心感をもたらすと同時に、皆が同じく染まって流されてしまうと、全体に極めて危うい状況をもたらす(第二次大戦、ファシズム、マスコミによる情報操作、外国にあやまり続ける日本)。
日本人はどう生きていくのか?日本人の可能性と弱点、さらに探っていきたい。
(by Hiroshi)

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