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蘇我氏考察 2 ~ 仏教信仰は大王から委託された任務

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引き続き、遠山美都男 「蘇我氏四代の冤罪を晴らす」より。
今回は仏教信仰の視点から蘇我氏を読み解きます。対立豪族として物部氏・中臣氏が
登場します。
また、通説538年、実は、はっきりしないといわれている仏教伝来の時期について、
仏像や経典などの「もの」では十分条件たりえない、
それを説く「ひと」が渡来してはじめて仏法伝来は成る、という史観を披瀝しています。
では。
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蘇我氏考察 2 ~ 仏教信仰は大王から委託された任務

仏法は百済の聖明王から倭国の欽明大王へ、すなわち百済王権から倭王権へと公的に贈与されたものであったから、たとえば、それが気に入らないといった理由により排除できるようなものではなかった。
また、仏法伝来の年代を推定するにはこの点が重要なのであるが、仏法伝来とは、百済から倭国に仏像や経典などの「もの」がもたらされれば事足りるわけではなかった。仏像や経典といった「もの」の意義を知り、それを説く「ひと」が渡来してはじめて、仏法の伝来は完成するといえる。
この時期(6世紀前半)、朝鮮三国は激しい抗争の渦中にあった。高句麗や新羅との戦争に明け暮れていた百済は、倭国に対し軍事援助をもとめ、その見返りとして「五経博士」などの専門家を派遣しており、定期的に交替するシステムになっていた。仏法についても僧侶が交替で派遣されてきた。
欽明大王から仏法礼拝について尋ねられた物部尾輿らが「蕃神を礼拝なされば、かならずや神々の怒りを招くことでしょう」と述べたように、仏は蕃神、すなわち外国の神と認識されていた。しかし、百済王に突き返す訳にもいかない。大王の大王たるゆえんは、在来の神々の「祟り」を和らげ、鎮めること。在来の神々と一括して祭るのはいかにも畏れ多い。
それならば、大王に準ずる資格と権威をもった人物や一族にその祭祀を委任すればよいではないか。こうして白羽の矢が立てられたのが稲目であり、蘇我氏であった。蘇我氏にとって、仏教信仰は大王から委託された任務であり使命であった。
中臣氏と同様、大王のもとで祭祀に関わる職務を世襲してきた物部の族長であった尾輿や守屋は、自分たちこそ、凄まじい「祟り」をなす「蕃神」の祭祀を大王から委託されてしかるべきだと、と考えた。ところが、大王は祭祀のプロともいうべき彼らを差し措いて、新興勢力である稲目と蘇我氏にそれを委ねた。彼らの不平・不満はここにくすぶり始める。

仏教は百済から贈与されたものである、よって倭国としてむやみに排斥することはできない。
自らは神を祭祀する大王から委任された蘇我氏は、このときはじめて、
大王に次ぐナンバーツーであることを内外に知らしめることになったのではないでしょうか。
東アジア情勢の中での倭国のあり方を心得ていたといえるかもしれません。
うらら

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