2009.09.06

ユダヤ人とフェニキア人の歴史

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フェニキア人は最終的にはローマとの3次にわたるポエニ戦争に負け、歴史上の表舞台からは姿を消してしまいます。
その後、世界の商業の裏の世界で活躍するのはユダヤ人ですが、彼らとフェニキア人とは一体どのような関係にあるのでしょうか?
興味を持った方は一緒に続きを見てみましょう
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posted by saah at : 2009年09月06日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

2009.09.05

カルタゴの繁栄と滅亡~フェニキア滅亡後なぜカルタゴは発展できたのか。そしてカルタゴが滅びた原因は?

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(カルタゴ)
地中海の交易を制したフェニキア人は、その後大国に呑みこまれ滅びてしまいます。
しかしその後、もともとフェニキアの一植民市であったカルタゴが、母国フェニキアに代わって繁栄してゆきます。そしてそのカルタゴもついにはローマによって滅んでゆく・・・・。
ここで気になるのは、
 ・フェニキアの後、カルタゴが発展したのはなぜか?
 ・カルタゴが滅びた(ローマに負けた)のはなぜか?
上記を考える上でフェニキア及びカルタゴについて状況をまとめると、
○フェニキアの歴史は常に大国の属国の歴史だった。
 (→しかしそれを逆手にとって、複数の大国を交易の顧客とし発展した)
○カルタゴはフェニキアの一植民市だった
 母市とは交易や祭りを通じてつながりを保ったが、政治的には完全に独立。
 (「地球人の歴史」より)
○フェニキアの東地中海域は、ギリシャ、エジプト、小アジア・シリアの中央に位置し、交易圏をめぐる熾烈な覇権争いの海域。
 一方カルタゴは宗主国やギリシャなどの勢力・影響の及ばない西地中海域(シシリア島以西)で交易を独占、「地中海の女王」と呼ばれるほどに発展できた。
というようなことがいえます。
○“商人”の強み?弱点?
 “特定場所”=共同体(国家)に縛られないこと。
 国家も場所も、そして、人々も、彼らにとっては貨幣的富を極大化するための単なる手段でしかない。
「『カルタゴ』支配層は『カルタゴ』を捨てた代わりに今や『世界』を手に入れようとしている」
 ★したがって母市であるフェニキアが滅んでも、植民市のカルタゴが発展することが可能
 ★一方で国家の統合には興味を示さない利己主義、功利主義、経済至上主義ともいえる
 ★これらが、元老院による貴族支配から共和制となっても、「名より実を取る」に徹することで、裏でしぶとく生き残ってきた事にもつながるのではないだろうか。
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posted by saah at : 2009年09月05日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2009.09.04

キリスト教年表

こんにちは
唐突ですが、キリスト教の年表をつくってみました
まだ宗教改革まで話しは進んでいませんが、これからの
議論で注目すべき点や全体との位置を押さえるための年表です
少しちゃっちぃですが、見てみたいかもと思われた方は↓
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posted by staff at : 2009年09月04日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2009.09.03

文化圏別世界史対照年表

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ポップアップ
(第一学習社「最新世界史図表」より)
いつごろどの国がどこで生まれて、その後どうなっていったのかが一目でわかります。
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posted by kumana at : 2009年09月03日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2009.09.02

テンプル騎士団とマルタ騎士団

カッピカピさんの記事、、ちわわさんの記事に引き続き、テンプル騎士団とその後テンプル騎士団の財産を吸収したマルタ騎士団(こちらが記事のメイン)について書いてみたいと思います
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莫大な土地、高位聖職者の地位、金融業で巨万の富を得て隆盛を誇ったテンプル騎士団でしたが、政治的にも一大勢力になり、聖職者として堕落していったことが次第に人々の反感を買うようになりました
そして、フランスのフィリップ4世はその世論を後ろ盾にテンプル騎士団の財産を横取りしようと陰謀を企てます
「背教の罪」「イエス・キリストへの侮辱的行為」「いかがわしい儀式」などを行っているとして逮捕 そして、フィリップ4世に抗えないローマ教皇クレメンス5世によって1312年テンプル騎士団の廃絶が宣言され、同時に財産を没収し聖ヨハネ騎士団(後のマルタ騎士団)に一部移譲されることが決定されたのです
では、莫大なテンプル騎士団の資産を受け継いだ聖ヨハネ騎士団はどうなったの
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posted by pingu at : 2009年09月02日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

