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2010年08月13日

シリーズ「インドを探求する」第12回 ~ヒンズー教からインドの謎にせまる

 
こんばんは。前回は、仏教についてでしたが、今回はインドの歴史や文化・因習等に深く結びついて存在しているヒンズー教について紹介していきたいと思います。
 
ヒンズー教とは言っても、日本人にとっては、あまり馴染みのない宗教ではないでしょうか。インドカレー好きなら「あ~、インド料理店で飾ってある、派手な神様のやつだね」といった反応でしょうし、旅行好きだと、ワーラーナシー(ベナレス)のガンガーでの沐浴風景を思い浮かべるでことでしょう。
 
実際、ヒンズー教の広がっている地域は、インドとその周辺地域以外では、インドネシアのバリ島くらいであり、後は世界に点在する印橋の街で、インド人が崇拝している程度の民族宗教といってもいいようで、日本において、その信者がほとんどいないことも、イメージしにくい一因になっていることでしょう。
 
それでは、このインド独特の宗教について順に見ていくことにしましょう。
 
 
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ワーラーナシー
 
 
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●ヒンズー教の概況
 
ヒンズー教はインドの8割が信奉するインドの民族宗教である一方、ヒンズー教徒は、8億人(94年時点)の規模を擁し、キリスト教徒、イスラム教徒に続いて3番目に大きな集団をなしています。
 
ヒンズー教徒とは、神話体系、宗教儀礼、社会制度、文化伝統、生活形態、宗教観念、因襲にいたるまですべてが分かちがたく結びついた文化要素によって緩やかに規定される集団です。
 
ヒンズー教から他宗教への改宗はあっても、他宗教からヒンズー教への改宗はふつう起こらない。ヒンズーになるための特定かつ共通の入門式や洗礼があるわけでもない。ヒンズー教徒になるのではなくヒンズー教徒に生まれる。
 
 
●ヒンズー教の歴史
 
ヒンズー教の歴史について、「ヒンズー教~インドと言う謎 山下博司著」にまとまっているので引用したい。
 

ヒンズー教の成立をいつに求めるかにはさまざまな説がある。
インダス文明からという説もあれば、アーリア人のヴェーダーが編集された時期に源流を求める向きもある。ヒンズー教の成立を最も遅く定義したのが、仏教、ジャイナ教が興って以降、つまり紀元前5世紀以降の発展を一番有力とする説が多い。
ヒンズー教は仏教など新しい宗教の隆盛を契機に旧来のバラモン教の衰えに対して発生しており、宗教全体が再編の動きの中で成立している。ヒンズー教の形成と共にバラモン教で主役の座にあった神々の勢力も大きく後退する。ヒンズー教の誕生とはこのようにインドの宗教史の中で位置づける事ができる。
 
ヒンズー教は一人の開祖によって統一的な教義・体系をともなって形成された宗教ではない。ヴェーダー的・バラモン的な価値観や社会制度の枠組みの中で、民間信仰に発する要素や非アーリア的なものを含むさまざまなレベルの神観念、儀礼、習俗、論理、社会制度、生活様式などが一定の纏まりを保ちつつ、ながい時代を経ながら、再編されて出来上がった「宗教文化的複合体」ということができる。
 
ヒンズー教は、ある種の折衷主義を特徴としている。時には互いに矛盾するような考えかたも実践も併用しつつ、統一を保っていられるのは、ヒンズー教の折衷主義的な性格によることが大きい。
 
ヒンズー教的な傾向・運動は紀元前に始まり、グプタ朝が栄えた4~5世紀以降、仏教、ジャイナ教とともに次第に決定的なものとなっていく。この時にヒンズー教の2大抒事詩「マーハーバーラタ」と「ラーマーヤナ」が完成し、後の人々の価値体系や生活様式を定めた「マヌ法典」も出揃う。
 
7~8世紀にヴェーダー時代に目立たない存在だったシヴァやヴィシェヌが最高神の地位に上りつめ、それらの神々に帰依を捧げる信仰態度が支配的になったことでひとつの達成を見る。帰依信仰は南インドでまずは盛んになり、16世紀頃までにインド全域に拡大していく。同時に新たらしい様式の寺院の広がりを見せ、8世紀に建築様式の革新が成された。
 
それまでは岩を掘り起こして作った様式にかわり、石積み式の寺院が登場し、どこにでも寺院が建てられるようになった。寺院建築が盛んになると、巡礼という宗教行為も盛んになっていく。

