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2009年08月18日

地名から歴史を読み解く☆宇陀☆

こんにちは~
カナです
今回は奈良県・宇陀の地名から、歴史を読み解きます
地名の由来から、どんな地理的特徴があるのか
どんな人が住んでいたのか?いろ~んなことがわかるんです
では今回も楽しんでいってくださいね~
いつもありがとうございます
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それではさっそく、榛原・室生・龍穴の3つの地名の由来を紹介します

榛原(はいばら)町
宇陀郡の北東部、宇陀山地の入り口にあたり、名張へ抜ける伊勢街道、高見峠から櫛田川上流へ抜ける本伊勢街道、柳生へ抜ける道、吉野へ抜ける道が交叉する交通の要衝です。
・・略・・
この「はいばら」は、マオリ語の 「ハイプ・アラ」、HAIPU-ARA(haipu=place in a heap;ara=way,path)、「高い場所にある道路(が通る場所)」 の転訛と解します。
室生(むろう)村 ・龍穴
宇陀郡の北東部の山間に室生村があります。 室生川の厳しい渓谷を遡った山里に、女人高野として知られる室生寺があります。その上流には奇岩が屏風のようにそびえる場所に式内社龍穴(りゆうけつ)神社が鎮座し、祈雨、止雨の神として信仰され、室生寺はその神宮寺として成立したともいいます。
 この「むろう」は、マオリ語の「ム・ロ・フ」、MU-RO-HU(mu=silent;ro=roto=inside;hu=swamp,hollow,hill)、「静かな内側(山奥)の丘(または穴のように開けた場所)」 の転訛と解します。
 この龍穴神社の「りゆうけつ」は、マオリ語の 「リウ・ケツ」、RIU-KETU(riu=valley,belly;ketu=remove earth by pushing or digging with a blunt implement)、「粗く掘られた渓谷」 の転訛と解します。ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源

室生の洞窟は、天皇一族に冷たい水を運ぶための、氷室として利用されていたようです
高貴な人が死んだときにもがりとして、洞窟で死体を保管?する為に利用されたとも言われています
室生と天皇一族のつながりが見えてきます
次に、宇陀(菟田野)・宇賀志・安騎野の3つを見てみましょう

宇陀(うだ)・菟田野(うたの)
ウタ(ダ)は、宇田、宇陁などの文字を充当しているが、大宇陀町の大は美称であり、菟田野の野は普通名詞である。ウタはウ(大)タ(田)で、広い台地を意味する古語である。と説かれているが、事実、ウタは古代農耕に適した地域の呼称である。
『菟田野の民俗』代表 倉田正邦より

このウタに野を足して菟田野、川を足して宇陀川、山を足して宇陀山、となります。

宇賀志(うかし)安騎野(あきの)
ウカ・ウケ・ケは稲(穀物)の精霊を意義する古語である。・・略・・現在、民間に残るものは宇賀神、お宇賀さま、オガノカミなどと称し、東北地方から四国に及び、農業神として信仰されている。・・略・・すなわち、ウカは主要産物の稲霊-農業の神を意義する古代語である。
このウカの地に秋の豊かな稔りを象徴するアキ(秋、安騎)の地名の起こるのは当然であろう。(安騎野)
『日本地名伝承論』 池田末則 平凡社

このウカがウカチになり、神武東征のエウカシ・オトウカシに繋がります
宇陀の地名は
地理的特徴をそのまま名づけた地名が多い
古代地名と呼ばれる、古語やマウリ語が由来の地名が多い
つまり、縄文時代には、人が住んでいたことがわかります
榛原の地名から、交通の要塞であること
ウダ・宇賀志・安騎野の地名から、とても豊かな稲作地であったこと 室生の地名から、天皇一族とつながりが深いこと
などがわかります
地名を調べることで、宇陀のまだまだ知らない一面が発見できそうです
みなさんも一度お住まいの場所など調べてみてください
誰も知らない意外な一面がありますよ~
今回も最後まで読んでいただいてありがとうございました~

