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2009年03月21日

北方モンモンゴロイドの渡来からマヤ・インカ文明への道筋は?~メキシコでの農業の開始から要塞都市(モンテ=アルバン)の建設まで~

今回のテーマは、古代アメリカでの農業生産からマヤやインカといった文明に至る筋道なのですが、一体なぜ文明が興ったのか?というテーマそのものでもあります。
歴史の教科書では、
0.農業の発明

1.富の蓄積と灌漑事業の必要

2.権力者の出現と階級社会

3.文明の発祥

と書かれる事が多く、確かにそういう順番で遺跡が発掘される例が多い。
ところが、なぜそうなったのか?を考えると、これらは論理的には繋がっていないのです。
アメリカ古代文明を探求する事でその構造を切開しようというのが本編のねらいなのですが、やはり難問です。 :roll:
そこで、メキシコの「テワカン谷での農業の確立」に続き、(その南西160kmにある)「オアハカ盆地の要塞都市(モンテ=アルバン)」を取り上げ、文明の発祥を(仮説思考で)提起する事にします。
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農業の発達の歴史が見られるテワカン谷では、灌漑用水路は整備されたものの都市的なものは建造されていません。
一方、今回取り上げる「オアハカ盆地のモンテアルバン」では巨大な神殿や要塞的な施設が建設され、大規模な集団の統合の形跡(=文明?)が見られます。
ちなみに、このような中央アメリカ古い文明は、
●3200年前頃に、メキシコ湾岸のジャングル(オルメカ文明)
●2500年前頃に、オアハカ高原盆地(サポテカ文明)
●2100年前頃に、メキシコ高原盆地(ティオティワカン)
の3地域で発生しました。
●3500年前ごろ
「オアハカ盆地」は、巾10km、長さ30km程度の3つの小盆地が合体して一つの大きな盆地をなしているが、3500年前ごろに3つの盆地のそれぞれの要所にサン=ホセ=モゴテ、サアチラ、ミトラという3つの都市が建設されました。
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オアハカ盆地の地図
~ウィキペディアさんからお借りしました~
●2500年前頃に
オアハカ盆地を形成する3つの小盆地の中央部分に盆地を一望できる丘があり、その頂上部分に要塞都市「モンテ=アルバン」が建設されました。 (盆地の総人口5万人の1/3が居住したと考えられている)
「モンテ=アルバン」は盆地の底部からの標高差が400mあり、天然の要塞です。さらにその頂上部分を平坦に削り、傾斜が緩い部分には土と石で巾15~20m、高さ4m~5m、全長3kmの擁壁が築かれています。
「モンテ=アルバン」の中心部には広大な広場と、神殿か天文台かと思われるような建物がありますが、これはその形態と規模から、単一集団の居住や農作業を目的とした施設ではなく、神事か軍事に関する施設と考えられます。
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モンテ=アルバン中心広場と神殿J
注目すべきは、ある建物の外壁周辺で見つかった、等身大の人物像と文字と思われる記号が彫られた150個以上の石板です。
石板の人物像は敗北や貢納を示していることから、この都市は3つの盆地の勢力が拮抗し、覇権争いの結果、優勢になった勢力が築いたと考えられます。 (サン=ホセ=モゴテの勢力だと推測されています)
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石板「踊る人」です。このように裸にされ去勢されているものが多い(こういうのが150個以上出土)
~写真は「マヤ遺跡探訪」さんからお借りしました~
●このように「盆地を後背地とした都市」という構造は、メキシコ高原盆地のティオティワカンも同様で、メキシコ高原盆地の中で、テスココ湖周辺の低地(現在のメキシコシティー)を後背地として、やや小高い平原に巨大ピラミッドのあるティオティワカンが築かれました。
(ただし、メキシコ湾岸のオルメカ文明はそうではなく、一体はジャングルで、中心的な都市は巨大化せずにあちこちに移動したあげく、滅亡しています。)
★では、「モンテ=アルバン」のような都市が建設されるようになったのはなぜか?
乾燥化が進むメキシコ地域では、狩猟や採取生産から農業生産へ移行。
トウモロコシを中心とした灌漑農業を開発して定住し、集団を存続する事ができた。

