2007.08.14

なんで歴史を解明するの?⇒今まさに求められているから!

こんにちは、さーねです 😮 盆休み真っ最中 😀 の日本…このブログも歴史事実がどんどん積み重なり、皆さんの記事をとても楽しく読んでます 😛
その中でも、つい先日simasanさんの東北の縄文文化から学ぶが、とても印象に残りました
>そこから我々が学ぶべきものはたくさんある、ということが分かってきました!
この意識。とても大事です
ところが、世の中に情報として流れる歴史は、趣味的なもの(EX.三国志,戦国武将)や学者の論説,発掘情報等、何かコアなモノ、あるいは役に立たないモノとして捉えてしまい、その難しさやわかりにくさから、一般の人々にはややとっつきにくいという実感があります。(僕も、ブログに初めて投稿する時はとても苦労しました 🙁 )
今年も既に後半を過ぎ、今一度、歴史を解明するということは一体何に繋がるんだろう? 😀 歴史に興味のない方にも、大事な認識として興味をもってもらえればと思い、この記事をアップしようと思いました 😛
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今日の参考図書は実現論
みんなで創ろう
実現のための歴史認識を 😛
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posted by sawatan at : 2007年08月14日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2007.08.13

縄文時代に栽培!?

前回の記事で、 縄文時代は「木の文化」 を書きましたが、それにHiroshiさんがコメントしてくださいました。アリガトー :blush:

木といえば、縄文人は大規模な栗林を栽培していたらしいですね。他にもいろいろ栽培していたらしいですよね。
どなたかか記事にしてくれるかな~。

縄文人が栽培
栗とか猪とか魚や貝などなど食べてて、けっこうグルメだったのは以前記事で書きましたが・・・・・栽培ですか
早速調べてみますっ
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posted by pingu at : 2007年08月13日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2007.08.11

インカのミイラNo3 ミイラになった生贄

1995年、アンデス山脈にあるアンパト山は標高6310mの山です。その氷が溶け、氷の中から一人の少女のミイラが姿を現しました。それがこのフワニータ。 インカ帝国にはカパコチャという、子供をいけにえにする習慣があり、彼女は山の神に捧げられたのです。
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posted by hiroshi at : 2007年08月11日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

2007.08.11

東北の縄文文化から学ぶ

このところ当ブログでは、 【仮説】縄文時代の都が1500年も続いたって本当?や、東北日本の源流・ナラ林文化vs西南日本の源流・照葉樹林文化など、東北地方を基盤に発展した都や、豊かな森と食糧資源に支えられた縄文時代の東北地方がクローズアップされていますね!
tanoさんが日本人の基層には西の文化がある!で触れていますが、弥生以降の稲作文化が浸透するまでは、実は、縄文文化は東北地方を中心に発展したのではないかと思うほど、そこから我々が学ぶべきものはたくさんある、ということが分かってきました!
東北地方の縄文文化について、かなり詳しく紹介しているサイトがありました。以下、 「研究調査報告書「縄文文化と東北地方」―東北の基礎文化を求めて」より引用です。
>東北地方の人々の心の中に現在も息づく自然との共生、生活文化習慣などは、気づく気づかないに関わらず、独自のものとして歴史の中でゆっくりと形成され、今日も人々の心の中に潤いを与えている、地域性の最たるものであると言えよう。そして、それを形成したのは、現在の経済システムを形作ってきた稲作農耕文化とは異なる狩猟採集を生業とした縄文時代という歴史なのである。そして、現在のシステムが綻びを見せ、新たな社会システムが模索されはじめている今日、このような歴史を持つ東北地方は、新たな価値観による・新たな社会の旗手となる可能性を秘めていると言えよう。
この先、もっと知りたいと思った方は、ポチッとお願いします!
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posted by simasan at : 2007年08月11日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.08.10

弥生時代の戦争は、北部九州から玉突き的に各地に広がった

😀 くまなです
先の投稿では日本初の戦争犠牲者について紹介しました。(カテゴリーは「弥生―律令時代の戦争」です)
2500~2400年前に九州北部で勃発したと考えられる日本における戦争は、それから100年ほどがたつと西日本各地に広がっていきます。
戦争の広がりは、環濠集落、武器、戦死者・戦傷者の状況からわかります。概要を表にまとめてみました。
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表を拡大して見る
最初の戦争は九州北部に始まります。当時(2500~2400年前)、中国では春秋戦国時代の真っ只中であり、そこでの敗者や難民が大量に渡来し、人口の過密=縄張り侵犯から、戦争が勃発したのではないかと考えられます。
戦争圧力の第二波は2300~2100年前で、これは秦が中国を統一し、朝鮮半島に侵攻した時期です。ここでも朝鮮半島の戦争敗者や難民が渡来したことでしょう。武器の主流は石器や青銅器ですが、大陸では鉄器が普及する時期で、日本においても鉄器が見られるようになります。
そして戦争は、北部九州から周辺へと広がっていきます。
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posted by kumana at : 2007年08月10日 | コメント (5件) | トラックバック (0) List  

2007.08.09

縄文人の性意識を探る(青森の民俗行事を通じて)