投稿者 kana0444 : 2009年08月18日 List  

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コメント

怒るでしかし~さん、こんばんわ。
NHKにまさるとも劣らない壮大なシリーズですね。
楽しみにしています。
最近私のほうで調べて考えた事を付記しておきます。
律令制は唐に対抗する為の国家として強力な体制を作ると言うお題目で取り入れたが、実のところは既存豪族の力を殺ぐ為の為政者の仕掛けではなかったか。従って蘇我氏、藤原氏といった新興豪族にとっては有益な制度であった。
律令制の導入とは日本において私権社会への転換を促す契機を作った事になったが、その後の制度の定着の遅延、成否、混乱は私権制度がいかにスムーズに定着しなかったかを示しているとも言えるのではないか?
事実、中国律令制度の最大の特徴である科挙制度は藤原不比等の養老令で提起され数回行われたが全く定着せずに廃止されている。

投稿者 tano : 2009年10月2日 21:12

いくら過去の2カ国を持ち上げようとも、現状で政治的に見習いたい部分なんて全くと言っていいほど無いと思いますけどね。
あと、
>それだけではない。危機に脅えた特権階級は、アメリカの力に拠り縋り(その結果、アメリカの言い成りになって)中立公正も何もない露骨な偏向・煽動報道によって小泉フィーバー、郵政選挙を演出し、更には検察とマスコミが一体となって、鈴木宗男、佐藤優、植草一秀、小沢秘書etcの政敵を失脚させてきた。これは、麻薬中毒よりももっと恐ろしい、権力の自家中毒である。
これは半分同意、半分は失笑というところでしょうか。犯罪者が逮捕されて何か困ることでもあるんでしょうかね。メディアが偏向・煽動してまで守ろうとしたのはこの方々なんですよ。

投稿者 せいん : 2009年10月2日 22:58

>いくら過去の2カ国を持ち上げようとも、現状で政治的に見習いたい部分なんて全くと言っていいほど無いと思いますけどね。
過去の2カ国とは、中国と韓国のことをさしていると考えられるが、本文中のどこに「持ち上げる」ような記述があるのか?理解に苦しむ。
>これは半分同意、半分は失笑というところでしょうか。犯罪者が逮捕されて何か困ることでもあるんでしょうかね。メディアが偏向・煽動してまで守ろうとしたのはこの方々なんですよ。
鈴木宗男、佐藤優、植草一秀、小沢秘書etcなどを、メディアに守ろうとした形跡がどこにあるのか?実際には、電通批判を行った森田実がそうであったように、マスメディアにおける発言の機会を封じられただけではないか。

投稿者 N : 2009年10月3日 04:41

怒るでしかし~さん、こんにちは。
壮大すぎて、たじろぎそうですが、
楽しみにしています。
「長屋王の変」というのがあります。
長屋王は天武天皇の長子であり壬申の乱でも
大活躍したとされる高市皇子の長子、つまり
天武の長孫です。
長屋王は天武体制=天皇と少数の皇族による合議体の再現
を志向したひとと言われていますが、讒言により服毒自殺を
半ば強要されました。背後にいたのは藤原四兄弟。
>律令制は、実のところは既存豪族の力を殺ぐ為の為政者の仕掛けではなかったか。(tanoさん)
「長屋王の変」が、律令制の退路を絶ったのではないか?
という仮説をもあるな、と思っています。