 
山下氏は紀元前5世紀以降をヒンズーの歴史とみているようだが、その源流・根底には、インダス文明を築いたドラビダの影響を受けているという説もあるので、合わせて紹介しておきたい。
 

後世のヒンズー教に大きな地位を占めるシバ神信仰やそれとまつわる生殖器崇拝、沐浴を重視するある種の浄・不浄観などがすでに見て取れる他、カーストとはいえないまでも、そこには明確な職能集団の形成があった。それらはむしろ、のちに教義として確立・展開し、時代や地域によって変わる大伝統とは異なって、常に一貫して民衆のあいだで、生き続けてきた底流の、時代の上での源流をなすものであったかのように見える。

「インド 小西正捷編」
 
 
ヒンズー教から感じられる、どこかしら本源的な匂い、原始宗教的な色彩は、こうしたドラビダとの融合の上にヒンズー教が成り立っているからではないだろうか。
 
最後に、ヒンズー教がインドに広がり隆盛していったグプタ朝の時期について、少し詳細に紹介しておきたい。
 

バラモンへの土地の施与は、グプタ朝時代からさかんになった。
古代インドでは、「全土地は王のもの」という観念があって、王は行政権、司法権の他、租税徴収権、埋蔵物の所有権、一定地区の未墾地の所有権など多大な権利を持っていた。村落施与によって王がバラモンに譲渡したのは、租税収入(注釈:租税の徴収を取りまとめる権利のことと思われる)が主な内容だった。
 
それに対して、土地の施与は、王の所有地を移譲したものであり、それは村落施与とは実質的に相違があった。村内に施与地があれば、村落施与では、その土地は除外された。
(注釈:租税がかからないことを説明していると思われる)
バラモンにとって、村落や土地の施与の意味は大きかった。彼らはその土地に定住し、村落の租税分を獲得して、バラモンとしての権威と王朝の威光を背景に村落を支配し、その地域社会に勢力をふるった。バラモンは王のための祭式を施行すると同時に、村落の秩序維持にあたり、ヒンズー教を浸透させたのである。
ヒンズー教はグプタ時代になってからさかんに建立された。寺院にも村落や土地が寄進され、寺院の祭祀を行うバラモンたちが、財産を管理した。バラモンの職務はヴェーダの祭式の施行であったから、寺院のバラモンは低く見られていたが、寺院が巨大な財産を蓄えたのに伴って、かれらの地位も実質的に高くなっていった。

「悠久のインド 山崎 利男著」
こうして時の支配者が、当時土着の宗教であったヒンズー教を上手く利用することで、領土内の秩序の安定を図っていったことが事わかります。
 
 
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ヒンズー寺院
 
 
●ヒンズー教の特徴
  
ヒンズー教じゃその成立過程からして、多様な要素が絡みあい、つかみ所の無い様にも思えるヒンズー教ではあるが、一定共通する特徴があります。
 
・多くの宗派が聖典「ヴェーダ」を啓示の書と崇めている。
 
・全ての行為が必ず結果を生むというカルマ(業)の法則によって決定される輪廻転生とその輪廻からの開放が救済であるという信仰によって特徴づけられている。
(業と輪廻の説は、アーリア人が外からインドの地に持ち込んだ観念ではないらしい。アーリア人の手になる古いヴェーダ文献にこの考え方はあまり出でてこない。むしろインドに土着の思想であるらしく前数世紀頃より表面化し一般に信ぜられるようになった)
 
・歴史上の開祖を持っていない
 
・信仰の統合的な体系を持っていない
 
・超越的な神を信奉、その神は現象世界を超えていると同時にすべての生類の中に存在していると考えている。神は、寺院の尊像、自然現象、あるいは生きた導師や聖者を通じて建ち現れる。ヒンズー教は多数の神々が崇拝の対象ではある一方、これら神々を唯一の聖なる力の顕現と見ている。
 
・ヒンズー教徒とは、インド人の社会集団、すなわちヴァルナの中に生まれ、浄性と婚姻に関わる規制に従い、シヴァ神やヴィシュヌ神といった多くの神々のうち、一つの神を最高神として信奉する者の事をいう。
 
上記の特長だけを挙げても今ひとつヒンズー教の全体像、統一性に焦点を定めにくいが、もう少しその焦点を絞ると、ほとんど全てのヒンズー教徒が共有しているものは、一つがヒンズー特有の神話・叙事詩群の共有であり、もう一つが、すべてを一元的にとらえるウパニシャッドの思想やヴィシュヌ派に顕著な化身の観念、つまりすべてのものは単一の神、の顕現であり、いかに異質なものも結局は単一・同一のものの異なった側面にすぎないという観念の共有であろう。
 