今回は、アイヌ民族にも受け継がれたであろう性意識を、青森の民族行事を通じて探ってみたいと思います。
縄文の世界・生活と文化より
《引用開始》
かつて、青森の集落のはずれの小高い丘に木製の大小の根精様を祭る祠があった。
また本家筋の家の祭壇に、蛯子、大黒と並んで根精様の小さな祠があった。
それらは、今はない。
縄文遺跡の祭祀的跡と思われる場所から男性の性器と思われる石棒が出土した。
石皿、くぼみ石等の陰石も出土した。

縄文時代の人々は、性をどのように捉えたのだろう。
続きはポチッと押してから 🙄
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posted by naoto at : 2007年08月09日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.08.08

縄文時代の図鑑?

kinoko.jpg
縄文時代の遺跡から見つかったこれは何? 画像は「こまきのいせきものがたり」http://www.komakino.jp/index.htmlからお借りしました。
こんばんは bunchanです
今日は縄文時代の遺跡からの出土品の中からみつかった土製品をとりあげてみたいと思います。
「こまきのいせきものがたり」より「縄文時代のきのこについて」工 藤 伸 一 (日本菌学会会員)からの要約・引用をご紹介します。
東北地方および北海道の縄文時代の遺跡からの出土品の中に、円盤形の裏面につまみ状の突起が付いいるものが発見されています。
さてこれは一体何でしょう?
スタンプ説
表面が平滑なことから縄文クッキーを平面に仕上げるための用具説、
柄の部分はつまみで傘の部分は蓋!土器の蓋説、
土器を作成するに当たって土器の内側を滑らかに仕上げるための用具説
などなど、さまざまな説があり、用途については考古学的には一致していません。

「きのこ形土製品」と言われるものの出土例は報告書等によると、1999年現在、青森県で13遺跡58点、秋田県で10遺跡60点、岩手県で19遺跡51点、山形県で1遺跡2点、福島県で13遺跡24点、北海道で4遺跡4点で、合計60遺跡から199点が出土していますが、その形態は様々です。(中略)
 これらの「きのこ形土製品」を注意深く観察しますと、ある特定の「種」を意識して模倣したと考えられるものと、単に「きのこ」の一般的な形状を模倣しただけと考えられるものの二つのタイプがあることがわかります。前者は、そのつくりがとても丁寧であり、ひだや管孔の表現はないものの形状も極めてリアルです。また、後者は、そのつくりが一般に粗雑であり、「きのこ」であろうと推定できる程度です。この後者の存在が、今まで「きのこ形土製品」を「スタンプ」や「土器の蓋」などと混同させてきた原因と思われます。これら両者の時代背景は不詳であり、また、両者がすべて明確に区分できるものではありませんが、典型的な両者を区分して比較研究することは、これらの用途および変遷などを探るうえで重要なことと考えられます。

でも・・・きのこを形どった土製品は何に使われていたのでしょう??
ぽちっ と押して、続きにいってみましょう~ ・・・ ・・・
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posted by bunchan at : 2007年08月08日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.08.07

戦った縄文人

縄文人はなす術も無く弥生人に駆逐された。
この縄文ー古代ブログでもそう認識している人は少なくないだろう。我々は戦争という技術を持って、人を支配する事を当然の社会摂理とする弥生人と戦争を知らず、友好的でおだやかな縄文人という構図を知らぬ間にイメージしている。
しかしそうだろうか?
実は縄文人が弥生人と明確に戦争をした史実がある。戦争というより抗戦という形で・・・。

北九州や中国地方に縄文時代から弥生時代にかけて1000年に渡って波状的に上陸した中国や朝鮮の渡来人は縄文人と融合し農業社会を構築し人口は増大した。弥生時代に入り農耕社会は九州、西日本からあっという間に関東地方まで広がっていった。大和朝廷が成立した後は日本は一部の地域を除いて統一されていた。
その一部の地域は最後まで抵抗した。それが現在の東北地方の蝦夷(エミシ)である。
大和朝廷の征服軍の攻撃をしのぎ38年間に渡って闘ったのがエミシだった。
今日はその蝦夷討伐に抵抗した縄文人の戦いを振り返ってみたい。

最近ご無沙汰していました。夏休みに向けて頑張って投稿しますので応援よろしくお願いします。
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posted by tano at : 2007年08月07日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

2007.08.05

古代文字

◎日本ではいつごろから文字が使われるようになったのでしょうか。
また、現代に繋がる「かな遣い」はいつごろから使われだしたのでしょうか
日頃何気なく使っている漢字とかなまじりの日本語は、いつごろから使われだしたのかまだはっきりしない様です。
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神代文字(アヒル文字)の一種」
クリック宜しく 😀
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posted by ryujin at : 2007年08月05日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

2007.08.02

【仮説】縄文時代の都が1500年も続いたって本当?

今晩は さーねです 😀
今日は、縄文のなんで縄文時代の都が1500年も続いたって本当?を解き明かしてみたいと思います
その代表が三内丸山遺跡ですが、まずは、るいネットマスコミが歴史的事実も歪めている・・・三内丸山遺跡の実態・・・を読んでみました 🙄
確かに、何かおかしい… 🙄
このお題は、歴史を学ぶという点でとても示唆に富んでいます 😛
なかなか面白いお題です 😛
頑張ってみましたっ
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大きい・長い・多い~三内丸山遺跡…
今、僕達に必要なのは事実と自然の摂理 😛
一緒に追究しましょう
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posted by sawatan at : 2007年08月02日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

 
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