投稿者 うらら : 2009年10月3日 15:06

>過去の2カ国とは、中国と韓国のことをさしていると考えられるが、本文中のどこに「持ち上げる」ような記述があるのか?理解に苦しむ。
理解する必要はありませんよ。あなたがこれから書く文章をよく見ていればわかることです。今更科挙制度を引き合いに出して現代の政治を語ろうなどとは。少々おこがましいのではないですか?引き合いにだすつもりも無いというのでしたら引用も後の文章も不必要化と思われます。
官僚主導ではなく政治家主導などとのたまっているにしては政治家に風俗ライターが混ざっていたり、碌に政治について知らないようなおばさんを当選させてみたり、どこまで国民をバカにしているのでしょうか、民主党は。というか国民がバカですが。
そもそも官僚より政治家が優れているから政治家主導と声高に叫んでいるのでしょうが、政治家はスーパーマンなんでしょうかね。結局官僚に仕事を丸投げする結果になると思うのですが。
>鈴木宗男、佐藤優、植草一秀、小沢秘書etcなどを、メディアに守ろうとした形跡がどこにあるのか?実際には、電通批判を行った森田実がそうであったように、マスメディアにおける発言の機会を封じられただけではないか。
発言の機会を封じられたではなく、発言するとボロが出るから報道しないのでしょう。それも十分偏向ですよ。テレビに小沢秘書とおっしゃいましたが、それがそもそもの間違いであり、普通ならば小沢に責任追及が及んでもおかしくない状況でメディアが小沢本人の責任を問わず、ミスリードして勝手に世論を秘書のせいとしてなあなあの方向に持っていったに過ぎません。
鳩山の故人献金にしてもそうでしょう。小沢同様秘書のせいにされていますが、法律で議員の責任になる事は明確なので地検は未だに捜査を続けているらしいですが、それをメディアが秘書に責任があるとして鳩山本人の論調に合わせているのが現状です。小沢と一緒ですね?金額を見たら唖然としますよ。献金が小沢の3倍はありますからね。その点についてはどうお考えなのでしょうか?是非伺いたいものです。
そして何よりあなたが「反論の機会を与えられなかった」と仰ったことと「事実自体が無かった」ことは矛盾しません。反論の機会が与えられても余計ドツボだと思うのですが、如何でしょうか?反論の材料も無いのに一体どう反論するのでしょうね。
自民と民主、メディアの叩き具合を見たらどちらに偏っているかなんて簡単にわかりそうなものですが、そんなことまで引用を使わないと自論展開をできないんですね。
そして電通批判⇒メディアに叩かれると分かっているならばまずそちらに問題意識を持つほうがよっぽど建設的ですよね。今あなたがしていることは過去から前例を漁って無理やり現状に照らし合わせる作業にしか過ぎません。不毛です。
あなたが展開する論は歴史であり、政治ではないのではないですか。

投稿者 せいん : 2009年10月3日 15:46

せいんさんへのコメントに返信いたします。(ちなみにNさんは私ではありません)
まず、私は世論全体として民主党にある種の期待感があるものの、既成政治家では限界があると考えています。従って「官僚主導か政治家指導か」というような問いから今回の論点を設定した訳ではありません。むしろ「官僚主導か政治家指導か」を超えた問題提起を江戸システムを参考に描ければと考えています。
官僚制度の追求はなにも中国だけを対象にするものではありませんが、日本が中国からの影響を受けている以上、避けるわけにはいきません。持ち上げるつもりはありませんが、日本とは無縁という訳にはいかないと考えています。
私たちの過去に学び、過去を越えようとうする作業が「おこがましい」かどうかは、読んで御判断いただければ結構です。
尚、佐藤優、鈴木宗男、事例外ですが、村上正邦氏らが、東京地検の問題性を主張されています。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=202064
官僚制の問題として取り組むべき問題だと考えています。
せいんさんはマスコミの問題も指摘されていますが、私自身は民主党のマスコミへの報復が中途半端なものとなり、結果的に民主党はマスコミに抱き込まれてしまうのではないか、と考えています。
http://www.trend-review.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=216229
ただ、マスコミ論は本ブログ、本稿の主要テーマではありませんので、そちらに関心がある場合は、本ブログの連係サイト「るいネット」にて追求下さい。

