2007.07.31
日本の神道や仏教が根底に持っている思想とは何か。
こんにちわちわわです。
日本の神道や仏教が根底に持っている思想とは何か。
それは縄文時代の狩猟採集社会の精神世界です。

その原型を見ることが出来るアイヌでは、人間と動物に本質的な区別はなく、動物も植物も天の世界では人間と同じ姿格好をして、人間と同じ生活をしており、動物も植物もたまたま人間の世界に現れたときに、熊は熊になり、木は木になるに過ぎないといいます。本来皆平等なのです。人間同士の平等どころか、人間と動植物も平等なのです。
アイヌに残るこうした思いは縄文人から受け継がれた大切な思いです。縄文人すばらしいと思った方↓↓ぽちっと!
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posted by tiwawa at : 2007年07月31日
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2007.07.30
中国人の二重規範
古代中国ファンの皆さま、こんばんは。
中国に村落共同体は存在しなかった。の記事に対し以下のコメントがありました。
中国の個人主義を西欧のそれと区別しなければならないと思います。
中国人は一旦信頼関係を結ぶと友人を絶対に大事にします。
つまり仲間にさえなれば絶対的な協働関係が維持できるのです。
中国という集合体が4000年以上に渡って多民族の合衆国であり、拠り所となる規範や集団が自らの
家族しかないという辺りが、その特殊性を作っているのかと思います。
たしかに西欧の個人主義とは違い、信頼できる仲間は大事にしますね。しかしその一方では欲の塊で殺し合いも辞さないという側面も持ち合せてます。
その二重構造は、いったい何を背景に、どこから生まれているのでしょう?
中国4000年の歴史において連綿と連なる民衆の意識構造について、「中国人の二重性」を参考にしながら考察してみます。
↓↓多くの方に見ていただけるよう、応援よろしくです↓↓
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posted by nishipa at : 2007年07月30日
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2007.07.29
中国文明:周王朝~封建制度の発祥と実質価値である穀物を統合様式へ
今晩は 😮 さーねです 
最近、まずは中国文明を一通り読んでみようと思い、通史の本を購入しました。
→「古代中国 原始・殷周・春秋戦国」(講談社学術文庫)という本です。まだまだ僕は素人ですから 😉
冒頭。僕自身の問題意識をちょっと… 😛
どうも、殷→周→春秋戦国というように、殷王朝や周王朝がクローズアップされますが、本を読み進めていくと、かなり、戦国時代の様相を呈しています。殷はたびたび周辺諸国に征伐に出向き、一方、殷王朝時代に周は存在しています。現実に、周王朝時代の周辺にも他勢力がひしめき合っています。よって、まさに 😈 掠奪 😈 の玉突き 👿 状態=様々な支配の構造がやはりそこにはあるんじゃないかなー? 🙄
こんな、状況認識を元に、今日は、周王朝の支配構造を調べてみました。

中国奇貨行くべしHPより
いつもありがとうございます

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posted by sawatan at : 2007年07月29日
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2007.07.28
先史中国の掠奪闘争から王朝形成まで
中国関連、すごく投稿が増えてきてうれしい!ただ、少し全体像がわかりにくくなったので、ここで内容整理のため、中国の先史略奪闘争史をまとめてみました。
いままでの投稿を参考にまとめたものです。BC4000年頃に掠奪闘争が開始されたメソポタミア(今のイラク)方面の関連が分かるよう、初期のメソポタミアの動きも記載してみました。

