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アイヌ民族の海獣猟

前回は、アイヌの婚姻様式を紹介しましたが、今回は彼らの主要な生産基盤のひとつであった海獣猟を紹介したいと思います。   古代オホーツクと氷民文化 [1]《参照》
○海獣とは
海獣という呼称は、海を主な生活の場とする哺乳類の寄せ集めで、イルカ・クジラ類や、ジュゴンなどの海牛類、アシカやアザラシ、ラッコなどの血縁的にはまったく異なるグループをまとめて呼んだものである。
この中でも、ここでは、流氷が押し寄せるオホーツク海沿岸と特に関わりが深い、アシカやアザラシの仲間をとりあげてみたい。
○北海道の鰭脚類-アシカの仲間
北海道近海には、アシカの仲間(アシカ科)が三種生息している。
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体の大きい順に、トド・ニホンアシカ・キタオットセイである。
このうちニホンアシカは、かつては北海道から九州までの日本各地の沿岸で見られたが、一九七五年の日本海の竹島での目撃情報が最後となっており、既に絶滅した可能性が高い。
先史時代から人間に利用されていたらしく、北海道礼文島の浜中二遺跡からは、縄文人によって捕獲されたと考えられる大量のニホンアシカの骨が見つかっている。
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○北海道のアザラシ
北海道近海に生息するアザラシは五種、ゼニガタアザラシ・ゴマフアザラシ・クラカケアザラシ・ワモンアザラシ・アゴヒゲアザラシである。
このうち、ゼニガタアザラシを除けば、すべての種が流氷上で出産する。
ゼニガタアザラシは、北海道の太平洋岸に一年中定着しているアザラシで、岩礁上で出産する。
他のアザラシは流氷とともに現れ、流氷が消える頃に北へ去るが、ゴマフアザラシのごく一部のグループは、風蓮湖や尾岱沼、サロマ湖で夏も生息していることが知られている。
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冬、流氷とともに訪れるアザラシは、古くからオホーツク海沿岸の人々にとって恵みをもたらす存在だった。
常呂町に残るオホーツク文化の遺跡からは、数多くのアザラシの骨が出土し、重要な食料源のひとつであったことをうかがわせる。
アイヌの時代には、斜里と紋別において大掛かりなアザラシ猟がおこなわれていた。斜里アイヌのアザラシ猟は、流氷が沖合いに見え出す頃から始まる。
二人乗りの丸木舟で沖の流氷まで漕いで行き、流氷の上に舟を引き上げて引いて歩き、氷の空いているところでは舟を水に入れて漕ぎまわるというように流氷の間をアザラシを求めて歩き、夜には舟を氷の上にあげてその中で眠ることもあったようである。アザラシを見つけると、舟縁から顔を出さないようにして接近し、銛を投げて獲った。
紋別アイヌでは、斜里よりずっと大きな側板付きの丸木舟に大勢で乗り組んで出猟した。
銛を投げる距離は三〇~四〇メートルで、子供の遊びにトッカリ遊び(トッカリはアイヌ語でアザラシのこと)といって銛を投げる訓練を兼ねた遊びもあったという。
こうして獲ったアザラシは余すところなく利用された。
肉は煮て食べたり、乾燥させて冬の間の保存食とした。
腸や肝臓、脳、血液までも大事に利用され、脂肪から採った油は他の地方の産物と交換する貨幣の役割も果たしたという。

厳寒の海へと乗り出す勇気。
自らの生命をかけて獲った獲物だからこそ、その全てを利用しつくした=まさに頂いたのだと思います。
「もったいない」という意識は、この地平から生まれてきたのではないのでしょうか?

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