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2012年09月08日

シリーズ「日本人はなにを信じるのか?」~10.日本人における自然信仰と祖霊信仰の共存構造

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こちらからお借りしました。

前回は、現代日本人も信じている自然信仰と祖霊信仰、その違いは何かをお届けしました。
縄文人の自然信仰に渡来人の祖霊信仰が塗り重ねられ、共存する形で日本人の信仰は形成されていきました。
現代日本人にとっても、自然物に感謝し畏怖の念を感じる気持ちと、祖先を敬う気持ちは共に違和感なく自然なものであり、共存しているという意識さえ無く、当たり前に感じていると思います。
今回は、自然信仰と祖霊信仰(その母体となった守護神信仰)が日本人の中で当たり前に共存しているのはなぜなのか、追求してみたいと思います。
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最初に、精霊信仰と祖霊信仰の違い、それぞれの信仰がどのような必要性から登場したのかを見ていきます。
当ブログの記事、『精霊信仰と守護神信仰の違いについて』
からの引用です。

(以下引用)
 英語では「アニミズム」と訳される精霊信仰。その意味は、”生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方”とウィキペディアでは解説されています。
 一方、守護神信仰とは、古代都市国家において、各都市の市神と呼ばれる存在が、都市の守護神、または象徴として信仰されてきたことを指します。その市神の多くは土着の神であり、王がじきじきに行う儀式によってその地位が決められていました。その他にも、この世にある、ありとあらゆるものに神があり、王から農夫にいたるまで、人間生活にしみ通っていました。
 精霊信仰も守護神信仰も、「世の中の全てのものに霊や、神の姿を見ていた」という点では、同じであるようにも思えますが、この二つには決定的に異なる点が存在します。
未開社会を見る場合、精霊信仰(アニミズム)の部族(or時代)と、守護神神話の部族(時代)はかなり様相が異なります。

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こちらからお借りしました。

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こちらからお借りしました。

 アニミズムは自然の諸力(万物)の背後に精霊を見た、ということになりますが,いわゆる融通無碍で、かつ自然対象のそれぞれ(例えば一つひとつの樹)の背景に精霊を見たわけですから、古代宗教特有の絶対的唯一性という性格は感じとれません。
 それに対して人格神や祖霊神の段階になってくるとアニミズム的性格を残しながらも、自部族を絶対化、(正統化)しようという意思が感じられ、これを広義のイデオロギーと見る見方が出来ると思います。
しかし守護神神話は同じ未開民族でもかなり後期になって登場している様です。具体的には都市国家成立以前の部族間の戦闘の時代あるいは地域から登場した様です。地域にもよりますが約8000年前から5000年前。日本でも記紀登場以前はシャーマニズムの時代ですが、精霊の声を聴くという色彩が強く、記紀のような正統化、絶対化(のための観念)のベクトルはあまり感じられません。
「精霊信仰」と「守護神信仰」に決定的な違いをもたらしたものは、これらの観念が登場する時代の外圧状況だったのです。
 過酷な自然外圧を対象として、それを突破するための最先端機能として誕生した「精霊信仰」に対し、「守護神信仰」は、部族間の同類闘争圧力の高まり→集団自我の発生→共認不全という統合不全を突破するための最先端機能として誕生したのです。
(以上引用終わり)

世界の民族を見てみると、一般的には部族間の同類闘争圧力が高まると、部族内の収束力、闘争力を高めるために、他部族を攻撃する自部族の正当化観念が必要となり、守護神信仰⇒祖霊信仰が高まっていきます。
各集団が闘争に勝つために連合を組み部族連合となり、各部族の守護神が共存する多神教段階を経て、最終的にはトップに立つ部族の守護神が「超越神」となっていきました。
部族にかかる圧力として闘争圧力が圧倒的に大きい場合は、部族内の信仰は祖霊信仰に収束し、万物を祀る自然信仰は(残るとしても)衰退していきます。
祖霊信仰に集団の想いを一本化し、闘争第一に集団を統合しなければ生き残れない外圧状況だとも言えます。
一方日本は狩猟採取~農耕生産であり、常に自然を対象化し自然と共に生きる必要がありました。
更に、大陸から見て日本は東端の辺境であったため、私権闘争に全面的に巻き込まれることなく、奇跡的に共同体を残しながら闘争集団を形成するという歴史を重ねることができました。
従って日本では、生産集団・生殖集団としての統合力と、闘争集団としての統合力を常に集団内で両立させる必要があり、闘争集団の統合原理一本化では集団を統合できない状況だったのだと思います。
つまり日本人は、生産集団・生殖集団としての統合力である「自然信仰」と、闘争集団としての統合力である「守護神・祖霊信仰」を共に必要としてきたのだと考えられます。

また、自然外圧に適応し生産集団・生殖集団を維持するためには自然との同化・対話能力が必須であり、その能力は女性の方が高いため、自然信仰の中心を担っていたのは女性だったと考えられます。
原始人類集団では女性(シャーマン)がリーダーであったと考えられることからも、自然信仰の中心を担っていたのは女性だと思われます。
るいネットの記事 『原始人類集団のリーダーは、精霊信仰⇒祭祀を司る女であった』
からの引用です。