投稿者 怒るでしかし~ : 2009年10月3日 17:16

まずは、現状を把握すること無しに現状を超える政治体制を考えることには無理でしょう。まずは冗長とも取れるくらいにまず前書きがあり、その中から問題を提起し、前書き(序説)以上により長い文章があり、問題を包括的かつ部分部分で鋭く切り込まなくてはいけません。
それを引用した文章を貼り付けて同意する形はこれから書き始めるであろう問題に対して足場として非常に脆いと申し上げたいのです。まず現状で国の収入・支出、外交状態、国防対策、各省庁・各公務機関の役割の把握と問題。世界の状態、与党・野党のこれまでの実績、考え。そして、近代政治と結びつける以上過去にどの国が、誰が発案・実施した政策を実行したか。
書くべき事は大変膨大でありますが、だからこそ読み応えがあり、有意義な説になると考えております。
先の返信をいただいた文章中を見て疑問に思うのが問題の根幹にある曖昧な理由、があります。「世論全体」「ある種の期待感」「既成政治家では限界がある」
この前書きで新しい政治体制を満足に考えることができることは不可能である、と進言いたします。政治を語るHPとしては不十分な体系、情報量と言わざるを得ないのです。
>「 暴走官僚の代表格「東京地検」の風呂敷は何故か「五三の桐」誤算続きなのはそのせい??」
という何の役にも立たない文章も然りであります。
これでは学を志す身として不本意ではないでしょうか。
中国の影響が無いとも思っておりませんし、逆に興味は非常にあります。正直に続きを読みたいのですが、書き出しがこれでは後の文章に価値は期待はできません。
過去を振り返り新しい政治体制を模索する。これは大変結構なことです。
しかし我々は直接に政治へ関われない以上、真に価値のあるものを作り出さない限り、只のプロパガンダに終始することになるでしょう。
国民が最も気をつけるべきは、自分たちに与えられた権利を過大評価しないことです。国政に参加する、という権利へ無意味にこだわり続ければ権力を振りかざす者同様に、何も為さずに終わる愚かな行為であると考えます。
リンク先を読ませていただきました。この問題をどういう解決策でもって解決するかは非常に興味のあるところです。ただしそれを踏まえた上で、三権分立の基本から考えれば、政治家と対立する存在と言うのは必要である、というのが僕の自論ですが。
マスコミマスコミとよく言われますが、ではマスコミの正体とは?日本に限って言えばほとんど出資をしている者寄りの報道をする「企業」です。
自治労や日教組、部落開放同盟、民潭などと繋がっている民主党と共依存関係ということは、推して知るべし、です。
マスコミ論もこの話題では必須だと思われますので引き続きこちらへコメントさせて頂きます。最後にもう一度、この話題は非常に重要かつ大きなものでありますので、より精度の高い記事をお書きいただきますようにお願い致します。

投稿者 せいん : 2009年10月3日 20:32

中国における世襲制のはじまり

>科挙制度に先立って実施された官吏登用制度には郷挙里選、九品官人法といったものがある。これらの官吏登用制度を中国は何故、必要としたのか?(http://b…

投稿者 るいネット : 2009年10月3日 21:57

せいんさんのコメントに返信します。
>それを引用した文章を貼り付けて同意する形はこれから書き始めるであろう問題に対して足場として非常に脆いと申し上げたいのです。
>中国の影響が無いとも思っておりませんし、逆に興味は非常にあります。正直に続きを読みたいのですが、書き出しがこれでは後の文章に価値は期待はできません。
ご指摘、了解いたしました。少し、はしょりすぎた部分があったかと存じます。当ブログは議論サイトるいネットにおける多面的な議論をバックボーンとして、その分科会としての歴史探求仲間が運営するブログという性格を持っています。先に引用した岡田氏の論考は、るいネットにおける多面的な議論のまとめとしては、よくまとまっているため引用しましたが、一部であるため誤解をお持ちになった部分もあろうかと思います。宜しければ、この岡田氏の論考はシリーズとなっておりますので、よろしければシリーズ1からお読みいただければ、当ブログ及びるいネットの歴史の見方及び同時代的考察の視点、スタンスを御理解頂けるものと存じます。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=213549
>最後にもう一度、この話題は非常に重要かつ大きなものでありますので、より精度の高い記事をお書きいただきますようにお願い致します
ご期待に沿えるよう、努力して参りますので、今後とも宜しくお願いいたします。(「誤算の桐」は駄洒落を言わずにはおれない、私のどうしようもない性格の故であり、御容赦下さい)
尚、本シリーズの文責は私「怒るでしかし~」にありますが、当ブログ会員の協力の下、分担して作成してまいりますので、会員同士の個性もでますが、その点も、御容赦願います。

