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テンプル騎士団とマルタ騎士団

カッピカピさんの記事、 [1]、ちわわさんの記事 [2]に引き続き、テンプル騎士団とその後テンプル騎士団の財産を吸収したマルタ騎士団(こちらが記事のメイン)について書いてみたいと思います
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莫大な土地、高位聖職者の地位、金融業で巨万の富を得て隆盛を誇ったテンプル騎士団でしたが、政治的にも一大勢力になり、聖職者として堕落していったことが次第に人々の反感を買うようになりました
そして、フランスのフィリップ4世はその世論を後ろ盾にテンプル騎士団の財産を横取りしようと陰謀を企てます
「背教の罪」「イエス・キリストへの侮辱的行為」「いかがわしい儀式」などを行っているとして逮捕 そして、フィリップ4世に抗えないローマ教皇クレメンス5世によって1312年テンプル騎士団の廃絶が宣言され、同時に財産を没収し聖ヨハネ騎士団(後のマルタ騎士団)に一部移譲されることが決定されたのです
では、莫大なテンプル騎士団の資産を受け継いだ聖ヨハネ騎士団はどうなったの
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最後の十字軍都市アッコンが陥落してから聖ヨハネ騎士団はキプロスへ逃れましたが、キプロス王が騎士団の存在を恐れ牽制したためここを引き払い、1309年海賊を味方に付け、ロードス島を奪い本拠地とします。
ここで聖ヨハネ騎士団は、「ロードス騎士団」と呼ばれるようになりました。
ロードス島へ渡ったあとのロードス騎士団は海賊となり 、ますます財を蓄えていきます。(中東のイスラム勢力から西欧を守る騎士団として評判は高かったようです)
1312年テンプル騎士団の財産を手にしたロードス騎士団はますます力をつけます
1522年オスマン帝国に攻められ、必死の攻防を繰り広げましたが、ついにロードス島を明け渡してシチリア島に撤退します。
再び本拠地をなくした騎士団でしたが、教皇クレメンス7世とローマ皇帝カール5世にマルタ島を斡旋してもらい再び本拠地を獲得
なんと 、賃貸料は、「マルタの鷹」を毎年1羽献納すればいいだけでした
マルタ島でも相変わらず海賊行為を続け、マルタ島はイスラム教徒奴隷売買の中心地となってしまったのです
ここでロードス騎士団は、現代に残る「マルタ騎士団」と呼ばれるようになります。
1834年、ナポレオンに攻められ再び本拠地を奪われ武装解除させられますが、組織の存続自体は許されました。
これ以降求心力を失ったマルタ騎士団は、1834年イタリアのローマに移り、ここに本部ビルの所有を許され、バチカンのように国とは認められないものの、イタリアから治外法権が認められた本拠地として現在まで存続しています。
ここまでマルタ騎士団について見てきましたが、ハテナ 🙄 がいっぱい出てきました。
①テンプル騎士団→マルタ騎士団へと受け継がれた莫大な財産 は一体どこへ消えたのでしょうか 🙄
②マルタ騎士団のような領土を持たない組織が公的に認められてる(96カ国と国交を交わしている、パスポートの使用を認められている、国連にオブザーバーとして加盟etc)ってどうゆうこと?
③背後にカトリックの総本山であるバチカンが糸を引いてると思われますがその真偽は?
キリスト教(カトリック)集団って実体がよくわかりません
一体裏(闇の部分)はどうなっているのでしょう 🙁

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