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2010年08月14日

お盆特別企画①~「習慣や文化の継承とは」~

こんにちは 😀
毎日暑い日が続きますね
お盆休みいかがお過ごしでしょうか。
2004_hoka_s_KMPO_01_KCZ.jpg
画像はこちらからお借りしました。
今回は、お盆特別企画として、るいネットの投稿の中から、
注目の投稿をご紹介したいと思います。
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「習慣や文化の継承とは(1)」 by コスモスさん
最近、言葉とか、観念とか、価値観とかを日本人と他国という比較において考える機会が増えています。日常語には英語(和製英語)が氾濫し、日本語自体も若者を中心に様々な表現方法が生まれては消えて行っています。また、西洋文化が入り込んで、西欧民主主義とか、資本主義とか、議会政治とか、明治以降は社会制度も様変わりしました。
でも、今でも日本人は日本人で、日本の文化は日本文化として、他国とは明らかな違いを保ちながら日本特有の社会を形成していると思います。NHKの「COOL」などを見ていますと、日本に限らず各国の文化も実は、その文化特有の習慣や価値観を保ったままに受け入れるところは受入れながらも長い間変わらないものを持っているようです。
数千年前の縄文人の体質が今も日本人には残存しているということも、日本人であるならば心のどこかで得心できることではあるのですが、頭の中で考えると不思議なことではあります。
縄文人の言葉もすでに大半は喪失したでしょうから、「言葉」が文化の継承の要(かなめ)では無いかも知れません。同様に、近代西欧の制度や思想も日本人の文化や習慣に必ずしも溶け込んではいない可能性すらあります。
いろいろと考える契機として、株式日記と経済展望リンクの記事を引用させて頂きます。
(注:元の引用は、pikarrrのブログ  [まとめ]なぜ日本人は民主主義よりも資本主義に順応したのかリンク)
————————————————————
◆なぜ日本人は民主主義よりも資本主義に順応したのか 6月25日 pikarrr
(要点のみ)
◆習慣が破れることへの日本人の強迫性
ファーストフードではみなが淡々と注文し食事をしているが、たまにお年寄りが必死に店員と交渉しているのを見かける。はじめてなのか、注文のシステム自体を知らずに恥ずかしそうに懸命に注文している。しかしこのような場面は誰にでもあるだろう。初めての手続きに慣れないだけではなく回りから浮いていることが恥ずかしい。
日本人にとって習慣で処理できないこと、始めての場面に出くわしてフリーズしてしまうこと、は恐怖である。それは日本人でなくても恐怖だろうが、多くを習慣で処理できるハイコンテクストな社会を生きている日本人には強迫的な恐怖である。
外国人は多かれ少なかれ異文化が身近にあり生まれながらに「習慣の破れ」を経験する。そして対処方法も訓練として身につけている。習慣の破れをいかに乗り越えるかといえば、簡単に言えば開き直りの自己主張しかない。そのために西洋人は笑顔と交えた社交性の技術を身につけている。
ハイコンテクストな社会を生き、習慣の破れに慣れていない日本人は慣れずキョドってしまう。自らを主張するとは慣習を越えて自らを曝け出すことであり日本人にはとても不慣れな技術である。
◆思想は身体訓練で伝承される
日本人に思想が無いわけでなく、わざ、習慣、身体訓練として伝承され、言語化されないわけです。実は思想の在り方としてはこちらが一般的です。太古から民族はそうして思想を伝承してきたわけです。まず理解しないといけないことは、言葉は思想伝達法としてほぼ使いものにならないということです。
たとえば会ったことも見たこともない民族がいて彼らの思想について書いた本を読んで何がわかるでしょうか。実際に一緒に生活してみないとなにもわかりません。
言語信仰に毒された現代人にはこれを理解することがまずできない。まさに「馬鹿の壁」が目の前にある。*1
たとえば旨いザーサイを食べたリボーターはいかに読者にその旨さを伝えるか。日本人同士は親しげに「食べてみなよ」と勧めます。西洋哲学者はそれをメタファーや造語を駆使して伝えるわけです。それは実際に食べるより素晴らしくみなを魅了するわけですが、正確な伝達とは別です。
◆言語思想の暴力性
言語で思想を伝えなければならない状況はとても極限的な状況です。その状況とは多民族に自らの思想の正当性を訴えかける弁論述です。
日本人が日本人論を書き始めたのは明治入り知識人が留学を始めてからです。島国日本では思想は、わざ、習慣、身体訓練であり、他者に自らの思想を訴えた経験もなく、当然、うまく言語化できない。それが近代日本知識人の劣等感だったわけです。
いまでもよく、日本人は明確な言語思想をもち外国に主張しなければならないといいますが、本当でしょうか。言語思想を語りあえばわかりあえるのでしょうか。
そもそも西洋の近代思想はいかに発展したか。世界の資本主義化と密接な関係があるわけです。すなわち西洋の貿易先(資本主義)を広めるために、海外に向けては植民地化の正当性を巧みに訴えるためです。たとえば日本人もアジアへ侵略した時は珍しくその思想を懸命にしゃべりましたね。
———————————————-
>日本人に思想が無いわけでなく、わざ、習慣、身体訓練として伝承され、言語化されないわけです。実は思想の在り方としてはこちらが一般的です。
確かに、そんな気がします 😛
たとえば、私の地元の「よさこい祭り」は、(歴史は57年と縄文時代からの年月を考えるとまだまだ浅いですが)、誕生してから全国的に広がってゆき、その土地々の要素を取り入れ、さまざまな踊りが誕生しました。ここまで広まったのも、それが言語を必要としない「踊り」だったからでしょう。(ちなみに、高知のよさこいは「土佐の~高知の~はりまや橋で~坊さんかんざし買うを見た~」というよさこい鳴子踊りのフレーズを入れないといけないという規定はあります。それと、鳴子をもって踊ることという規定以外には特にないので、いろいろな新鮮な踊りを毎年見ることができるのでしょう。)
よさこい祭りは毎年8月9日(前夜祭)10日、11日(本番2日)、12日(後夜祭・全国大会)の4日間、高知市内9カ 所の競演場・6ヶ所の演舞場で170団体、約19,000人の鳴子を持った踊り子が工夫を凝らし、地方車には華やかな飾り付けをして市内を 乱舞する土佐のカーニバルである。この祭りには、全国的な不況の中、戦後の荒廃した市民生活が落ち着きを見せ始めた昭和29年8月に不況を吹き飛ばし、市民の健康と繁栄を祈願し、併せて夏枯れの商店街振興を促すため高知商工会議所が中心となり 発足した。昭和29年の第1回の参加人数は750人参加団体は21団体。その後、第30回にはついに踊り子人数1万人を突 破し、”よさこい”は絶えず新しいものを取り入れ、チームの個性化はますます進んだ。伝統的な音楽からロックのバンド演奏 が増え、髪型や衣装も派手さを増していった。振り付けもサンバ調、ロック調、古典の踊りと工夫を凝らしており、見物人を飽 きさせない祭りである。