(以下引用)
●「部族長は、もともと祭祀を司る長でもあった」ということだが、祭祀(を司る長)とはいつ登場したのか?
祭祀を司る長とはシャーマンのことであり、古くは原始人類の精霊信仰にまで遡る。古代では王と祭祀長は分化しているが、原始人類ではどうだったのか? そもそも原始人類のリーダーの役割は何だったのか? そこから考える必要がある。
足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちと同様、足で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った。そして、人類は1~2万年前まで、まともに地上を歩くことが出来ず洞窟に隠れ棲むしかない様な、凄まじい外圧に晒されていた。
まず、この原始人類の生存状況に同化してみよう。
洞窟の中で餓えに苛まれなが暮らしている。主要な食糧は肉食動物が食べ残した動物の骨であったが、それを拾い集めるのは短時間で済み、何より洞窟の外は危険が一杯なので、長時間も居られなかった。
つまり、大半の時間を洞窟の中で過ごしていたわけで、原始人類はその間、何をしていたのか?
まず考えられることは、エネルギー源としての充足の追求であり、それによって人類は充足機能を発達させてきた。
カタワのサルである人類は地上で適応するために直立歩行の訓練を始め、それが踊りとなり、この右・左と足を踏み鳴らす踊り=祭りが日々の充足源(活力源)となった。
この踊り=祭りの中でトランス状態に入り、そこで観た幻覚の極致が精霊である。人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。
脳回路の最先端に精霊信仰の回路が形成されて以降、人類は、生存課題の全てを本能⇒共認⇒観念(精霊信仰)へと先端収束させる事によって、観念機能(→言語機能を含む)を発達させ、その事実認識の蓄積によって生存様式(生産様式)を進化させていった。
精霊信仰に先端収束することによって統合された人類集団では、精霊への祈りが最も重要な課題であり、元々は二足歩行訓練という目的であった踊りや祭りも、精霊への祈りが主要な意味に変わっていったであろう。
また、それに応えるために最も霊感能力の高い者(一般的には女)が集団のリーダーになったはずである。

このように原始人類集団では、祭祀の長(シャーマン)=部族長である。部族長がいなかった部族があったとしても、シャーマンのいない部族はなかったであろう。
もちろん、祭祀とは別に、食糧(動物の死骸の骨)を拾いに出る決死隊も必要であり、そのリーダーは男が担っていたが、霊感能力の高いのは一般に女であり、原始人類の集団のリーダーは女が担っていた可能性が高い。(集団のリーダーは力の強い男という固定観念を塗り変える必要がある。)
(中略)
それでも5000年前の中国では農耕の母権社会であった。このことも、それ以前の人類集団のリーダーが女であったことを伺わせるものである。
中国の母権社会は採集→農耕部族の例であるが、狩猟部族でも北米インディアンは母系だし、父権制に転換したゲルマン人でも、戦いの際には女たちが男たちの尻を叩くなど、母権制の風習を残している。ということは、闘争圧力が高い狩猟部族でさえ、元々は母権社会であったと考えられる。
ところが同類闘争圧力→戦争圧力が高まると、戦闘集団の長(男)が部族長になり、戦争の果てに古代初期に王国が誕生すると、武装勢力を率いてきた部族長が王となる。
このように、元々の人類集団では祭祀長が部族長だったのが、闘争圧力が上昇したことにより、戦闘隊長が部族長に昇格し、その下or横並びに祭祀長(シャーマン)が控えるという形に逆転した。(なお、東洋では神官集団はほとんど例外なく女集団である。)
このような長(リーダー)の役割の交代の背後にあるのは、大衆の期待の変化である。
原始時代~採集生産時代は自然圧力に適応することが集団の成員の期待であって、それに応えるために長には祭祀能力が求められた。
同類闘争圧力が高まり戦争が始まると、防衛や闘争勝利が大衆の期待となり、それに応えて武装勢力の長がリーダーに変わったのである。

※精霊信仰⇒祭祀は自然を対象としているが、同類を対象とする同類闘争→戦争でも部族長には予感・予測能力が求められた。その予感・予測能力は霊感能力に近いものであっただろう。実際、未だにアラブでは部族長に求められるのは予感・予測能力である。
(以上引用終わり)

現在でも、座敷に祀る地域の守り神は男が祀り、かまどや厠の神など生活に密着した神は女が祀る事例が多く残っていますが、全く異なる神が違和感無く生活に溶け込んでいるのは、自然信仰と祖霊信仰が当たり前のように日本人の中に共存しているからだと思われます。
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こちらからお借りしました。

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こちらからお借りしました。

さて次回は、本シリーズ「日本人は何を信じるのか」の最終回をお届けします。
自然信仰と祖霊信仰を塗り重ね両立させてきた日本人は、一体何を信じ続けてきたのでしょうか。
ご期待下さい。

投稿者 sinkawa : 2012年09月08日 List  

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コメント

うーんむ、勉強になりました!

投稿者 ほん : 2013年11月28日 12:38

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