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ローマ・カトリック教会と東方正教会って何が違うの?

Posted By staff On 2009年8月17日 @ 1:52 PM In ⅩⅠエトセトラ(その他諸々) | 1 Comment

こんにちわ。
くまなさんの「ローマ・カトリック教会が国=皇帝を超えて組織化されたのはなんで?」 [1]に引き続き、西と東と見ていきたいと思います。
第一回コンスタンティノープル公会議を召集したテオドシウス1世は、392年、キリスト教をローマ帝国の国教としました。しかし、わずか3年後の395年、彼は死ぬことになるのですが、「自分の死後は帝国を2つに分け、2人の王子それぞれに継承させるように」という彼の遺言により、ローマ帝国が東西に分離することになりました。つまり、それぞれ独自の首都と国家組織を持ち、国境によって隔てられた2つの別々の国になり、異なる教義、慣習、制度、文化を発展させることになりました。今回は、西ローマ帝国のローマ・カトリック教会と東ローマ帝国(後のビザンチン帝国)の東方正教会の違いについて見ていきたいと思います。
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ローマ・カトリックと東方正教会は、文化的な違いから1054年に相互に破門をする形で分裂することになるのですが、具体的にどういう違いがあったのでしょうか?
それぞれの特徴を簡単にまとめるとこんなかんじです
12.jpg
では、この中から分裂の原因となった違いについて具体的に見て行きたいと思います。
■教会内の関係
画像の確認 [4]
ローマ・カトリック教会が、「普遍的」を意味する「カトリコス」の語をモットーとして(「カトリック」の由来)、「教皇を頂点とし世界各地の司教たちがそれに仕える」全教会のピラミッド型の普遍的統一性を強調した(皇帝を頂点とし、各地の属州を総督たちが代官として治めるローマ帝国の組織をそのまま教会組織に応用したもの)のに対し、
一方、東方正教会は、各地の総主教の同格と同権性を主張。各地の総主教はいずれも使徒たちの後継者であり、上下の区別はなく、分権主義的な構造になっています。これは、東ローマ帝国(5世紀の西ローマ帝国滅亡後はビザンチン帝国と呼ばれる)では、東西分離後も長い間、帝国が存続したので、政治的な実権は皇帝が握っており、教会や信仰のあり方にも皇帝がしばしば介入したため、特定の教会の高位聖職者に絶大な権力が集中しなかったことが影響しています。
■教会と国家の関係
画像の確認 [5]
ローマ・カトリック教会の最も大きな特徴は、「使徒継承の理論と教皇の首位権の主張」にあります。
西ローマ帝国は、分離後100年もたたない476年、ゲルマン民族(現在のドイツ人やフランス人の祖先)の大移動に巻き込まれる形で滅ぼされることになりました。武力では圧倒的にまさるものの、あくまで少数派であったゲルマン人に、支配者としての正当性を与えたのが、キリスト教でした。
教会指導者であるローマ教皇が宗教的権威に基づき、世俗の支配者に国王や皇帝としての正当性を与え、一方の国家は、経済面や軍事面などで教会を保護したという、教会(教権)と国家(俗権)が持ちつ持たれつの関係が築かれました。
これは、教皇皇帝主義と呼ばれ、教皇が事実上、西ヨーロッパ全体を支配する形になっていました。王が征服した土地を教皇に寄進(教皇領の起源)した。教皇は教会の長であるとともに、世俗の領主を兼ねることになり、ますます教皇の権力が拡大していくことになりました。
一方、東方正教会は分権主義であるため、ある国や民族の中で主流派と呼ばれるほどに宣教が進むと、総主教や大主教が立てられ、独立した正教会が立てられました。そのため、教会と国家や民族との結びつきが強く、民族紛争や国家の分離・独立といった政治的な変動が起きると、教会のあり方に大きな影響が及ぼされるのも正教会の特色です。
これは、皇帝教皇主義と呼ばれ、皇帝がギリシア正教会やその教義に強い影響力を行使する形になっていました。
■信仰対象の違い
ローマ・カトリック教会では、神やキリストと並んで聖母マリアが信仰の対象として大きな役割を演じます。カトリックの教会や学校にはマリアの像があるのが特徴です。
一方、東方正教会では、偶像崇拝を厳しく禁じているイスラム教の影響を受け、726年に聖像禁止令が出され、偶像崇拝が禁じられることになりました。後に聖画像の使用は容認されましたが、今日でもなお、偶像崇拝を避けるためにイコンやモザイクなどの平画像しか用いられていません。
(イスラム教の影響を受けたのは、7世紀にアラビアでイスラムが興り、東地中海方面に進出し、東ローマ帝国にも部分的に影響を与えたためです)
この文化の違いが、両者の溝をさらに深めることになり、
1054年、相互破門をする形で東西両教会は完全に分裂することになりました。
この相互破門が解消されるのは、20世紀半ばの第2バチカン公会議においてです。
補足
★現在「ギリシア正教会」といえば、ギリシア国内の教会だけを指すことになるため、教会全体を総称する場合は、「東方正教会」の語を用いるのが普通。
★「正」教会というのは、この教会が「正統」を意味するギリシア語の「オルソドクス」、英語の「オーソドックス」をモットーにしたから。


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