投稿者 怒るでしかし~ : 2009年10月3日 22:02

tanoさんのコメントに返信します。
>律令制は唐に対抗する為の国家として強力な体制を作ると言うお題目で取り入れたが、実のところは既存豪族の力を殺ぐ為の為政者の仕掛けではなかったか。従って蘇我氏、藤原氏といった新興豪族にとっては有益な制度であった。
有効な視点だと思います。問題は土地制度だと思うのですが、結局、土地制度を天皇領に一元化することには失敗しますよね。律令制導入の動機は、豪族間闘争にあるとして、何故、貫徹できなかったか、つまり抵抗勢力である豪族たちの力の基盤はどこにあったのか、が重要だと思っています。
今後ともよろしくお願いします。

投稿者 怒るでしかし~ : 2009年10月3日 22:51

Nさんのコメントに返信します。鈴木宗男バッシングの時は、私も踊らされた口で、深い反省をしております。
官僚制度問題とマスコミ問題は、当然、深い部分ではつながっていますが、以下が参考になります。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=213551
>いつの時代でも、戦争etc激動の時代には国家権力が強くなり、小康・安定の時代には教会etcの共認権力が強くなる。但し、近代以降は、資本権力が国家権力にとって代わって第一権力となっている。戦後も、混乱期は資本権力の方がマスコミ権力より強いが、’50年代・’60年代と社会が安定してゆくにつれて、次第にマスコミ権力が資本権力に拮抗する力を持ち始めてゆく。
加えて現在形の諸問題は、マスコミ権力と国家権力が、既得権益を死守するために手を結んでいるところにあると思います。
それは、マスコミのマスコミたるゆえんというか巨大化しているが故なのではないでしょうか。国家の地方分権だけでなく、メディアの分権も必要だと思います。そのためにも、歴史を通じて、中央と地方の関係を学ぶ必要性も高いですが、この点は、近いうちに別シリーズで扱っていきたいと考えています。

投稿者 怒るでしかし~ : 2009年10月3日 23:03

うららさんのコメントに返信します。
>「長屋王の変」が、律令制の退路を絶ったのではないか?
という仮説をもあるな、と思っています。
すいませんが、コメントの意図が摑みかねますので、お時間のあるときに補足いただけるとありがたいです。