これらが、ヒンズー教の底辺での統一性を醸し出しているといえるのではなだろうか。そして、この思想性ゆえに、あらゆる異質なものも、観念上、共存可能となり、他を排除することなくあらゆる多面性をその思想性の中に組み込んでいくことになる。(逆に言えば、一見すると何もかもが、まぜこぜの様相を呈すように感じられてしまう)
 
上記の歴史紹介のところで
 
「ヒンズー教は、ある種の折衷主義を特徴としている。時には互いに矛盾するような考えかたも実践も併用しつつ、統一を保っていられるのは、ヒンズー教の折衷主義的な性格によることが大きい。」
と表現していたが、こうした思想性が、ヒンズー教の背後にあるからだともいえるだろう。
 
 
●ヒンズー教における人生の目的
 
ヒンズー教は、宗教ではあるが、一方で文化や生活形態、因習、日常の規範等とも分かちがたく結びつき絡み合って存在している。このようなヒンズー教を信奉する人たちは、ヒンズー教の何を指針としながら生活を送っているのだろうか。
 
ヒンズー教においては、人生の理想の生活として、指針となるべき規範が定められている。
 
ヴェーダ聖典成立時代の後期(紀元前2世紀頃)に人がこの世において追及すべき目的や義務、あるいは価値基準として別々に論じられてきたものが次第にまとめられてプルシャ・アルタ(人生の目的)と称されるようになった。
プルシャ・アルタには、ダルマ(法)、アルタ(実利、財)、カーマ(性愛)の3つがある。
これにモークシャ(解脱)を加え、四大目的とする場合もある。
 
この人生の四大目的は、「四姓制度と四住期の法」に組み込まれている。四姓制度はいわゆるカースト制度のことで、四住期の法が上記を指す。四住期とは、人間の一生を時間的に、学生期、家住期、林住期、遊行期の四期に分けたもの。
 
学生期:師匠を定めて勉学生活を続ける
家住期:結婚し、カーマを楽しみ、アルタを得、祖霊祭を行い、子供を作る。
林住期:子供が大きくなった後、引退し、林に住んで礼拝と祈りの生活に入る。一切の世俗を捨て、宗教生活を送る。
遊行期:一所を定めず、遊行し、宗教的真理をひたすらに追究する。世俗との縁を完全に切る。
 
これらは、人生の理想としての生活を表している。
 
 
●ヒンズー教の神々
 
ヒンズー教はシヴァやヴィシュヌなどを絶対神としているが、実際にはそれらと神話的に関連づけられる神々や村の精霊などに対する信仰も並んで行なわれており、多神教的な様相も強く帯びている。
キリスト教、ユダヤ教などの排他的かつ明瞭に定義された一神教とは異なり、ヒンズー教は無数の神々を化身として許容し、荒ぶる女神たちや名もない神々を、大きな枠組みの中に包摂する。信者たちは最高神の威力、権威を是認し、その関係の中に自らの神を組み入れる事で、ヒンズー教の中に消化、吸収されるのである。
 
ヒンズー教では多くの神々が信仰されているが、最高神としては、ヴィシュヌとシヴァ、ブラフマーが有名です。一般的には、ヴィシュヌを最高神と仰ぐ人はシヴァをその低位の神とみなし、シヴァを最高神と仰ぐ人はその逆となる。いわば、ヒンズー教における宗派のような様相となっている。
 
概してカーストの高いものほど全インド的な偉大な神とのかかわりあいが深く、下位に行くほど地方的、村的なレベルの神や鬼霊の祭りが増える傾向にある。
またヒンズー教には多くの神がいるが、それぞれ機能がことなるため、どの神を信じてもいいし、何人かの神を同時に信じることもできる。
 
 
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三神一体(ブラフマー、
ヴィシュヌ、シヴァ)

 
 
 
●まとめ
 
以上ヒンズー教について掘り下げ紹介してきたが、最後にヒンズー教の全体像について、再び山下氏の著書にまとまった文章があるので、紹介によって、全体のまとめにかえさせていただきたい。
 