2009.09.01

井上清氏の縄文史観2~縄文が日本歴史の始まりと言える理由

こんばんわ。管理人のタノです。
昨日の民主圧勝は正直、驚きました。しかし、やはり・・・と感じた部分もあります。
4年前に7割が支持した自民党がわずか4年間で逆になる。
前回はマスコミの誘導があったけど、今回はどうやらそうではないらしい。マスコミは民主圧勝をキャンペーンして揺り戻しを狙う向きもあった。
ここに来て日本人の特色”共同性”がかなり出ているように思います。
それでは前回の投稿に続いて縄文時代を扱っていきます。
今回は前回の続きです。前回の記事を読んでいない方は↓も見てください。
井上清氏の縄文史観~縄文時代って何?
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1963年初版 井上清氏「日本の歴史」から紹介していきます。
縄文時代は、つぎの2点でまさに日本歴史のはじまりといえる。

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posted by tano at : 2009年09月01日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

2009.08.31

日本史の裏で暗躍する修験道の歴史

ヨーロッパの歴史が「教科書的な」表の話だけでは本質が見えてこないことと同様に、日本史もその重要な局面では、必ずと言っていいほどウラの勢力が登場します。世界史同様、日本史でも様々な影の勢力が登場しますが、今回は「修験道」に絞って、日本史との関わりを見ていきます。
【参考エントリー】
日本古来の宗教・修験道の歴史
修験道とは、どのような宗教なのか?

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posted by staff at : 2009年08月31日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2009.08.30

人身御供伝説と修験道師(山伏)との関係

未分類

人身御供伝説と修験道の深い関係が日本人の心を繋げている。という面白い話しがあったので投稿します。そしてその繋がりは、やんごとなき人と葛城氏に繋がって行きます。
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posted by sakashun at : 2009年08月30日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

2009.08.29

民族対立が生んだ中国秘密結社「幇会」

こんばんは。
中国の裏の支配者といえば、華僑、幇(紅幇・青幇)、栄家(赤い資本家)などが思い浮かびますが、今回は、中でもチャイナマフィアと呼ばれる「幇会」についてお伝えします。
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posted by nishipa at : 2009年08月29日 | コメント (5件) | トラックバック (0) List  

2009.08.28

井上清氏の縄文史観~縄文時代って何?

こんにちわ。管理人のタノです。
最近手にした本に井上清氏の「日本の歴史」という本があります。
日本の歴史を通史で書かれている教科書のような本ですが、今日はこの本の中から縄文時代を書き表した部分を紹介したいと思います。
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井上清氏は1913年生まれ京大の教授でマルクス主義史観をもった歴史学者です。1963年に岩波新書から出たこの書籍は2009年に72刷を発行され歴史書としては驚くほど長いミリオンセラーとして書店に現在でも並んでいます。
45年前に書かれた史観は現在読んでもほとんど違和感なく入ってきました。また井上氏の小気味良い明快な文章は装飾の多い現代の歴史文章と対比すると非常に新鮮に感じるものがあります。
その後の考古学的発見によって修正を要する部分はありますが、縄文時代と日本人を捉える骨格はこの書籍に明快に書かれていると思います。この本の書き出しの部分からして縄文時代という命名は井上清氏のこの書籍から始まったのではないかと思われます。
縄文ブログでありながら久しく縄文時代を扱っていなかったので、しばらくは縄文時代に目を向けていこうと思います。
縄文時代を学びたいと思う方、クリックをして進んでください!
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日本列島の地においても、地球の他地方と同じように沖積世の初期に、新石器と土器の製作・使用がはじまった。それと同時に新石器文化には日本的な特徴が表れている。このころの日本の地にはすでに大陸とつながりはきれて四方を海にかこまれた列島になっていた。この海を渡って大陸と往来することは、当時の列島とその周辺の社会の生産力では、まったく不可能でないまでも、きわめて困難であった。
かくて日本列島の社会は、1万年ほども周辺の社会からほとんど孤立した形で独自の道を歩まねばならなかった。そして8千年ほど前に四国と九州からきれた形となり、その後も太平洋がわの海岸線が後退し、5千~6千年前から日本列島は地形も気候も動植物相も、現在と基本的には同じになっていた。

いままでに知られている、列島社会にあらわれた新石器時代の最初の文化はその土器に縄目あるいはそれに似た文様があることから、縄文式土器の文化とよばれる。本書ではこれを簡単に縄文文化とよび、その時代を縄文時代ということにする。
縄文文化は、紀元前3~2世紀ごろまでの数千年間もつづき、その遺跡・遺物は、北海道から沖縄本島にいたる、日本の各地にひろがっている。この長い年月を通じて、人々は漁撈採取経済を抜け出す事ができず、金属の発明もなかったが、その間にも、人々のたゆみない社会的労働により一歩、一歩生産力と文化が向上していった。

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posted by tano at : 2009年08月28日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

 
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