投稿者 怒るでしかし~ : 2009年10月3日 23:13

ご理解をいただき、ありがとうございます。
1から7までしっかり読ませて頂きました。この文章はこの文章で面白い、またこちらの方の立場でいう論としてはまとまっているとは思います。
では、読んだ感想を少し。私権を軸にした世代論としては目から鱗です。個人的な心理と社会心理を私権○○と使い分けていて善くも悪くも人々の心理描写をよく表しています。この概念は政治にも少なからず応用されている場面もありますし、当たらずとも遠からずといったところでしょうか。その意味で意義があると好感が持てます。
次に批判も。まずひとつ。特権階級の定義が今一つわかりかねます。公権を常に行使し得る状況にある階級なのか、経済的に恵まれた階級なのか、はたまた両方の条件を満たした人間なのか。にしては試験というものは意味がなく悪であり、常に平等性を欠く存在であることを前提にして、特権階級とリンクさせている点も謎です。
ふたつめは、欲張りすぎではないかと感じました。前のコメントでも書きましたが、問題の規模に合わせた論拠が必要だと考えるからです。時代を私権を使いなぞったのは非常に面白いですが、なぞる以上の事をする以上の論は荷が勝ち過ぎます。
過ぎたるは及ばざるが如し、もう少し適当な着地点があったのではないかと思います。教育の所まで論が及んだのには閉口致します。教育について深い思索を持っている方の言葉には聞こえません。弊害ばかりを書き連ねることに意義があるのか、と疑問が消えません。
続いてネットの闇住人を追い出す、と唐突に論ずるところや、
>しかし、根本的には、私権原理に代わる新たな統合原理=共認原理が確立されない限り、社会の暴走は続くことになる。
この部分ですね。前者は情報統制です。中国でも行われておりますが、これこそ絵に描いたような権力の肥大化です。そして後者、社会とは必ず「暴走=思わぬ方向へ行く」することになります。どんな体制になってもそうなることは「ある」と予言します。
こちらの論へのトラックバックの中にありましたこの文章が分かり易さも含め反論として最適かと思われます。
http://blog.trend-review.net/blog/2009/09/001377.html
一通り読ませて頂いた結果こちらの論が概念的には非常に分かり易く、丁寧に解説をされていると感じましたので一読していただきますようお願い致します。
これを抑えるということを前述の方法を以って国家が介入、鎮圧すればそれは即ち国民の権利が侵害されることになります。つまり、最後の結論?なのでしょうか、この部分については結果、ネットに於いて好ましくないとされる言論の封殺を行い、公権の肥大を促し過去への逆行をすることと捉えます。ネットになれば全世界から情報が取得できるため、殊更に問題意識の想起による自浄作用が必要になってきます。まず大きな意味での世論の公平さを欠く結果になるでしょう。先のコメントにあったスタンスの一部と受けても宜しいのでしょうか。
知っておいていただきたいのです。国政については簡単に論じることができますし、批判することも同様です。しかし運営することは容易くありません。言うは易し行うは難しと言いますが、これ以上に当て嵌まる事象も稀であります。
読んだ後にもう一度、この趣旨で政治を論ずるのならば政治のシンクタンクより大量のデータが必要なのは明白です。しかしそれよりもこのHPは政治向きではないとも感じました。閲覧するなかで言及する内容が散漫であったり、具体的な数字などの情報、経済学に関する情報が乏しいと思われる為です。やはり本気で日本史一本に目標を絞ってそちらへ力を入れることが肝要かと存じます。
とは言ってもやはり好奇心半分で、この続きを見たい事は確かですが。
このコメントを取りあえずの締めとさせて頂きます。またこちらのHPでの文章を見させていただきまして、更なる知識を蓄える意欲を得られ、怒るでしかし~さんには感謝致します。またコメントをする機会があるとは思いますが、どうぞ宜しくお願いします。

投稿者 せいん : 2009年10月4日 04:26

怒るでしかし~さん、お久しぶりで~す。
ダジャレもお元気そうで、何よりです。
うららさんのコメントの意図は存じませんが、長屋王の死によって宣告されたのは、「大陸の官僚制は海民をコントロールできない」ということであろうと考えます。
このため、海の島に拠点を置いて大陸を支配しようとする勢力は排除対象となりました。
ところが、内なる海に浮かぶ島は、この原則の例外なので、そこをフィールドワークして通史で検証していくと、日本史の謎の事件を説明していけそうです。
「本源集団」というのは、もしかして、鹿児島あたりの離島の共同体がモデルでしょうか? だったら、理解しやすいのですが…。
わたくしも独自調査中です。がんばりましょう!