メソポタミアと中国をむすぶ中央アジアの草原ルート
↓まずはポチッと
posted by ihiro at : 2007年07月28日
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2007.07.27
ブナ林ってすごい!
こんばんは、bunchanです 
今日は、mitukoさんのブナ林とマタギ、pinguさんの縄文時代は木の文化、tanoさんの日本人の基層には西の文化がある!、simasanさんの森が育んだ日本の漁労に続いて、木と林つながりで「ブナ林と古代史」 さんより、縄文人にとってブナ林がどんな恵みを与えていたのかを要約・引用で紹介しま~す。
まず・・・ブナの一生
です
ブナは落葉高木で、安定した土壌に群生する。一般に樹高20~25m、胸高直径1m前後、樹齢250年くらいであるが、なかには樹高30m、胸高直径1.5m、樹齢300年を越すものもある。樹皮は滑らかで灰色、よく地比類、コケ類が着生し斑紋をつくる。葉は卵形で、側脈が7~11対、葉脈は波状で鈍鋸葉、花は雄雌同体で、ごく地味である。
ブナの花は4~5月にかけて、林床の花が終わる頃に咲き、二つの花をつけた上向きの雌花が一個と、黄色の葯をつけた毛玉のような雄花が数個ぶら下がる。この雌花は受粉すると、やがて殻斗に包まれた実に成長する。
ブナの結実は、樹齢が約50~70年ごろから始まるといわれている。実は、生り年と少ない年があり周期性をもつ。これは隔年結果現象といい、およそ4~8年ごとに豊作の年が来て、その間は平作と凶作の年が交互に来る。
夏に緑色だった殻斗も、やがて秋になると茶褐色になり、中の二個の三角錘の実は熟し、殻斗が割れて実がはじけ、林内に飛散する。
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この実は、晩霜、異常低温、或いは虫食いなどによって一夜にして駄目になることもある。又、夏に雨が多く降るとよく実り、少ないと空の実(しいな)が多くできるといわれる。
落下した実は殆どは、動物に食べられたり、腐ってしまうが、生き残ったわずかなものが、やがて、カギ形の幼根を出して固定し、冬を越す。そして雪に耐え、うまく冬越しをした実だけが翌春かわいい双葉をだす。
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しかし、この芽生えの多くも、やはり動物に食べられたり、陽光の届かない所では枯れてしまうものが多い。こうして運良く生き残ったものだけが稚樹となり、その年が翌年に成葉をつけ、わずかな光の中で少しずつ大きくなっていくのである。
やがて、低木、亜高木の状態で待機していたブナは、周囲のブナが寿命で枯死したり、台風、雷などで倒れ、陽光を遮るものがなくなると、急速に伸びて隙間を埋め、最後には森を支配してしまう。
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長い風雪に耐えたブナの老齢木は、やがて倒木となり、朽ち果てることで林地を肥やし、自ら次の世代が育つ環境を残していく。こうして一見何の動きもないようなブナの森も、緩慢ではあるが、確実に世代交代を行い、全体として安定した状態を維持し続けているのである。こうした極相状態の森は、ブナが成長する分だけ他で枯れており、動的には成長量がゼロとなって安定する。
ブナは、冷温帯の厳しい自然環境のもとで、人間の一生に例えると、凡そ親子四代以上に当たる長い長い歳月を生き手いることになる。現在、老齢の大径木となっているものは丁度江戸時代中期に芽生えたものであろうか。
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人間の親子4代以上の長い一生!! 育つのにも時間がかかるということですね~
ところで・・・食物が豊富だったと言われるブナ林ですが、具体的にはどんなふうに豊富だったのでしょうか。
続きに行く前に、クリックおねがいしま~す 
posted by bunchan at : 2007年07月27日
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2007.07.26
アイヌ民族の海獣猟
前回は、アイヌの婚姻様式を紹介しましたが、今回は彼らの主要な生産基盤のひとつであった海獣猟を紹介したいと思います。 古代オホーツクと氷民文化《参照》
○海獣とは
海獣という呼称は、海を主な生活の場とする哺乳類の寄せ集めで、イルカ・クジラ類や、ジュゴンなどの海牛類、アシカやアザラシ、ラッコなどの血縁的にはまったく異なるグループをまとめて呼んだものである。
この中でも、ここでは、流氷が押し寄せるオホーツク海沿岸と特に関わりが深い、アシカやアザラシの仲間をとりあげてみたい。
○北海道の鰭脚類-アシカの仲間
北海道近海には、アシカの仲間(アシカ科)が三種生息している。