盆地の灌漑農業によって自然外圧を克服し、その限界まで人口は増えたと思われる。(さながら樹上世界を席巻したサルのようである。)
集団間は、基本的は友好関係で繋がっていたと考えられるが、生産様式の違いから狩猟や採取生産集団とは一定の緊張関係があり(盆地側から見れば防衛・結束の必要)、さらに農業に適した盆地は限られるので農業集団間の緊張圧力(土地や水をめぐる小競り合い)も高まったと思われる。
特に、3つの小盆地が拮抗した「オアハカ盆地」や、巨大な湖周辺に諸部族がひしめき合った「メキシコ盆地」では集団間の緊張関係は恒常的なものになっていたと考えられる。
●参考に、1000年以上後のメキシコ盆地の話
アステカ部族はメキシコ北西部の平原からやって来てメキシコ盆地を放浪したあげく、盆地周辺部族に認められてやっとテスココ湖の無人島湿地に居を定める事ができた(そして、逆境から攻勢にでて一気に中央アメリカを制覇するに至る)という史実も盆地での緊張関係を示している。
★集団内は共認原理で十分統合できたとしても、集団間の恒常的な緊張関係を秩序化するにはより大きな統合が必要で、その統合力は(サルと同様に)「力」しかない。力の誇示が統合の証となる。
オアハカ盆地の要塞都市モンテ=アルバンは、盆地内で優勢になった集団がその「力」を明確に示して「結束」するために建設されたのではなかっただろうか?
まとめると
0. 狩猟・採取生産部族と農業生産部族の緊張圧力
    +
1. 農業生産部族間の緊張圧力
   ↓↓
2. 集団を超えた統合(防衛・結束)の必要
   ↓↓
3. 力の原理による集団間の序列化
   ↓↓
4.モンテ=アルバン(要塞都市や大神殿)の建設

アメリカの古代文明には全般を通して「私権」的な要素は見あたらないが、(特に中央アメリカには)はずかしめや人身御供、戦闘や球技、権威的な飾りものなど「権威」や「力」を示す記録はたくさんある。(勝手に私権的な解釈をしないよう注意が必要)
その点から見ても、中央アメリカの古代文明は、集団間の緊張圧力が生み出した、集団を超えた「力」による統合様式であったと思われる。
それは巨大化(ティオティワカン)や分散化(マヤ)など多様な試行錯誤を繰り返し、西洋文明とは異なる進化を続けていったのである。
by tamura

投稿者 nandeya : 2009年03月21日 List  

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コメント

歴史家も暇なんだろうね。史実にないものは捏造・うその類で済ませてしまう。大体昔の人には、たくさん呼び名がある。
弘法大師のように、聖徳太子も敬称なんじゃないですか。
大仕事をしたからその後に敬称が与えられたと視る方が自然なのではないですかね。死んでから敬称をもって称えられる場合も考えられますしね。
現代人が、その存在を否定する意味があるのだろうか。

投稿者 藤 : 2009年4月12日 15:51

もし、がんばった功績が将来他人の功績に摩り替えられるということになるのであれば、そういう社会では活力がでません。
今回の話は蘇我氏の功績が天皇家の功績と摩り替っている可能性があるという話です。権力者が人の功績を自分の功績にしたかもしれないということです。
摩り替っていないのなら、摩り替っていと証明する必要もあるということでもあります。