投稿者 タツ : 2009年10月5日 11:22

せいんさんのコメントに返信します。
>私権を軸にした世代論としては目から鱗です。個人的な心理と社会心理を私権○○と使い分けていて善くも悪くも人々の心理描写をよく表しています。この概念は政治にも少なからず応用されている場面もありますし、当たらずとも遠からずといったところでしょうか。その意味で意義があると好感が持てます。
興味をお持ちいただきありがとうございます。るいネットでは社会心理学的考察を長く重ねてきています。特に、中核にある概念が「私権」と「共認」です。前者は法学的な用語ですが、もう少し広範囲に、地位や名誉、女性を私有物とする力等も含んだ使い方をしています。後者は造語ですが、サル・人類に固有な心的現象の本質をなす、対象への共感とそれを土台にした相互理解=コミュニケーションへの欠乏、と理解いただければよいかと思います。以後、当ブログでも注釈なく用いることがありますが、御容赦下さい。
>特権階級の定義が今一つわかりかねます。公権を常に行使し得る状況にある階級なのか、経済的に恵まれた階級なのか、はたまた両方の条件を満たした人間なのか。にしては試験というものは意味がなく悪であり、常に平等性を欠く存在であることを前提にして、特権階級とリンクさせている点も謎です。
>知っておいていただきたいのです。国政については簡単に論じることができますし、批判することも同様です。しかし運営することは容易くありません。言うは易し行うは難しと言いますが、これ以上に当て嵌まる事象も稀であります。
るいネットへも「誰と闘っているのか?」という指摘を頂いていますが、「批判のみではダメ」との指摘は当然のことと理解しています。しかしながら、批判のための批判ではなく、批判的超克のための問題分析は不可欠だとの認識です。ある意味、膨大な量の批判と提案の蓄積がるいネットにはあります。少し先取りになりますが、実現イメージを持っていただくことも重要だと思いますので、できましたら、以下をお読みいただくと、私どもの追求のベクトルを理解いただけるかと思います。000606以降をお時間のある時にどうぞ。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=0&t=6#00
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=0&t=7
尚、ネットの健全化をどのように進めるかについても重要なテーマですね。官僚制にかわる統合イメージはインターネットという統合空間の存在を抜きには語れませんね。この点は、最終章において、歴史時代の統合システムとインターネット時代の統合システムとの違いという視点で取り上げてみたいと思います。

投稿者 怒るでしかし~ : 2009年10月6日 01:21

タツさんのコメントに返信します。
タツさん、お久しぶりです。私には絡んでいただけないのかとさびしく思っておりました。ダジャレの方は、止めといた方がいいんですかねえ。でも止めれないですねえ。
>長屋王の死によって宣告されたのは、「大陸の官僚制は海民をコントロールできない」ということであろうと考えます。このため、海の島に拠点を置いて大陸を支配しようとする勢力は排除対象となりました。
排除されたというのは宗像氏のことですね?
http://blog.goo.ne.jp/akihikofukuda/e/7f767f5f54851fa343a8c5a56dab2d8e
他方で、瀬戸内海の海人族は例外で支配可能だったと。そこから官僚制と西国武士の連携が生まれた、というようなイメージでしょうか?東国武士、修験道はそこそこメンバーも取り組んでいるのですが、もしかすると西国武士の追及が抜け落ちているのかもしれません。タツさんのアイディア、楽しみにしています。
「本源集団」のイメージは、私は鹿児島出身なので、南島のイメージが捉えやすいですが、東南アジア的(採取生産的)原風景、インディアン的(狩猟民生産的)原風景、そしてアフリカ的(洞窟生活的)原風景の全てを包括したものでいいと思います。ちなみに私が、一番感銘を受けた「本源集団」のイメージは以下です。中沢氏嫌いのタツさんには申し訳ないですが・・・
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=75260 
今後ともよろしくお願いします。

投稿者 怒るでしかし~ : 2009年10月6日 01:23

うららです。
ブログが盛り上がっているのでビックリしました。
さて、長屋王の件
わたしが言いたかったのでは、
長屋王は、天武のように
天皇(と2-3の皇族)に権力が集中し、すべてを
取り決めていく体制の再生を試みたと捉えています。
∵藤原不比等の娘である光明子が聖武天皇の皇后になることを
最も反対したのは長屋王です。
これは、皇族出身以外の皇后はありえないという
古くから続く原理原則に基づく考えです。
ということは、藤原一族以下の豪族≒官吏は排除の
憂き目に合います。少なくとも下僕でしかなくなる。
だから、長屋王の変が、天皇家→有力豪族への主導権の転換を
決定づけたのではないか、と思うのです。
天皇は実質力を失い、それを埋めるように
律令が整えられていくということになるのかな、と
考えました。