体の大きい順に、トド・ニホンアシカ・キタオットセイである。
このうちニホンアシカは、かつては北海道から九州までの日本各地の沿岸で見られたが、一九七五年の日本海の竹島での目撃情報が最後となっており、既に絶滅した可能性が高い。
先史時代から人間に利用されていたらしく、北海道礼文島の浜中二遺跡からは、縄文人によって捕獲されたと考えられる大量のニホンアシカの骨が見つかっている。
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posted by naoto at : 2007年07月26日
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2007.07.25
森が育んだ日本の漁撈
つい先日起こった、新潟中越沖地震は、その直前に近くで起こった輪島沖・中越地震に続き、またかと思いましたね 😡
日本は太古から地震や台風などの災害が人々の生活を脅かしてきましたが、このように災害が多い日本の地理や地形だからこそ、世界に類をみないほど日本は豊かな資源に恵まれた国である、ということが縄文を勉強する中からだんだん分かってきました。

当ブログの記事でbunchanが「東北日本の源流・ナラ林文化vs西南日本の源流・照葉樹林文化」
で
>堅果類(クリ・クルミ・トチ・ドングリ)、球根類(ウバユリなど)の採集。トナカイ、熊、鹿、海獣の狩猟。そして、川にのぼって来るサケ・マスの漁撈。これらの狩猟・採集文化により、一定の人口までは充分に生活出来たのである。日本の縄文文化は、主にナラ林文化の下で発展した。事実、縄文時代の遺跡群は圧倒的に東北日本に集中している。
森が育んだ豊かな縄文文化の様子を紹介しています。これまで木の実などの森の植物性の食料の豊かさは盛んに言われてきましたが、海の食料は貝塚に代表されるように貝類しか注目されてきまんでした。しかし、既に縄文時代から日本は世界一の漁撈生産が行なわれてきた ことが最近知られるようになってきてます。(単位容積当たりの魚類の生息量では、瀬戸内海は地中海のなんと25倍らしい)
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posted by simasan at : 2007年07月25日
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2007.07.24
日本人の基層には西の文化がある!
こんばんわ。tanoです。久しぶりに投稿します。
今日はこの間からここに度々登場している照葉樹林文化についてです。
縄文時代といえば三内丸山遺跡や東北、中部地方に多くの人口が分布したことからナラ林の落葉樹文化が中心と論じられていますが、弥生以降の農耕文明を作り出し、現在の日本人の基層になったのは縄文時代に培った照葉樹林文化の中にあると言われています。
「縄文文化と日本人」という本の中で佐々木高明氏が詳しく書いています。
この本の中では容易にサケ等の海洋資源やクリ、トチなど容易にそのまま食べられる食料が手に入るナラ林文化とかなり工夫をしなければ食料として得られない照葉樹文化の2つが同時並行的に縄文時代に存在していたことが書かれています。

その書籍の中から今回は照葉樹林文化の特徴と発展、その後の日本に至る流れを紹介したいと思います。私がとても感銘を受けた部分です。
よければ、応援クリックをお願いします。 🙂
posted by tano at : 2007年07月24日
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2007.07.22
縄文時代は「木の文化」
縄文時代といえばもちろん
土器
というイメージですが・・・
縄文時代は
木
の文化でもあったのです。
縄文人は森と共に(自然と一体になって)暮らした人々。当たり前といえば当たり前ですね 😀
そのあたりは7/11にbunchanさんも書いてくれています。アリガトー 

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posted by pingu at : 2007年07月22日
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2007.07.21
インカにおいてミイラの意味・役割を探る-2(王様のミイラ)
今回はインカにおいてミイラの意味・役割を探る-2として「王様のミイラ」について追求してみたいと思います。 😀
そもそもインカ帝国におけるミイラは、庶民の場合も同様ですが、その人の生前と同じ扱いをミイラも受けるというのが一般的なようです。
生前と同じ衣服も身にまとい、食事をさせられ、性生活までさせられた!ようです。 ![]()
そのあたりを少し詳しく見ながら、何のためにそうしたのか、そしてそれが王のミイラにとってどんな意味があったのかを考えてみたいと思います。
まずはその前に、いつものようにポチッと応援お願いします↓
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posted by saah at : 2007年07月21日
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