われわれはこれまでヒンズー教を狭く定義し、同じく南アジアに興ったジャイナ教、スィク教、仏教などと区別して論じてきた。しかし、名目的な宗教的違いこそあれ、人々はかなりの程度生活習慣を共にし、南アジアという地理的領域の中に共存共生している。それはイスラム教徒やキリスト教徒にも当てはまる。たとえばインドのキリスト教徒の中にもヒンズー教と同じような、浄不浄の観念、「右」の優越、ヒンズー的儀礼要素、カースト意識やカースト内婚が維持されている場合が、まま見られるのである。インド人は、宗教の違いを超えて、多くのものを共有していることは否定できない。インドの人々が、宗教、宗派の違いを超えて分かちもっているものこそ、「インド的なるもの」であり、共通するものの多くはヒンズー教的な諸観念と連合し、通底しているのである。こうした意味においてヒンズー教はその影響が広範かつ汎インド的であり、インド的伝統そのものであるとすら言えるのである。
ヒンズー教的諸要素は、ヒンズー教徒の観念的なレベルでの大伝統、上位文化を構成するだけでなく、いわば生活の一部として人々の意識に上らないレベルで、暮らしの隅々までいきわたっている。ヒンズー教徒は精緻な哲学思想や洗練された文学理論など、高度に発達した「知」の体系としての上位文化がある一方、生活文化とも言えるような、ふだん意識しないレベルでのヒンズー文化もまた存在している。「知」の担い手が一部のインテリや特殊な階層であり、実際大多数のヒンズー教徒は神への崇拝や日常の儀礼を欠かさない、哲学や神学理論とは全く没交渉の中で暮らしている。

 
 
ヒンズー教は、その異文化への受容性の高さが、すべてを飲み込み、ヒンズー化=インド化していくという特質を持つ。
 
またヒンズー教の教義や理論を受け継ぐバラモン層だけでなく、すべての階層の人々にとって、生活や因習と密接に絡まりあったその有り様は、カースト制というインド独特の身分制度を残存させる要因である一方で、いざとなれば広大で多様なインドの諸民族を精神的にも一つにまとめる潜在的な力を持ち続けているようにも見える。
 
また主に農村地域においてカースト制度を基板とした村落共同体的な色彩を色濃く残存させており、人々の心の中にも共同体的な側面を持ち続けているという面もあるだろう。
 
ヒンズー教という深いバックボーンを背景に持ったインド人にとって、西洋の近代思想など、底の浅い思想としか映らなかっただろうし、このことが、イギリスに支配される歴史を持ちながらも、なお、インドがインドとして存在してこれた理由であろう。
 
しかし、インドにも弱点があるとすれば、歴史上、インドの地から出て、その外の地域へと、影響力をほとんど示してこなかった点であろう。
  
仏教の伝播や、交易による東南アジアへのヒンズー教の伝播はあったものの、国家集団として統合されたものではなかっただろう。むしろ、インドの中だけでの王朝の隆盛のみにとどまっていた。そのことは拡大思想がなかったからとも言えるし、多様かつ広大なインドの中の統合だけで手一杯だったとも言えるだろう。
 
こうしたインドが、この21世紀における大転換期を迎え、はたして世界をリードしていくだけの力を発揮していけるのだろうか。
 
11億の民を抱えたインド。現在インドは経済発展に沸き返っているが、民衆の貧困解消の兆しが見えたその時、果たして、インド人の奥底の本源性が可能性として顔をのぞかせるだろうか。
 
その可能性について、次回以降、さらなる追求を行っていきます。
 
 
   
■参考文献
 
・ヒンズー教~インドと言う謎 山下博司著
・くらしがわかるアジア読本 インド 小西正捷編
・悠久のインド 山崎 利男著
・インド入門 辛島昇著
・ヒンドゥー教の事典 橋本 泰元、山下 博司、宮本 久義 著
・生活の世界歴史〈5〉インドの顔 辛島 昇、奈良 康明 著

投稿者 yuyu : 2010年08月13日 List  

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コメント

大変面白い内容です。
現在の建築物は、「自然との共生」が主題の一つになっています。その中で、自然通風や自然光利用等は、日本の古い建物を参考にして考えていましたが、実は、その内容は、ポンチ絵「構造・規模・機能性」と全く同じ内容であると、分かりました。
5000年前の縄文人と同じ事を考えていたと思うと妙な連帯意識を感じます。

投稿者 建築設計士 : 2010年12月2日 22:15

絵がお上手ですね~。
とてもわかりやすいです。
住んでみたくなりました。

投稿者 うらら : 2010年12月11日 19:36

リンク先はエイプリルフールのジョークのようですよ

投稿者 通りすがり : 2013年2月27日 11:34

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