投稿者 staff : 2010年08月14日 List  

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コメント

精密な年表、ありがとうございます。労作!
3万年前の「針と糸」ってどんなものだったのでしょうか?
未だに、細い糸をちっさいちっさい針の穴に通すのに
四苦八苦しているのですが、3万年前は、直径1cmくらいの
針穴だったのかな~、でもそれだったら縫い目が大きすぎる
よな~、とか思っています。
何か、遺物が残っているのでしょうか??
う~ん、ナゾだ。

投稿者 うらら : 2010年12月7日 20:22

こんにちは。うららさん
コメントありがとうございます。
糸についてはグルジアの洞窟で亜麻繊維が発見されていますが、その太さなどについては不明です。
参考:http://blog.livedoor.jp/liberty7japan/archives/930594.html
>直径1cmくらいの針穴だったのかな~、でもそれだったら縫い目が大きすぎる
よな~、とか思っています。<
また、針については参考サイトはありませんが、おそらくは暖をとるための毛皮同士を結ぶ糸穴のために用いられたと考えられます。
従って、この当時は針穴は無かったのではないでしょうか。

投稿者 yoriya : 2010年12月17日 17:24

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 昔の記憶では確かエスキモーの人々の毛皮のナメシと裁縫を覚えてますが、確かに大きな穴が開きましたが糸が伸縮する性質を利用し乾いた後は充分太くなり、防水性は確保されていました。
革張りの船も同様です。
この件は後日詳細な資料を探し、判明次第報告させて頂きます。

投稿者 sivbikku : 2011年8月10日 22:45

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