投稿者 norio : 2009年4月14日 23:20

どうしていまの古代日本史の大学の先生は 物語 古事記&日本書記を信じるのでしょうか?たしかに 記紀 読むとおもろいですよね。
ボクもほんとのことだったらいいなあなんて憧れたこともあったですよ。しかし それは所詮 人の書いた物語だからおもしろいのですよね。で、麻痺させられますね。
でも、物語を真実だと思うことはおかしい。現代でも たかが100年まえのことでさへ わかったものじゃない。自分のじいさんのじいさんのじいさん 名前言える人 愛子様だけでしょ。
700年ごろに 600年のことわかるわけがない。ましてや4.5.6世紀のことなんて。いくらでもぶっ飛んで そして架空の人物やできごと なんぼでも 創造できるよね。。。。。
3世紀の日本はきっとまだ 卑弥呼や豊与さまをふくめ はじめ人間ギャートルズの世界だったに違いない。
4世紀もくれになって初めて支配者がまず南加羅からやってきた。箸墓は はじめに 半島からきて奈良県を支配した大王 崇神サンの墓だったのですね。卑弥呼の墓であるはずがない。
そして記紀では重要視されてないけど尾張も物部や息長もあなどれないですね。この人たちは 崇神様のなかまで きっと 5世紀を支配していたのでしょう。
5世紀の倭の5王さんたちはその崇神王朝そのものだったのですね。で、応神こと昆支さんは その初代王朝に 百済からきてムコ入りした 愛子様のご先祖だったのですね。この推理はすごい。。。
そのお母さん神功皇后は日本史のなかで僕の大好きなヒロインでしたが 架空の人物。卑弥呼や豊与との関係疑ってたのに なんも関係なく 本当に残念です。。。
で、さらに わかたけるなんてかっこいいので ヒーローだった雄略さまも 架空の人でした。考えてみれば大悪党ブレツがいそうにないのに そのじいさんユウリャクもいないよなあ。
6世紀の初期の大山古墳はその昆史さんの弟 継体の墓。これで 記紀の言う 5世紀の河内王朝10人天皇ぶっとびました。そして 彼もまた 崇神王朝へムコ入りしてたなんて。
そして その兄弟のあととり合戦が 6.7世紀の間  極めておもしろく 続行されてたなんて。 鋭すぎる推理に しびれてしびれて。なかなかついていけません。。
  欽明天皇は はじめ日本書記読んだときあんまりおもしろくなく 重要人物でなかったけど 昆支の子供だったとは。だからその子供が大王多いわけですね。
ところで昔の最高札(=一万円札)なんだったのでしょうかね?聖徳太子は馬子で用明大王 でそしてアメノタリシホコで応神の孫だったのですね。彼が隠れたヒーロだ。
ボクは小学校の修学旅行は法隆寺でしたが 校長先生は嘘を教えてくれていたんですよね。悲しいですよ。聖徳天皇だったんだ。で、貝タコ姫こそ 日本史のヒロインだ。
でで、7世紀 中大兄王子はそのご先祖の兄弟のあととり合戦で 最終勝利者だったのですね。しかも、その兄さんが 天武天皇だったなんて。いいですねえ。楽しいですよね。感動しますよね。
そして 以上の事実を 物語記紀のなかから 極めて論理的に推理され 拾い上げた探偵さんこそ 石渡信一郎教授です。異端児あつかいは それこそ日本古代史学会の不幸です。
石渡教授は真の歴史研究者です。 飛鳥は アスカラ【大東加羅】 の ラが 落ちたものだなんて。すじが通ってます!。極上の推理ですよね。在野の歴史家ではもったいない!
石渡教授はもうお年みたいですね。東大か京大は 石渡教授を古代史の教授に ただちに推挙すべきです。そして、国は 古代史ノーベル賞(もしくは国民栄誉賞)を 先生にさしあげるべきです。
税金で お勉強している国立大学の古代史研究の先生は 今からでも遅くありません。自家出版された先生の本 『日本古代王朝の成立と百済』を すぐにでも購入され よく読まれ 
その本を学生にも購入させ 石渡学説を中心にして 講義をすべきです。どうして 古代史学会(本当はすぐに解散すべきです)が 先生の説と向き合おうとしないのでしょうか? 
センタ試験で日本史選択した自分が悲しいです。真実でないことをマークシートして 大学入試で通る国は 日本の国立大学だけでしょうね。税金の無駄使いです。
山川出版の日本史の教科書すきだったんですけどね 本当に悲しいです。3世紀から8世紀の内容を書き直せ。創造作文はもういいですよ。。。。。。
でで、以上のことを 普及に努めておられる 林順治先生も偉大です。『アマテラス誕生』を図書館で 読んでよかった。読んでいなかったら僕は麻痺したままで ウソを信じたままでしたから。
関さん森さん石黒さんの歴史本もおもろいですが 石渡&林コンビのほうが 絶対に楽しい。それは 理論的な推理を伴った頭を使う真実追究だから。あまりにに天才的な発見であり 
最初は なにをいっているのか こんがらがって わけわからなかった。ウソつけ。変な人たちだなあと思いましたよ。無理もないですね。最初に記紀という創造作文を読んで麻痺させられているから。。
で、マスコミももっともっと先生たちの説をみんなに紹介すべきです。真実は真実。物語は物語。その区別くらい小学生でもできます。先生の説が真実であればあるほど 天皇さんの価値は上がります。
記紀は それはそれで 物語としては 極めて価値あるものです。そして 事実をまげて創造作文し広めることができるたのは征服者 王様すなわち天皇様だけだからです。
だから、天皇様は偉大なのです。アマテラスさまをつくることができたのですから。そして だから アマテラスさんの子孫でいいのですよね 愛子様。。
で、日本語は半島からきた言葉だったのですね。われわれの先祖は1600年前に民族大移動した大陸からきた人たちだったのですね。日本民族はゲルマン民族と同じ行動をしたのですね。
では、新羅に出されたのでしょうか。追い出されて 実はいいところに住んでるなんて われわれのご先祖様はえらいとおもいませか?出されたのではなく きっと新羅を置いてきたのですね。
40代が 実は16代程度だった。それでも それはそれでいいじゃないですか。ねえ愛子様 じいさんのじいさんのじいさんのじいさんのほんとのことが知りたいよね !!!
古代史は真実を追求するおもしろい学問ですよね。創造作文して書き直した人たちがいたのですから また書き直されて 当然です。みなさん真実を追求する 林先生&石渡教授を応援しましょう。

投稿者 むらかみからむ : 2010年12月11日 02:26

神話は太古のモノの考え方を教えてくれます。
神話をベースに史実を解釈すれば発想も豊かになるでしょう。

なお、学問の世界は10年でそうとう変わりますから、
昔話をすると大笑いされますからねw。

投稿者 匿名 : 2014年3月21日 21:48

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