考古学の危うさ~「水野集落論」より |
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2007年09月25日
ビザンツ帝国が千年の長きに渡ったのは火器のおかげ?
こんばんは、カッピカピです。
さて、ギリシア史といえば一般に思い浮かぶのは、アテネなどの古代都市国家だと思います。しかし忘れてはならないのが、ギリシア史上古代マケドニア帝国に次ぐ国家規模に達し、千年の長きを誇ったビザンツ帝国です。ビザンツ帝国こそギリシア史の最も偉大なる時代であると、カッピカピは密かに思っています。
そこで、ビザンツ帝国が1000年に渡って存続することが出来たある秘密兵器についてまとめてみようと思います。
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帝国は興隆と衰退を繰り返し、その領土をめまぐるしく変化させながら1453年にオスマントルコに滅ぼされるまで1000年以上存続しました。
その長い歴史の中で、最も窮地に追い込まれたのが、ユスチニアヌス帝の没後ではないでしょうか。
ちなみに、ユスチニアヌス帝はかつてのローマ帝国復活を目指し、次々と領土を広げていきました。
どんな窮地かと言うと・・・・・
613年に、シリアでササン朝ペルシアに敗れ、エルサレムを占領されて以来、ペルシアとの戦いは泥沼化し、さらにそこに、追い討ちをかけるかのようにイスラム勢力の侵攻が始まりました。636年のヤルムーク河畔の戦いで惨敗し、シリア、パレスチナ、穀倉地帯のエジプトを失いました。(ちなみに、ササン朝ペルシアも翌年にはイスラムに滅ぼされています。)
イスラム勢力の攻勢は続き、ついには、地中海東岸から北アフリカにいたる領土を支配してしまいます。697年にはアフリカの最後の拠点カルタゴをイスラム勢に占領され、ビザンツ帝国の首都コンスタンチノープルはイスラム海軍にしばしば包囲されました。それでもビザンツはこれを撃退し、独立を守りました。
このときビザンツ艦隊が用いた秘密兵器が、「ギリシアの火」と呼ばれる一種の火炎放射器でした。生石灰、松油、硫黄を混ぜた液体らしく、筒から噴射されると炎を発し、海面でも燃え広がり、言い伝えでは、この火は水中でも燃え続け、水をかけるとかえって燃え広がったとされています。
こうして、対外危機を乗り越えた帝国は、マケドニア朝として、200年間に渡り一大繁栄期を迎えることになります。
投稿者 hi-ro : 2007年09月25日 TweetList
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