投稿者 うらら : 2009年10月6日 11:35

うららさんのコメントに返信します。
意図は理解しました。tanoさん、うららさんともに、律令=藤原支配の道具だて、それは一方で、中央集権的体制の構築ではあるが、他方で、天皇を神棚に祭り上げるための方便だったという理解ですね。
しかし、本来、中国における律令制は、皇帝の絶対化のツールなわけで、ここに矛盾があるわけです。
改めて、律令制の何を取り入れ、何を取り入れなかったかがポイントですね。そこが、科挙制度の問題もつながっているように思います。

投稿者 怒るでしかし~ : 2009年10月6日 20:31

怒るでしかし~さん
その名前で、ダジャレ止められますか?
宗像の血を引く長屋王の死で、安曇系海人はヤマトへの期待を止めたとは思っています。長屋王の変は、ヤマトにとって、巨大前方後円墳を築いた「倭の五王」の交易ルートの放棄を意味し、しかし、そのエリアの利権がヤマトの権力を支えているので、官僚の天下りが始まったのでしょう。追々、気づいたことをコメントさせていただきます。
まだ中沢新一ですか…。いい加減に卒業してください。貴方がいちばん感銘を受けたイメージとおっしゃるリンク先はつながらない。たぶん、それを書いた人は、もう気づいて、卒業なさったのでしょう。

投稿者 タツ : 2009年10月6日 20:41

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=75260
リンクはり間違いました。すいません。

投稿者 怒るでしかし~ : 2009年10月7日 01:34

ご紹介記事に引用の中沢論文に、一般の女とは別行動をする「呪術師」なるものの存在が認められます。
政治家は選挙に勝つため、現在でも、お祓いとかダルマさんとか、もろもろの縁起かつぎ、呪術に頼む風景になじんでいます。
呪術に頼らない能力で選抜された官僚が呪術にどっぷり浸かったとき、人類は道を誤ったのではないか?(←今後の展開にいくらかでもご参考になれば幸いです。)
東大が中沢氏を採用していたら、官僚と呪術師の関係が明るみに出て、闇に光が当てられたでしょうが、歯止めが効かなくなって国家そのものが世紀末崩壊から逃れられなくなると、身に覚えのある教授会は気づいたのかなぁ。(←こちらは、おもしろいだけの話です。)

投稿者 タツ : 2009年10月7日 10:47

現在の試験というのは、ひたすら知識を詰め込む、計算などを早くするなど、本当の物事を考えるということを向上させることと異なった訓練を強いているような気がします。
試験勉強の効果は何かと想像すると、①何も考えずに早く仕事をしてもらえるようになる、②考える時間を青年期に与えない(青年期にひたすら受験勉強したものが出世する)ことが可能となる、などでしょうか。
 支配する側(アメリカ)からすると、「官僚は腐敗、無能化する」ということで、大変都合が良いということではないでしょうか。かつてあった受験戦争というのは意図的だったかもしれませんね。

投稿者 norio : 2009年10月24日 21:06

norioさんのコメントに返信します。
>支配する側(アメリカ)からすると、「官僚は腐敗、無能化する」ということで、大変都合が良いということではないでしょうか。かつてあった受験戦争というのは意図的だったかもしれませんね
そうですね。科挙の歴史を調べていて分かってきたのは、試験制度というのは帝王に従順な人材を発掘する仕組みだということです。この構造は、古代中国から現在のアメリカ支配まで一貫して変わっていません。
このあたりをどう突破するか、が次のテーマだと考えています。
今後とも御意見お待ちしています。

投稿者 怒るでしかし~ : 2009年10月26日 19:00

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